電子音楽の郷愁
療養中にメールで届いた原稿依頼の中に「実験音楽時代の電子音楽(1960年代まで)」について書いてくれませんか?という不思議なものがあって、東京に帰ってきてから仕事場のCD庫(通称ブラックホール)でそれらしきものを探す。
シュトックハウゼン「習作」(1952)「コンタクテ」(1960)「少年の歌」(1956)「テレムジーク」(1966)、リゲティ「アルティクラツィオン」(1958)、ヴァレーズ「ポエム・エレクトリク」(1958)、黛敏郎/諸井誠「7のヴァリエーション」(1956)、三善晃「オンディーヌ」(1959)、高橋悠治「フォノジェーヌ」(1961)、湯浅譲二「プロジェクション・エセムプラスティク」(1963)、黛敏郎「オリンピック・カンパノロジー」(1964)、松平頼暁「トランジェント」(1964)、武満徹「怪談」(1965)、篠原真「ヴィジョン I 」(1965)などなど・・・どれも今のパソコン&デジタル機材を使えば30分くらいで出来てしまいそうな音楽だが、当時はこれをアナログの極致による手作りでコツコツ作っていたのだ!。そのあたりがテクノやハウスで育った最近の若い人の耳には新鮮に聴こえるのかも知れない。
今あらためて聴くと、当時さんざん言われたような「難解で非音楽的(耳障り)」という感じはもはやなく、どれもレトロでどこか抒情的というか牧歌的な印象さえ覚えるのが面白い。あれから半世紀たった現実世界にあふれる普通の音の方が、「非人間的」という点ではるか上を行っているからだろうか。
それにしても、子守唄やハーモニカでなく、電子音やホワイトノイズに「郷愁」を感じる・・・そんな時代が来ようとは。
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