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ひょんなことから白ウサギ(?)に誘われて川崎IMAXの「アリス・イン・ワンダーランド」で 3D 初体験。
そう言えば、むかし(20年ほど前)黒ネズミ(?)に誘われて、「キャプテンEO」(マイケル・ジャクソン主演によるディズニーランドの3Dアトラクション映画)というのを見たことを思い出した。
技術的には可能なのになぜか普及しなかったという点で「テレビ電話」と「3D映画」はながらく双璧だったはずだが、何か事情が変わったのだろうか。
ただ、個人的には、むしろ最近のハイビジョンやBlu-rayの鮮明画像の方が衝撃的。昨日今日あたりBSで放送されていたヒッチコック監督の「知りすぎていた男(1956)」や「めまい(1958)」の画面の鮮明さには思わず目を見張ってしまった。アナログ・フィルムの凄さ侮りがたし!
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夜、代々木に戻って、新しいCDの相談と打ち合わせ。
CDというメディアもそろそろ終息に向かいつつある現在、音楽はこれからどういう形になってゆくのか、作曲家・演奏家・プロデューサーという三者が顔をつきあわせると、ちょっと微妙な話になる。
でも、何十万何百万がターゲットのポップスと違って、もともと数百数千くらいが相手の「現代音楽」や「現代邦楽」の世界。しぶとく生き残るのは、案外(少数ながら確実な固定客を持つ)ライヴ主体の音楽家の方なのかも知れない。
話題の映画「アバター」のBlu-ray版が出たのでようやく見る。
映像は物凄くきれいで、惑星のジャングルの景色や架空の生物たち、さらにアバター(仮の身体)を介して入り込む青い顔の種族など、全編CGの作り物の世界なのにそのクォリティの高さったらない。Blu-ray版には3Dの立体感はもちろんないが、細部まで描き込まれた鮮明な画面は圧倒的で、手間のかけ方にしてもお金のかけ方にしても、何というか「負けた!」という感じだ。
ただ、物語の方は、未開の地に金目のものがあるので原住民たちを虐殺してまでかっさらう…という「強盗」のような話。原住民ナヴィ族の姿や文化がアメリカ・インディアンに似ているから、完全にそれと意識しているのだろうが、ジャングルでの闘いはそのままヴェトナム戦争だし、インカ帝国からアイヌ民族までの「先住民迫害」という人類の歴史の暗部が鮮明に映像化された感じで、2時間40分見続けて怖ろしく疲れてしまった。
最後は一応ハッピーエンド。でも、原住民に感情移入して味方になる(そして蜂起を煽る)主人公の行動は、99%以上の確率で「全住民大虐殺(&種族滅亡)」という最悪の結果を引き起こしたに違いないし、白人側から見れば(アメリカ人がもっとも嫌う)テロそのもの。イルカの虐殺に反対するからと言って、漁船を爆破し漁民を虐殺して良いのか?という感じ。(しかも、そういうツッコミを回避するため、同情の余地なしの悪役を仕込んであるあたりが上手い…もとい、あざとい)。というわけで、いくら「ファンタジー」と言われても、「エンターテインメント」として楽しむには怖すぎる映画かと。
音楽の勉強は「模倣」が基本。ベートーヴェンが気に入れば真似して作曲し、ビートルズが好きなら真似して歌う。
でも、あんまり「才能がある」と、そのまんまベートーヴェンそのまんまビートルズになってしまう。それではただの「盗作」であり「物まね」にしかならない。
むしろ「才能がない」方が、自分では真似しているつもりなのに、似ても似つかない「聞いたことのない音楽」になる。それこそが「創造」であり「個性」の原点。
芸事でも、最初から上手く出来てしまう器用な子より、なかなか出来ずに悩みながら鍛錬を重ねる子の方が、一家を成すという。
新しいものは「マネしそこなった」時にこそ生まれる。プロはそれが許されない可哀想な商売だが、若い人は真似や模倣を怖れちゃいけない。
才能のない人はさいわいである。
音楽はあなたのものだからだ。
上海万博の公式PRソング「2010等你来」が岡本真夜の「そのままの君でいて」に酷似している、というネットでの指摘から始まった「盗作」問題、二つの曲を聴いてみると確かに「偶然に似てしまった」という釈明は不可能なレベルで、これは完全にアウト。
結果、単なる「著作権」問題を超えて国を巻き込んだ大騒ぎになり、作曲者はどうやら雲隠れしてしまったらしい。などと聞くと、同じ作曲家の身としては何だか同情したくなる処も少し。
ただ、プロなら「90%以上(故意に)マネる」というような言い逃れできないレベルの盗用は絶対せず、リスペクトを込めたバランスで「拝借」するはず。だから「誰が聞いてもそっくり」というレベルになると、これはむしろ「過失」(あるいは初歩的ミス)なんじゃないかと思ってしまうほどだ。
そもそもポップスのヒット曲は、4小節単位の構成もビートもコード進行もすべて「至近距離」にあるから、逆に「まったく何にも似ていない楽曲」を創るのは不可能。それを逆手にとって「盗作」と言われない程度に「拝借」しまくることでヒット曲を生み出すのが、現代おけるヒット作曲家の「才能」。いや、皮肉ではなく。
そう言えば、昔、ポール・マッカートニーが「イエスタデイ」を作曲した時、あんまり自然に出来たので「どこかで耳にした曲を書いてしまったんじゃないか」と心配して色々な人に確認して廻ったらしいし、ただ今ヒット中の坂本冬美「また君に恋してる」も、キング・クリムゾンの「ムーン・チャイルド」にサビ部分が酷似しているのは往年のロック・ファンなら既にお気付きのはず。
100%の「盗作」は同情の余地なくアウトだが、75%の「拝借」、50%の「模倣」、25%の「影響」と考えてゆくと、その境界はかなり曖昧だ。ベートーヴェンはハイドンを模倣し、ビートルズはプレスリーを模倣し、それに「自分の意匠」を加えて次の世代に受け渡してきた。
先代に敬意を払い、次世代に継承する。それが「音楽文化」というものなのだろう。
ちなみに今回の件、万博事務局側が曲の同一性を認め、原作曲者(岡本真夜さん)が使用を承諾する…という意外や「大人の対応」で決着しそう。今後は作曲者名のクレジットを変更して明記し、新たに契約を結んで今までの楽曲使用料を支払えば「表向き」は解決。
ただ、「裏」ではまだまだ色々な意見がくすぶりそうだが…。
まだ未読で恐縮なのだが、巷で話題の村上春樹「1Q84」(Book3)に、「世界はナチズムと原爆と現代音楽を通過しつつも、なんとか生き延びてきた」というセリフがあるそうで、「あれって原典は吉松さんですか?」と聞かれてしまった。
さて、どういう文脈でのセリフか分からないのでコメントは難しいが、確かに「二十世紀には、最初は未来への希望と夢に燃えて産み落とされながら、結果的に悪夢にしかならなかったものが幾つかある」という脈絡の中で、ソヴィエト共産主義やナチズムそして原子力(原爆)と並んで「現代(無調)音楽」を挙げた現代音楽撲滅論を20年以上前からあちこち書き散らしてきたのは私です。
もちろん「現代音楽にそんな破壊力があるわけないじゃん」とツッコまれるためのボケを前提とした挑発アジ文で、そのあたりは「巨人、大鵬、卵焼き」(ちょっと例が古いが)とか「地震、カミナリ、火事、オヤジ」などと同じ。それなのに、中には真面目に「卵焼きはスポーツではない」とか「オヤジは災害ではない」(ごもっとも!)というような反論をしてくださる…まんまと挑発に乗ってくれた…もとい、真っ正直な若い方もいて、なんだか申し訳なく思っているところも少々。
ツッコむとしたらむしろ「(原爆やナチズムと比べるほど)現代音楽を過大評価している」という点であって、逆にその点を突いて「実は吉松センセは〈現代音楽振興派〉なんでしょ!」という鋭い指摘をしてくる人の方が、この「人の悪い世界」で生き延びることが出来そう。ほとぼりが冷めたら読んでみようか「1Q84」。
アイスランドの火山噴火で、大量の火山灰がヨーロッパ上空を漂い始めたため、イギリスを中心にヨーロッパ中の飛行場が閉鎖中とか。
<画像は(リアルタイムでヨーロッパ上空を飛ぶ飛行機の位置が分かる)Flight Radar24で見る昨日(上)と今日(下)の様子。黄色い印が飛行機。
大西洋から北ヨーロッパ全域にまったく機影がないのが分かる。
母が毎年作品(工芸部門)を出している光風会展を見に、六本木の国立新美術館へ行く。
様々な作風の(1000点前後はありそうな)色とりどりの絵画と工芸の間を歩いていると、なんとなく花壇を散策しているような気分。
でも、そのひとつひとつの作品の向こうに、煩悶している作家とその家族とそれぞれの人生があると思うと、不思議な怨念の風がひたひたと頬をなでるのを感じたりもするけれど・・・
会期は本日14日から26日(月)まで。(写真は許可を得て撮影しました。念のため)
最近、遅まきながらブルーレイのプレイヤーを買った。きっかけは実家の古いDVDプレイヤーが壊れてしまったからだが、高画質になった「2001年宇宙の旅」と「シャイニング」を見たかったのも大きな理由(++;)。
基本的には、何十回となく見た映画が「ただ高画質になっただけ」なのだが、初めて「メガネ」をかけて視界が突然クリアになった時のような「全く違った世界」が開けた気分を味わった。(「2001年」はBSでのハイヴィジョン版でも見たのだが、宇宙船の小さな窓に人の姿が鮮明に写っているのには感動。1968年だからもう40年以上前の映画なのに!)
思わず、色々な映画をブルーレイで見直してみたい衝動に駆られたが、考えてみれば、どんな映画でもブルーレイにすれば鮮明な画像になる…というわけではなく、最初のオリジナル・フィルムが鮮明で、かつそれが良い状態で保存されていなければどうしようもない。
音楽で言えば、オリジナルの録音テープがモノラルでノイズだらけだったら、いかにデジタル化しても音質に関しては救いようがないのと同じだ。
もちろん「画質や音質より〈中身〉だ!」というのも正論。しかし、一度これを見てしまうと、むかしのビデオテープの低画質の画面はとても見られない。ビデオにしても動画データにしても、最初に低解像度で制作してしまったら、時代の変化に耐えられないと言うことか。これはなかなか難しい問題を孕んでいるような気が…
Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」4月号更新。
今回は、ヴェルディvsプッチーニの後編「薄幸のヒロイン対決」。「椿姫」のヴィオレッタと「ラ・ボエーム」のミミ…という二人のヒロインを巡るヴェルディとプッチーニの「男の純情」対決。
映画「ヴィヨンの妻」のDVD届く。
音楽を付ける時にも試写会でもさんざん繰り返し見たわけだが、DVDになってちょっと距離感を持って見直すと、また違った味わい。
成瀬巳喜男や小津安二郎を思わせる昭和の香りと、精緻に創られた室内楽的なサイズの世界が心地良い。
美術(居酒屋や屋台や家のセット)が良くできているので、それをしみじみ見直すのも楽しみ。古びた木の家の横に積まれたガラクタとか、居酒屋で出される煮込みとか…なかなか良い味を出しているし。
ただ、音楽は…(改めて聴いてみると)ぜんぜん太宰治(浅野忠信)にピントがあってなくて、岡田青年(妻夫木聡)の見た佐知(松たか子)…みたいな視線(^^;)
元々は「人非人を夫に持った女の強さ(怖さ?)」がテーマのはずなのに、ちょっと抒情(きれいごと)に流れすぎたか・・・
アメリカでiPad発売。早くも楽譜や総譜を見ることが出来るアプリ(forScore)が登場。
単純にPDFの楽譜をめくれるだけの仕様のようだが、著作権フリーのクラシック名曲の楽譜の多くはIMSLPというサイト(文学で言う「青空文庫」のようなもの)で無料PDFデータが手に入るので、スコアや楽譜を読む画期的かつ最強デバイスになる予感。楽譜出版社にとってもかなりの脅威になりそう。
分厚いスコアも全部PDF化して収納できるから、例えばベートーヴェン・ブラームス・ブルックナー・マーラーの全交響曲とワーグナー・ヴェルディ・プッチーニの全歌劇のスコアをこれ一台に入れて持ち歩く…ということも可能。(これが本当のポケットスコア)
作曲家にとっても、自作を(売れない交響曲でも未発表のオペラでも)一人でPDF出版する可能性が開ける新しい時代の到来?・・・なのかも知れない(…それでも、売れないものは売れないって?)。