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2009年5月

2009年5月29日 (金)

ちょっと不思議な話

Tureututv 先週、休みで森の中のホテルに行った時、本屋でごっそり買い込んで持って行った本の中に「ツレがうつになりまして」(細川貂々:著)という一冊がありました。(こういうお籠もりの際は、推理小説からマンガまでそれこそ多種多様な本を大量に買い込んで行くのです)

Tureutu まじめな性格ゆえに鬱病になってしまった夫(ツレ)との闘病生活を描いたコミック・エッセイ。吾妻ひでお師の「うつうつモノ」にも通じるテーマ…と思い、本屋で手に取ってぱらぱらとめくった時いきなり目に入ったのがこのコマ。(夫が「CD借りてきた」と言うと、「シベリウス?それともブルックナー?」と訊く妻!。なんという素晴らしい会話・・・)

 このコマで何か共振した気がして、お籠もり本の中に加え、・・・読みました。そして、本の帯を見ると、NHK金曜ドラマ「ツレがうつになりまして」(全3回)としてドラマ化されるとのことで、29日(金)10時からの第1回を、・・・見ました。

 するとドラマの冒頭いきなり、ピアノで私の「5月の夢の歌」が流れ出し・・・


 なるほど。世の中にはこういう不思議なこともあるのですね♪

2009年5月28日 (木)

ウッドテラスもどき

Besso ふと思い立って木製の折り畳みテーブルを買う。

 実家の狭いベランダにMacBookと一緒に置いてみると、(写真でこの角度から見る限りでは)なんとなく軽井沢あたりの別荘のウッドテラスで仕事しているような気分・・・になれなくもない。

 無線LANに繋がっているので、ネットもメールもOK。老後はここで無意味にだらだらと長いだけの長編小説でも書いてみようか・・・

 

2009年5月26日 (火)

FMシンフォニーコンサート収録

Fmsymq NHK404スタジオで「FMシンフォニーコンサート」6月分2本の収録。

 6月7日(日)放送分は、ベートーヴェン:交響曲第4番、ワーグナー(フリーハー編曲&構成)「ニーベルングの指環」(4部作の聴き所全14曲を繋ぎ合わせて1時間のコンサートピースにした交響詩)。指揮:ペーター・シュナイダー。
 6月14日(日)放送分は、エルガー:チェロ協奏曲(vc:長谷川陽子)、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番。指揮:渡邊一正。

 ベートーヴェン&ワグナーの回は、バイロイト音楽祭仕込みのシュナイダー氏の棒がなかなかの聞き物。ただし、時間がきつきつで解説の時間ほとんどなし。話したのは曲と演奏者の紹介だけで、これでギャラがもらえるならこんな楽な仕事は・・・・m(+ +)m・・・おっとと

 エルガーのチェロ協奏曲は、ハリソン、デュプレとなぜか女性チェリストによって普及されてきた名曲。今回の長谷川陽子さんも好演。もしかしたら美空ひばりとか都はるみ系のコブシが必要な曲なのかも? 

 最後のショスタコーヴィチは、40年来聞き慣れすぎた名曲だが、聴き方によってずいぶん印象の違う奇妙な曲。悲観と恐怖で鬱のどん底みたいな音楽なのに、「さあ、これで文句あるか!」という終曲が(これ本当にショスタコーヴィチが書いたのだろうか?と昔から不思議でならないのだが)くっついている。さて、これをどう解釈すべきなのか?

Dsch・・・ちなみにこの曲、昔から「体制迎合による社会主義リアリズムの代表作」、「二重構造を持った反体制的かつ悲劇的な名作」、と評価が分かれる不可解な名曲である。 
 最近ではさらに「カルメン」(の中の「ハバネラ」)がなぜか下敷きになっていることも指摘されてきて、「作曲当時のスペイン内乱の悲劇を描いたもの」(この曲が作曲された1937年はピカソがゲルニカを描いて有名になったゲルニカ爆撃が行われた年)、あるいは「むかしの恋人に絡んだ引用」(かつての恋人がカルメンという男性と結婚したのだそうだ!)、はたまた「カルメンの中で唯一ビゼーの作曲でない〈偽作〉の曲にかこつけた〈この曲は私の本当の音楽ではない〉という宣言」(ハバネラは「もっとスペインっぽい歌を」という歌手からの要請でスペインの作曲家によるメロディを借用したもの)などなど、色々な意見が出てきて面白い。
 実際、テンポの取り方ひとつでずいぶん印象が変わるのも不思議(今回の演奏は全体にテンポをゆっくり目に取って〈悲劇的な美しさ〉にポイントを当てた秀演)。

 すべては音楽が語っている。
 でも、音楽は何も語らない

2009年5月24日 (日)

雷雨

Franken 夜中に雷雨。

 またどこかでフランケンシュタインの怪物が何匹か生まれているのかも・・・

2009年5月23日 (土)

電子音楽の郷愁

Cds 療養中にメールで届いた原稿依頼の中に「実験音楽時代の電子音楽(1960年代まで)」について書いてくれませんか?という不思議なものがあって、東京に帰ってきてから仕事場のCD庫(通称ブラックホール)でそれらしきものを探す。
 
 シュトックハウゼン「習作」(1952)「コンタクテ」(1960)「少年の歌」(1956)「テレムジーク」(1966)、リゲティ「アルティクラツィオン」(1958)、ヴァレーズ「ポエム・エレクトリク」(1958)、黛敏郎/諸井誠「7のヴァリエーション」(1956)、三善晃「オンディーヌ」(1959)、高橋悠治「フォノジェーヌ」(1961)、湯浅譲二「プロジェクション・エセムプラスティク」(1963)、黛敏郎「オリンピック・カンパノロジー」(1964)、松平頼暁「トランジェント」(1964)、武満徹「怪談」(1965)、篠原真「ヴィジョン I 」(1965)などなど・・・どれも今のパソコン&デジタル機材を使えば30分くらいで出来てしまいそうな音楽だが、当時はこれをアナログの極致による手作りでコツコツ作っていたのだ!。そのあたりがテクノやハウスで育った最近の若い人の耳には新鮮に聴こえるのかも知れない。

 今あらためて聴くと、当時さんざん言われたような「難解で非音楽的(耳障り)」という感じはもはやなく、どれもレトロでどこか抒情的というか牧歌的な印象さえ覚えるのが面白い。あれから半世紀たった現実世界にあふれる普通の音の方が、「非人間的」という点ではるか上を行っているからだろうか。

 それにしても、子守唄やハーモニカでなく、電子音やホワイトノイズに「郷愁」を感じる・・・そんな時代が来ようとは。

2009年5月20日 (水)

療養中…続き

Krzw2 ←

 こうして
 写真で見ると

 まるで

 天国にでも
 いるような・・・

 

2009年5月18日 (月)

転地療養中

Krzwh ひさしぶりに休みを取って転地療養中。

 天下御免の自由業らしく、世間様の「連休」とはまったくズレた「一人時間差」の連休。携帯も繋がらずテレビもない(もちろんピアノもない)森の中のホテルで一人ゆっくり散歩と読書三昧・・・

 ・・・のはずだったのだが、結局持参のMacBookをネットに繋げてもそもそ始めてしまった。

Krzwi ちなみにここは、夜から明け方にかけて鳥のさえずりが美しい。(なにしろメシアンが鳥の歌を採譜した「野鳥の森」がすぐ隣)。

 ちょっと油断すると頭の中で音符にしている自分に気付くが、これは音楽的感興などではなく職業病の一種。枕元で夢を記譜し始めるのと同じで、やめた方が無難なようだ。

2009年5月15日 (金)

エルガーの時代

Elgarage 夜、NHK-FM「ベスト・オブ・クラシック」のN響コンサート生放送に解説でゲスト出演。(司会:山田美也子さん)

 曲目は、エルガー:チェロ協奏曲(vc:ロバート・コーエン)、交響曲第2番変ホ長調。演奏は、尾高忠明指揮NHK交響楽団。

 エルガーの時代(1900〜1910年代。日本では明治が大正に切り替わる頃)は、シャーロック・ホームズがロンドンの街を闊歩し、夏目漱石や山田耕筰がロンドンやベルリンで研鑽を積んでいた時代(私の曾祖父も森鴎外に次いでこの頃ドイツ留学していたそうだ)。こうして4人の髭を並べただけでも、なんだか不思議な懐かしさを感じてしまう…のは歳のせいか。

 エルガーの交響曲はイギリス人以外で誉める人は滅多にいないし、私も(第1番はともかく、この第2番については)敢えて名曲だと主張する気はない。
 でも、特に第2楽章とか、終曲の遠い目をした終わり方とか…その「後ろ向き」でどこか「心を殺している」心情が、実に心に染みていいのだなあ。(つまるところ、頑固で尊大なのに繊細なロマンティストなのだ。明治の男は)。

 ちなみに、この曲はマーラーの第9番と同じ年の作曲で、まるで2人の作曲家が共振しているかのような内容。ただ、芝居がかった演出効果の点でマーラーに一日の長あり…か。

 世の中には、悲しいとき臆面もなく涙を流して泣ける人と、どんなに悲しくても涙を流さずこらえてしまう人がいるように、ぬけぬけと泣ける交響曲と、それでも泣かない交響曲があるのである・・・

2009年5月13日 (水)

阿修羅の背中

Asura 最近、国立博物館での「阿修羅展」の影響でにわか阿修羅ブーム。(フィギュアまであるそうだ!)。

 私も高校の頃(40年前!)彼に魅せられ、何度か興福寺に通い詰めたあげく、最初に書いたオーケストラ曲に「管絃楽のための阿修羅(ASURA)」と命名したほど。なので、このブームはちょっと嬉しい。(ただし、人混みの中で彼を見る気はしないから、展覧会に行こうとまでは思わないけれど)

 それでも、ハイビジョンでの360°映像などを見ることが出来、横の二つの顔や背中までしっかり確認。顔は3つなのに耳は4つあることや、右の顔が下唇をかみしめていること、なぜか左足の薬指だけが長いこと…なども今回気付いた。(…どうでもいいことだけれど)
 
Asurascore01 ちなみに彼をテーマにしたこの曲は、1972年19歳の時に書き上げ、毎日音楽コンクールの作曲部門に参加したもののあえなく落選。演奏されないまま幻の作品に。

 もしその時、この曲が演奏されて作曲家デビューしていたら、あるいはその後、「鳥のシリーズ」ではなくて「天龍八部衆」(天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽)などというシリーズを書いていた・・・かも知れない。

 そう思うと、ちょっと遠い目になる。(…どうでもいいことだけれど)

2009年5月11日 (月)

ぬけられます

Photo_2 オペラの世界を抜け、しばし「濹東奇譚」の世界に遊ぶ。

2009年5月10日 (日)

オペラ座の人々

Opera_3 Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」更新。今回は「オペラ座の人々」。

 オペラについては、昔から「そのうち一つくらいは書いてみたい(ような気もしないでもない)」と思いつつ…結局書かずに来た。(モノドラマとかいう怪しげなものは幾つか書いているが…)

 そもそも「そのうち一つくらい」などという甘い根性で書けるような代物ではないし、言葉の問題にしろ舞台に関わる雑事の色々にしろ、想像しただけで気が遠くなる。余程のことがない限りたぶん書く機会はもうないだろう。

 大体オペラは、関わる人たちが多い。…多すぎる。(そのあたりについては上記Blogを参照のこと)。基本的に「人付き合い」が好きである程度「目立ちたがり」の人間でなければ、とてもじゃないが(文字通り)付き合いきれないんじゃなかろうか。

 私としてはやはり交響曲の世界がいい。引きこもって書けるから人付き合いはしなくていいし、歌はないから言葉の心配もないし、演奏されたってされなくたって金輪際目立つこともないし、作曲家が生きてたって死んでたって誰も気にしないし…(+ +)。

2009年5月 7日 (木)

デザイン&原稿

Minia 夏休みのアトム・コンサート(in 宝塚)のための←チラシのデザイン構想中。

 連休中は、連載Blogのための原稿書き(オペラについて)と、企画中の本(ちょっと変わった視点からのクラシック音楽解説書)のための資料集め。

 最近、「作曲家」なのかどうか怪しくなってきている・・・(^ ^;)

 いや、もちろん最初から充分怪しいのだけれど・・・

2009年5月 4日 (月)

新緑の音符

Forestq 世は連休とやらで新緑の季節。

 昔は←こういう景色を見ると、枝が五線譜・葉が音符に見えて、頭の中にきらきらと音が鳴り始めたものだけれど・・・今はそういうこともなくなった。


 音楽は世界のすべてで出来ているかも知れないけれど、

 世界のすべては音楽で出来てなんかいないよ。


 …生意気な木がそう言う。

 分かってるさ。そんなことは。

2009年5月 2日 (土)

アナログ vs デジタル

Degianaq 地デジのキャラクター「地デジカ」(右)が民放連から急きょ発表されたと思ったら、即日ネットに対抗キャラ「アナログマ」(左)が登場。

 もう既に歌も出来ていて、その素早さと無名性と反骨精神は、なんだか(日本古来の)落首とか狂歌の伝統を思い起こさせる。拍手。

2009年5月 1日 (金)

新・動物の謝肉祭

Zoologic この夏に開催予定の〈ATOMコンサート in 宝塚。第2回〉のためのアレンジ新作「新・動物の謝肉祭(仮題)」をもそもそと制作中。

 動物に因んだクラシック小品(犬、猫、鳥、象、虫…など)を集め、アドリブのお遊びを施しながら室内楽カルテット(flute, violin,cello & piano)用に「リミックス」してゆくわけだが・・・何だかプラモデルでも作っているみたいで、楽しい。

 ちなみに、昨年の第1回コンサートで好評だった「名曲メドレー(コンガラガリアン狂詩曲)」の第1部 および 第2部は、こんな感じ。

 こういう短い一発芸みたいな「ネタ」を少しずつ作っていって、コンサート一夜分あるいはCD一枚分にするのが老後の夢。

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