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Appleが新しいタブレット型コンピュータ「iPad」を発表した。
どんな形状になるのか発表前から興味津々だったのだが、一見すると、画面が10インチ(正確には9.7インチ)になったiPod & iPhone、あるいはMac Book Airのモニタ部分だけ取り外してタッチパネル化した一枚型パソコン…といったところ。
もちろんWiFiや3Gと接続してiPhoneレベルのことはすべて出来る(電話になるかどうかは不明)ほか、薄さ13ミリ重さ680グラムでちょうど本を開いたサイズであることから、電子書籍(iBook)などの端末としても有効らしい。
音楽をやっている身からすると、一枚のパネル型になったことで「ピアノの譜面台に載せられる!」というのが第一印象。
ピアノを弾きながらの音符入力や、譜めくりいらずのパート譜…なんかも出来そうだし、文字用にも音楽用(鍵盤)にも変わる「携帯キイボード」としてもなかなか魅力的。
一枚型な分、置き方や持ち方に関してはちょっと不安だが、早くもドック型のキイボードとかスタンドを兼ねたカバーとかも登場しているようで、新しい使い方がどんどん開発されそう。
午後、「鳥たちの時代」が演奏される東京シティフィルの定期(指揮:藤岡幸夫)を聴きに、錦糸町のティアラこうとうへ。
シティフィルを聴くのは一昨年の「鳥は静かに」以来だが、冒頭演奏されたヴォーン・ウィリアムス「タリスの主題による幻想曲」の弦の美しい響きに心洗われる。霧にまみれたイギリスの田園の景色が目の前に広がって、涙が出そうになった。
続いて演奏された拙作は、なにしろ24年前(33歳)の作品なので、やたらと初々しい(笑)。指揮者が数字のキューを出したり、アドリブだらけのきらきらサウンドがちりばめられているあたりに〈現代音楽クラスター派〉の頃の残滓があって忸怩たるものが少し。でも、拍手を受けてぬけぬけと舞台に上がる。
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コンサート後半は失礼して、今度は「夢あわせ夢たがえ」が演奏される日本音楽集団定期演奏会(二十絃箏の40年/過去と未来)を聴きに、千駄ヶ谷の津田ホールへ駆け付ける。
二十絃の「育ての母」である吉村七重さんが、楽器と曲の40年の歴史を俯瞰する一夜。拙作は12年前(1998年)に書いた作品の邦楽アンサンブル版(原曲は二十絃&クラリネット、ヴァイオリン、チェロ)。
舞台に楽器(二十絃独奏、笙、横笛、尺八2、箏2、打楽器)が並んだ時、一瞬「え?こんな編成で曲書いたっけ??」と頭が真っ白になるも、聴いているうちに「ああ、書いた、書いた」と思い出す(笑)
こちらも後半は失礼してそそくさと会場をあとにし・・・気付いてみると、2つもコンサートに行って誰ともろくに話していない。
ものを作る人間は「知的障害のない自閉症」だと誰かが言っていたけれど、確かに人づきあいの悪さはますますひどくなっている気が。
さて、スコアの続きを書かなくては・・・
昨年夏からジタバタしていた「タルカス」オーケストラ版のスコアが、最後の章の〈アクアタルカス〉からコーダに到達して、ようやく全線貫通。
構想(よせばいいのにバカなこと思いついて)から1年。まさに独り手探りで海底トンネルでも掘っているような気分・・・長かった・・・
あとは、最終的な道路整備がいろいろ残っているものの、今月中には何とか全線開通の見込み。
仕上がったスコアはK.エマーソン氏にも送る予定。初披露のコンサートの詳細はこちら。
まじめなクラシック(特に現代音楽)ファンからは黙殺必至(というより意味不明)の愚挙かも知れないが、これも「交響曲を書きたい…」というのと並ぶ生涯の夢の一つだったので、これでもう思い残すことなく・・・・
・・・・次の曲が書ける。
偶然見つけたポーランドの女性サクソフォン奏者Alina Mleczkoによる新譜。
フィル・ウッズ、ヒンデミット、クレストンと並んで拙作「ファジーバード・ソナタ」が収録されている。
あのモコモコ鳥、ポーランドまで行ってるのか・・・・
2年ほど前にブログで紹介した佐村河内守(さむらごうち・まもる。1963〜)氏の「交響曲第1番」の音を耳にする機会があった。
昨年夏に広島で行われた世界初演コンサートの映像で、全3楽章のうち第1・3楽章のみの抜粋版というが、それでも42分ほどある。(全曲は70分を超えるのだそうだ)
延々と圧倒的な音響の洪水が続く大曲だが、すべての聴き手を巻き込む魅力に富むと同時に見事に設計された傑作だと確信する。
音楽のタイプとしては、後期ロマン派から近代あたりまでのハイブリッド。チャイコフスキー・マーラー・ニールセンなどなどのオーケストレイションのツボをよく研究吸収していて、とにかく良く鳴る。様々な楽想が出て来るが一本芯が通っているのでごった煮感はなく、不協和音も出て来るがマーラー止まりで、クラシック音楽初心者の耳にもすんなり受け入れられる。そのあたりは、ゲーム音楽の世界で培った絶妙なバランス感覚だろうか。
こういう音楽を書くと必ず「古い」とか「退嬰的」と批判する人が出て来るのがお約束だが、この曲に後ろ向きな脆弱さは皆無。ロマンティックな甘さはなく、とことんアグレッシヴで、どこまでもシリアス。そのあたりは日本人離れしていて、社会主義リアリズムの時代のソヴィエトの作曲家の作品…と言われたら信じてしまいそうになる。息の長さ、規模の大きさ、音楽の求心力などを含めて、日本人が書いた最高の交響曲のひとつだろう。
こういう才能が、現代音楽の傾向に呆れてクラシック音楽界を見限ってしまったのが20世紀最大の不幸…というのは数日前に愚痴ったが、この曲、4月に東京(初演時と同じ抜粋版)、8月に京都(全曲初演)で再演されるとのこと。世の中まだまだ捨てたもんじゃない。
ちなみに、広島での初演の様子はここで視聴できる。
気分転換にトラックボール(Kensington SlimBlade)を新調する。
普通に原稿やメールを書くぶんにはマウスやタッチパッドで充分なのだが、音楽制作では結構あちこちにカーソルやポインタを走らせなければならないので、昔からトラックボール派。
なるべくボールが大きくて、本体はいくぶん重量がある方が使いやすい。
というわけで今回は、シンプルなデザインに惹かれての衝動買い。
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…などと昨日、何も知らずに電気店巡りに街に出て、妙な雰囲気で初めて「休日(成人の日)」であることを知る。
成人の日と言ったら「1月15日」…と刷り込まれている世代にとっては、どうも「1月の第2月曜日」というのが納得いかないのだが、まあ、それはいいとして…
それより何より、どうしてテレビでは毎年「こんなのが〈成人〉じゃあ日本もおしまいだ」というような(荒れる成人式…風の)絵をわざわざ選りに選って流すのだろう。
二十歳でしっかりした子は幾らでもいるし、ほとんどは真面目な子ばかりのはずなのに、何か日本の未来をおとしめる陰謀が進行しているのだろうか?
Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」更新。今回は、「クラシック音楽の新しいレパートリーを考える 」。
先の事業仕分けに対して、音楽家から「文化芸術への助成金を減らすな!」という抗議の声が上がったとき、ふと漏れ聞いた一般市民のきつい一言。
・・・「芸術」って言い張ればお金をねだれるなんて、ぬるい世界ですよね。
それを聞いて、30年ほど前に私が「調性の復権」を主唱して作品を発表した時、現代音楽界の大先生に言われた言葉を思い出した。
・・・聴衆に媚びやがって。
芸術というのは、賛美の声の中で育つのではなく、ほとんどの場合、罵声の中を進むのだな。たぶん。
ピアノ・コンチェルト版「アメリカ Remix」ようやく仕上がる。
145ページのスコア(A4:73枚)というのは、手持ちの中型ホチキス(3号針)で綴じられる厚さの限界らしく、製本にひと苦労。
それでも何とかスコアデータ(Finale & PDF)をNHKビジネスクリエイト(写譜屋さん)にメール添付&宅ファイル便で送って、まずは今年初仕事ひとつ終了。
…とは言っても、本来は昨年暮れに〆切の仕事が年を越しただけなので、休む暇もなく、もう一本、「タルカス」のスコアの最終作成にかからねばならず。文字通りのビンボー暇なし。
こちらは、なんとか今月いっぱいくらいに仕上げる予定。コンサートの詳細はこちら
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ところで、昨年暮れに「半年ほどしたらアップデータが出ることだろう」と皮肉を言ったFinale2010だが、年末28日に早くも最初のアップデータ2010b.r1 for Macが登場した。
幾つかの細かいバグ修正と併せて認証問題もクリアされているようで、Mac Pro、MacBook(共にOS10.6.2)2台で無事作業が出来るようになった。 (メーカーの素早い対応に拍手!)
さしあたり現在進行中のスコアは2009で作成し、次の作品から2010に移行の予定。ひとまず…良かった。