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別に鳩山新首相の国連での声明に影響されたわけではないが、今月からわが仕事場も年末までに山積み資料の25%削減を目標に整理を始めたところ。
音楽を初めてかれこれ40年。最初は三畳一間でこじんまりまとまっていた仕事場も、今では八畳二間とキッチンをぎっしり埋め尽くす本と楽譜とCDと資料の山になってしまったわけで…
さしあたり仕事の合間に毎日ちびちび0.2%(古紙2束)ずつ削減してゆけば、4ヶ月ほどで25%に達するのでは?・・・というのが取らぬ狸の皮算用。(しかし、捨てるのって本当に難しい)
最終的には、必要なものだけデータ化してコンピュータに取り込み、死ぬまでにはすべてきれいさっぱりモノの痕跡は消したい…というのが老後の目標。
その頃、日本の温室ガスの方はどうなっているのだろう?
ようやく大型連休が終わって、NHK608スタジオで「FMシンフォニーコンサート」10月分の収録。
10月4日(日)分は、ウェーバー:「魔弾の射手」序曲、ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調(vn:小林美恵)、ブラームス:交響曲第2番ニ長調。下野竜也 指揮 東京フィル。
10月11日(日)分は、三善晃「ノエシス」、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番ト短調(p:P.マンゴーヴァ)、リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」。尾高忠明 指揮 東京フィル。
改めて聴く「英雄の生涯」(意訳すると「ヒーローの一生」)は、英雄(自分)が敵(評論家たち)と戦って勝利するまではともかく、そのあと延々と過去の偉業を回想し、引退して隠居となり最後は伴侶にみとられながら死ぬ…というところまで描いているのが、シュトラウス先生の面目躍如。
作曲したのは最も血気盛んな御年34歳なのに、よくもそこまで老後を達観できたものだ。実際、彼の85歳の人生を思うと、あまりの符合に怖くなるというか、身につまされるというか。おお、こわ…
祭り太鼓の音に誘われて、ひさしぶりに色鮮やかな屋台がずらっと並ぶ境内を歩いてみると、昔とあまり変わりなくて、不思議なトリップ感に襲われる。
都会の雑踏とも初詣の群衆とも違って、子供(それも小中学生)が多い不思議な人口比率の人の群れ。夕方からは、小さな古い舞台の上で天狗の面の神楽も始まって、ちょっと田舎に帰った気分。
そういえば、昔は「タコ娘」(上半身が人間で下半身がタコ!)とか、「オオカミ女」(全身毛むくじゃらで生肉を食べる!)などという物凄く怪しい見世物小屋があったっけ。
もちろん「六尺の大イタチ」(大きな板に血が付いているだけ)の類なのだけれど。小さい頃は、タコ娘が真夜中に小屋をぬるぬると逃げ出して、近所の犬を吸盤で襲う夢を見て怖かった覚えが・・・(^ ^;)。
来年から東京フィルで始まる「新・音楽の未来遺産」シリーズ第1回で、「タルカス」を取り上げる事から、ロック専門誌(ストレンジ・デイズ)の取材を受ける。
今回の目玉は、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」をピアノとオーケストラ版にした「アメリカRemix」(ピアノ:中川翔太)と、プログレッシヴ・ロックの名作中の名作「タルカス」(キース・エマーソン)のオーケストラ版。(しかし、編曲が大変!。まだまだ終ってません)
単なる「オーケストレイション・編曲」からは完全に逸脱した「リミックス(再構成)」というべき試みで、作曲家の書いた音符を「聖書」と崇めるクラシック教では決してやってはいけない禁断&異端の技。
どうせ「邪道だ!」と言われるに決まっているので、シリーズのテーマを「JA道クラシック」(日本製(JA)であると同時に「邪道」)と命名する(^ ^;)
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午後、左手のピアノ・シリーズの新しい楽譜(音楽之友社)届く。
左手ピアノによる「3つの聖歌」(シューベルト、カッチーニ、シベリウス)と、3手連弾の「子守唄」および「4つの小さな夢の歌」。
聖歌3つは、普通に両手で弾く人が多そう。
…私も、これなら弾けるし m(^.^)m
某テレビ音楽番組でショスタコーヴィチの交響曲第5番を取り上げることになったそうで、作曲家と曲についての取材を受ける。
この曲、普通に聴くと「現代における運命交響曲」、斜めに聴くと「ソヴィエト&社会主義臭ぷんぷんの政治的交響曲」、音楽的に聴くと(第3楽章までは)フリギア旋法での和声法を開拓した「斬新で美しい交響曲」、一方、内容的には「スターリンの粛清(およびスペイン内戦)の犠牲者への鎮魂曲」。
しかも、この曲の圧巻は何と言ってもフィナーレの「凱歌」なのに、それがどうにも嘘っぽいのも不思議。この曲を絶対振らない指揮者から見れば、このフィナーレこそが恥ずかしい最大ポイントなのだそうだが、にもかかわらず圧倒的な力感と高揚感があるのがもっと不思議。名曲である事は確かだが、実に妙な曲なのである。
おまけに、第1楽章と第4楽章には明らかにビゼーの歌劇「カルメン」のハバネラ(しかも、この曲はビゼーの作ではないのである!)が組み込まれているし、(最近気付いたのだが)冒頭テーマは作曲の前年に亡くなったベルクの遺作ヴァイオリン協奏曲の引用っぽいし。
…と、説明している方もわけが分からなくなって来たほどなので、さて、どうやって番組でまとめるのか、だんだん不安になってきた・・・
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続いて、某講談社から新書として出版予定の書き下ろし音楽書の打ち合わせ。
こちらも、クラシック音楽のミステリーを読み解く…という趣旨の本なので、もちろんショスタコーヴィチに関する怪しい噂もあちこち登場。
楽譜に関する暗号や謎解きからオペラの中の殺人事件まで出てくるので、音楽書というより「間違ってミステリー・ファンが買ってしまうような装丁にしましょう、うふふ」という話になる。
午前中、嵐山周辺を散策し、午後、母親が作品を出している「明日へのかたち展」初日を見るために、三条高倉の京都文化博物館へ。
京都でのこの会も今年で20回目。工芸(染色、織、陶芸、金工など)を集めた展覧会で、21日(月・祝)まで開催中(入場無料)。
興味おありの方はどうぞ。
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それから新幹線に飛び乗って東京へ戻り、有楽町朝日ホールでの映画「ヴィヨンの妻」完成披露試写会に滑り込む。
満員で立ち見まで出る盛況(おまけに取材カメラもびっしり)はさすが賞の威力。
上映前には、根岸吉太郎監督と主役2人(松たか子&浅野忠信)による巨大な太宰治ねぶた人形を前にしたトークもあって、盛り上がる。
全編わりと暗い話なので、上映中、時々くすくすと笑い声が上がったのは新鮮な驚き。「え!ここで笑うのか」と驚いた箇所もいくつか。(まさか笑いが取れるとは思わないから、暗い音楽を付けてしまったのです…)
教訓。人間が真剣に生きている姿も、第三者(神)から見ればコメディである。
京都在住の方(京美人)の案内で、少し雨がしたたる中、宇治平等院へ。
学生の頃に来て以来だから、X十年ぶり。
新しく出来たモダンな展示館「鳳翔館」では、中に展示されていた雲中供養菩薩(笙や鉦や太鼓などを鳴らしながら雲の上から降りてくる菩薩たち)と見事な造形美の鳳凰像にしばし見とれる。
虚空からチリリンコロンとまさに「音楽」が聴こえてくるかのような風情。そう言えば「星夢の舞」でこういう音楽を書いたっけ、と密かに微笑む。
中でも、小首をかしげ片足をあげて軽いステップを踏んで踊る菩薩の一人(写真左上端)がとても可愛い。これはもしかしたら手塚治虫「火の鳥」鳳凰編のブチのモデル?
帰り道、伏見の造り酒屋にも幾つか寄ってみる。今回のお気に入りは、新高瀬川のほとりにある英勲(齊藤酒造)の「古都千年」。
夜は、祇園界隈をぶらぶら散策しながら、建仁寺の南にある「祇園丸山」で食事。
小さな庭の見える静かな空間でしばしくつろぐ。
…と、いつまでもこうしていたいが、そうもいかない(~ ~;)。
さて、明日は東京に帰って仕事せねば。
先日、ひょんな事からねこカフェなる処へ行くことになった。
実際に入ってこの目で見るまで、猫のぬいぐるみを来たお姉さんが「お帰りなさいませ、御主人さまにゃ〜♪」とかなんとかいうオチなんじゃないだろうな?という疑いもかすかにあったのだが(^^;)、そんなことはなく。
保育園風の作りの部屋で普通にお茶を飲んでる横に、ネコの従業員が数匹歩いていたり寝ていたりじゃれているだけの不思議な空間。
ちなみに、抱き上げるのは禁止だが、「おさわり」は自由。(それ以上は「ネコハラ」?)
こういうのが商売になる東京という街も凄いが、どのネコからも「わたしはプロです!」というオーラが出てるのが凄い。
同じように、歩いたり寝ていたりしてても、ウチのネコにはそんなオーラはない。どんな道にも「プロ」はいるものなのだな。
Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」更新。今回は「やぶにらみワグネリアンがゆく」。
ドイツ音楽界の三大巨人と言ったら、どう考えても「3大B」などではなく、「BBW」(バッハ・ベートーヴェン・ワーグナー)。
ところが、この「Mr.ビッグW」、熱狂的な信者がいる反面、蛇蝎のごとく嫌う人もいて、かの「Mr.H」と共に、現代ではちょっとした「人民の敵」扱い。壷に封じ込められたランプの魔人みたいになっている。
さて、この封印が解かれる日は来るのだろうか?
それとも、永遠に解かない方が人類のためなのだろうか?
NHK-BSでベンチャーズの特集番組を見る。なにしろ、初めて買ったLPレコードが「べンチャーズ・イン・ジャパン」(1965年来日公演のライヴ)だったので、懐かしさのあまり、つい。
小学生の時テレビから流れてきた「ウォーク・ドント・ラン」と「ダイアモンド・ヘッド」を聴いた時のショックは今でも覚えている。完全なインストゥルメンタルで、しかも突っ立って楽器を弾いているだけの音楽なのに、それはそれは衝撃的で「新しい音楽」だった。ビートルズ来日が1966年だから、ビート・ミュージックの洗礼としてはこちらの方が早かったわけだ。
あれからほぼ半世紀、結成50周年の今でもほぼ毎年来日公演をしているとは知らなかったが、私が知っているメンバーはギターのドン・ウィルソン氏だけ。(リード・ギター:ノーキー・エドワーズ、ベース:ボブ・ボーグル、ドラム:メル・テイラー…おお、まだ空で言える)。現在のドラムスは息子さんなのだとか。
ギターとベースとドラムスだけで「音楽」が作れると明快に示した点では、バンド・ミュージックの原点でありロックの基礎。初めからスタイルが完成されていた分、その後の進化発展は無いに等しく(実際、現在のメンバーでスタジオ・ライヴをやっても、65年の来日公演と同じメドレー同じサウンド!)ビートルズほど音楽的に高い評価は得られていないが、「変化しなくたっていいじゃない、永遠にこのままで!」と思わず呟いてしまうほど、その「お約束」のサウンドは郷愁にまみれて胸に沁みた。
お台場の実物大「ガンダム」に続いて、神戸の新長田では駅前の公園に全高18mの実物大「鉄人28号」が完成間近とか。
これは作者の横山光輝氏が神戸出身ということからの企画らしい。個人的にガンダムは世代が違うのだけれど、鉄人とアトムは同級生世代。科学者志望の小学生としては、自律型のアトムを作るか操縦できる鉄人を作るか、死ぬほど悩んだっけ。これはぜひ見に行かねば。
次はぜひ新宿都庁前に実物大のゴジラを。