ケフェウス・ノート@関西フィル in 東京
プログラムは…
・サンサーンス:交響詩「死の舞踏」
・吉松隆:左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」(p:舘野泉)
・シベリウス:交響曲第1番ホ短調
藤岡幸夫指揮関西フィル
拙作ケフェウスは、改訂2管編成版での東京初披露(初演は昨年9月大阪で当夜と同じメンバーによる)。
抒情派=館野さんの魅力を全開にすべく、基本は「静かできれいな曲」なのだが、ワルツで浮かれてみたり、十二音が出てきたり、ゲンコツや肘打ちのクラスターが出てきたり、…とめくるめく妖しい夢のような20分間(^^;)
とどめのアンコール「アヴェマリア」も加えて、ホールいっぱいの温かい拍手に包まれる。感謝。
そして後半、関西フィルお得意のシベリウスも渾身の力演。若いオーケストラということもあるのだろうけれど、東京風の「(音楽が)好きです」ではなく、関西風「好きやねん」の熱きパワーが心地よい。(実際、大阪ではコンサートが毎回ほとんど完売になる人気オーケストラ。聴衆に若い人が多いのも頼もしい限り)
ちなみに今回の、指揮:藤岡幸夫、ピアノ:舘野泉、作曲:吉松隆…という3人は、「シベリウスつながり」であると共に、慶應義塾高校出身という「先輩後輩つながり」。もしかしたら満席のサントリーホールのX%は慶應関係者だったかも知れない(?)
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こんにちは、吉松さん。私は、関西在住の関西フィルのファンです。
関西フィルの東京公演に行って、ケフェウス・ノートをナマで聴きたかったのですが、スケジュールと財布は私に東京行きを許してくれませんでした。関西で、吉松さんの曲がもっと演奏されることを願ってやみません。
今、カムイチカプ交響曲にはまっているのですが、関西で公演予定はないんでしょうか…。私は九州出身なので、帰省するボン/ショウガツの時期での九州公演もOKなんですけどねぇ。管弦楽団にアピールするよい方法がないか、今検索中です。
(u_u。)
ところで、別の頁で日本人が西洋音楽をする意味について書いていらしたので、このページを借りて少しコメントさせてください。
(私が読んだ頁は2000年の時にお書きになっていたものなので、今は違う考えをお持ちかもしれませんが…)
私は一時期、日本人が西洋音楽を学ぶこと/することについて、よくわからなかった時期がありました。
ですが、今はその疑問はほぼ払拭されています。
なぜかというと、理由は2つあります。
一つ目。違うものと比較することで、日本音楽の長所/短所がより鮮明になるからです。これは、西洋音楽と日本音楽を同比率で比較することで、との前提条件付きですけども。たぶん、日本音楽だけをやってても長所/短所は分からないですし、逆もしかりでしょう。他人様のたとえを借りますが「カラスは白日の下に晒すことによってはじめて、その姿がくっきりと浮かび上がる」です。異質なものを習うことで、それぞれの長所/短所がよりわかり、よりよいものを創る動機につながるのではないでしょうか。
二つ目。音楽に国境はないからです。私は西洋音楽が好きでよく聴くのですが、聴いているうちによくわいてくる不思議が四つあります。
「遠くはなれた外国の人が創った音楽を聴いて感動している不思議」
「違う時代の人が創った音楽を聴いて感動している不思議」
「全然文化が違う人が創った音楽を聴いて感動している不思議」
「使っている言葉が異なるはずなのに、音(色)で喜怒哀楽がなんとなく分かるような気がする不思議」
個人的な経験で恐縮ですが、音楽って不思議です。ただ、日本愛国者の方からみると単なる西洋かぶれなのかもしれませんが…。
一方的に自分の考えを話してしまってすみません。
いよいよ夏!ですが、お体をご自愛くださいませ。
そして、喜怒哀楽に満ちた曲を今後も創っていってください。
(できれば、ピアノまたはバヨリン(注:ヴァイオリン。ときどきこう発音してしまいます)の初級者にも弾けるようなものを…)
(。_。*))))
投稿: もぐ | 2009年7月 6日 (月) 20:34