軽井沢の霧の中で
これは深い問題をはらんでいるので、「わかる」とも「わからない」ともコメントできないけれど、ものを作る人間が多かれ少なかれ持っている宿命に関わることは確か。
若い頃は、創作の根源とは「知力と精神」だと信じているが、ある時それが「体力と肉体」であることを思い知る。その時、それに気付くまで創作者として生きて来られた幸運を天に感謝するか、それを喪失や恐怖と捉えるか…ということなのだろう。
太宰治もそうだったように、ものを作る人間としては「自らの作品(人生)に自らエンドマークを書き込む」という一種の美学もあるのだろうし。
同業者としては・・・今後軽井沢で「作曲家のお一人さまは宿泊ご遠慮いただきます」ということにならないよう祈るばかり。
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