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2010年11月

2010年11月29日 (月)

五十回忌

1129 祖父(吉松駿二)の五十回忌でお寺に行く。

 私が小学生の頃に亡くなっているので、ぼんやりとしか記憶がないが、作家の死後50年で著作権が切れるというのは、こんな時間の距離感なのか…としみじみ(余計な)感慨にふける。
 要するに、祖父がもし作曲家や作家だったとしたら、その印税で食べていた孫たちは来年から路頭に迷うわけだ……(++;)

 ちなみに、仏教や神道でも、五十回忌(あるいは三十三回忌)をもって霊魂は大気に融けてしまうとか。
 魂も版権切れ(?)は同じらしい。

2010年11月27日 (土)

マリンバ協奏曲「バードリズミクス」初演

Kyokyo 京都市交響楽団定期演奏会@京都コンサートホールで、マリンバ協奏曲「バードリズミクス」初演。指揮:飯森範親、独奏:三村奈々恵。

 プログラムは西村朗「桜人〜さくらびと」(花)、吉松隆(鳥)、(森をイメージした自然賛歌の)ブラームス交響曲第2番…という「花鳥風月」並び。
 紅葉シーズンの秋の京都らしい(?)曲目……のせいか、指揮者&ソリスト人気なのか、ホールはぎっしり満員の盛況。

 本日世界初演のマリンバ協奏曲(三村奈々恵さん委嘱作品)は、ギター協奏曲(1984)以来伝統の「恵まれない楽器のためのコンチェルト・シリーズ」最新作。
 急緩急の「教科書的三部形式コンチェルト」の形を模しつつ、鳥の歌のシャワーに始まり、変拍子で疾走し、ロマンチックな歌を歌い、乾いたスケルツォを踊り、最後は熱狂のフィナーレに至る…という(毎度おなじみの)仕上がり。
 三村さんおよび京響の熱演もあって、演奏後はブラヴォーがずいぶん飛び交い、大成功の部類。三村さん共々何度も舞台に呼び戻される。

Koyo 終演後は、紅葉も見ずパーティも失礼して、そそくさと東京へ戻る。(でも、前の日にしっかり永観堂禅林寺の紅葉ライトアップは見たのだけれど→)
 ああ、今度京都の紅葉を見られるのは何時の日か……。

 ちなみに、再演は来年1月22/23日:山形交響楽団定期演奏会。東京では5月に東京フィル「響きの森コンサート」にて上演の予定。

2010年11月25日 (木)

題名のない音楽会収録

Tarkusz 文京シビックホールで「題名のない音楽会」:クラシックmeetsロック〜新作!プログレ交響組曲:収録。

 佐渡裕指揮東京フィルで
・タルカス:冒頭Eruption 約2分
 ギターのマーティ・フリードマン(メガデス)による
・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番第3楽章(ヘビメタ版?)
・タルカス:中間部分(Mass)原曲と聞き比べ 約1分
・タルカス:後半Manticore〜AquaTarkus 約7分

 京都からいきなり本番に駆け付けてフラフラだったのだが、楽屋でゲストの山田五郎さんとプログレの話をし始めたら止まらず、そのまま舞台上で佐渡裕さんが加わってオジサン3人のロック談義。これも止まらず(++;)。
 日本語ぺらぺらのマーティによるラフマニノフは、オーケストラパートはそのままにピアノパートをヘビメタ風エレキギターで歌い上げるというパフォーマンスで、これは「題名のない音楽会」ならではの絶妙な面白さ。

 そしてタルカスは……この曲、本当にライヴ向きだと改めて実感する。これを二十代半ばで書いたキース・エマーソンの才能に畏怖すると共に、ここに至る40年の歳月(この曲を初めて聴いて衝撃を受けた十代の頃から、それを採譜してオーケストラ化し、クラシック音楽界の無理解にめげながらも、初演にこぎつけるまでの長い長い道程)を思い、ちょっと感無量に。
 しかし、バカスカ鳴るオーケストラの音響のシャワーを浴びる快感は、通常のオーケストラコンサートでは滅多に味わえない鳥肌ものの体験。ロックがどうこうではなく、オーケストラ必殺のレパートリーとして世界中で演奏してもらいたい。(編曲権は作曲者に上納したので、私には一銭も入らないけれど…(++;)

 放送は、テレビ朝日で来年2月20日(日)、BSでは26日(土)再放送:27日(日)の予定。

2010年11月24日 (水)

マリンバ協奏曲リハーサル

Kyotoa 京都でマリンバ協奏曲「バードリズミクス」の初リハーサル。

 それはさておき…(^ ^)、天気はいいし紅葉真っ盛り、ということで「二条城(昼)」と「高台寺(夜)」でしっかりと紅葉狩り。

 初演は27日(土)14:30、京都市交響楽団第541回定期演奏会@京都コンサートホール。指揮:飯森範親、マリンバ:三村奈々恵。(…三村さん、全曲暗譜で力入ってます。乞うご期待)

2010年11月23日 (火)

題名のない音楽会リハーサル

Daimeio 東京オペラシティで「題名のない音楽会」のリハーサル。

 タルカス登場の回は「クラシックmeetsロック〜新作!プログレ交響組曲」(?)というタイトルで、オーケストラ版タルカス全20分のうち、冒頭、中盤、後半と3パートに分けて計10分ほどを紹介する予定。

 また、ロックサイドからクラシックへのアプローチと言うことで、ロックギターのマーティ・フリードマンがクラシック名曲協奏曲にチャレンジするコーナーも。

 演奏は、佐渡裕指揮東京フィル。ゲスト:山田五郎さん。

 本番収録は、11月25日(木)文京シビックホール。

2010年11月19日 (金)

鴎外の舞姫

Ogai 森鴎外の「舞姫」のモデルは誰か?という論争にほぼ終止符を打つNHK-BS「鴎外の恋人〜120年の真実」が実に興味深かった。

 鴎外(森林太郎)は1884年(明治17年:22歳)に軍医の研修で4年ほどドイツに留学。ライプチヒ〜ドレスデン〜ミュンヘン〜ベルリンで勉学と公務をこなしながら、コンサートやオペラにせっせと通い、シンフォニーを「交響曲(総体は「交響體(ジムフォニイ)」と訳したのも彼。バッハからワグネル(ワーグナー)までのクラシック音楽を実に的確に把握した日記(独逸日記)も残している。

 ちなみに、東宮侍医だった私の曾祖父(駒造)は、鴎外と同世代で彼に次ぐ二番手くらいに民間からドイツ留学して医学(小児科)を学んだ留学組。おかげで「ほぼ日本初の小児科専門医」として、昭和天皇の御幼少時の掛かり付け医に任命されたらしい。しかも、祖母方の出身地は鴎外と同じ津和野なので、昔から何となく他人事とは思えない(?)仲。

 それはともかく、鴎外はこのベルリン時代に15歳のエリーゼなる少女と恋仲になり、「軍医の職を辞しても結婚する」と決め、帰国の際に一便遅い船でこの少女を日本に呼んでいる。しかし、この結婚は森家および陸軍の猛反対を受けて果たせず、少女エリーゼは失意のうちに独逸に帰国。その後の消息は杳として知れず(一説には、文通はしていたと言う)、鴎外はその苦渋と後悔の思い出を(太田豊太郎と少女エリスの恋として)処女小説「舞姫」に書き残している。
(この小説の中では、豊太郎が自分を捨てて帰国すると知ったエリスは発狂し、彼の子供を身ごもったまま病院に入れられる。この最後の顛末は、明らかにゲーテの「ファウスト」のグレーチェンを意識していて、後の鴎外による日本初の「ファウスト」完訳とも呼応する)

 ただし、鴎外本人も森家も陸軍もこのことについては一切口をつぐんでいて、120年たつ今の今までそれ以上の「事実」は分からなかった。しかし、鴎外の後を追ってドイツ人少女が単身横浜の港に降り立ち、精養軒(ホテル)に一月ほど逗留した後に帰国したのは事実で、当時の乗船名簿には「ミス・エリーゼ・ヴィーゲルト」という名も残っているらしい。

 この「舞姫事件」のヒロイン、一時は31歳の人妻エリーゼ・ヴァイゲルト説が最有力とされていたが、数年前に植木哲氏の新説で、ベルリンの裕福な仕立屋の娘アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト(当時15歳)が浮上。
 今回のTV番組では、ドイツ人少女が残した刺繍のモノグラム(型金)の中に「RM」(森林太郎)というイニシャルとは別に、WやA・Bとも読める文字が隠れていることに注目。当時のベルリンの住所録などから彼女を特定してゆく。(このあたりは、手書きの戸籍を実際に探すしかないわけで、インターネットの検索などまったく役に立たない。現地に行くしかないわけだ)
 さらに、ユダヤ系ではなくカトリックとプロテスタントの両親を持つ娘であること、少女の家の資産(祖父の遺産と所有するアパートの家賃収入など)から日本への渡航費を充分工面できる経済状態にあったこと、当時のドイツの法律では15歳の少女でも特別の届け出なしに海外(日本)への出国が可能だったこと、などを突き止める。

 ここまででもほぼ90%決まりと思われたが、とどめは、鴎外の子供たちの名前。彼はこの事件の後に結婚した2人の妻との間に5人(一人は夭折)の子がおり、いずれも「於菟(おと=オットー)」「茉莉(まり=マリー)「不律(ふりつ=フリッツ)」とドイツ名でも使える命名をしているが、次女「杏奴(あんぬ)」三男「類(るい)」というのは、まさしく「アンナ」「ルイーゼ」ヴィーゲルトという恋人の名を仕込んだもの。
 さらに、番組ではドイツに帰国した後のエリーゼの消息も追跡。彼女は、鴎外と別れて数年後にガラス職人と結婚し、1950年代(70歳代)まで存命だったという。孫たちには鴎外との一件は全く話さなかったが、その娘のひとりの名は「エリーゼ」という愛称だったそうだ。

 教訓:証拠隠滅は最後まで気を抜かず「確実」に!

2010年11月18日 (木)

空想音楽博物館

Kuhso1214 12月14日渋谷アップリンクでのイベント「空想音楽博物館 vol.2:クラシックとロックの間に」の打ち合わせ。

 なんだかオケ版「タルカス」以来、ロック界と妙なつながりが出来てしまったが、今回は(オケ版タルカス初演の時に色々お世話になった)ロック誌「ストレンジ・デイズ」の編集長:岩本晃市郎氏とのプログレ対談。

 作曲家デビュー前にプログレの影響下で書いていた70〜80年代の怪しげな作品(カセットテープによる未発表音源!)なども、もしかしたら披露する予定。

2010年11月16日 (火)

FMシンフォニーコンサート12月分収録

Fmsymq NHK405スタジオで「FMシンフォニーコンサート」12月分1本の収録。

 今回は、マーラーの交響曲第5番嬰ハ短調。指揮:コンスタンティン・トリンクス。
 この曲、今でこそ「名曲」に数えられているが、私がクラシックを聴き始めた頃は「支離滅裂な作品(ハッキリ言って駄作)」という評価しか与えられていなかった。私も初めてバーンスタイン&ニューヨーク・フィル盤で聴いた時、その場で即「マーラー嫌い」になった(~ ~)。オーケストラの側がまだマーラーのスコアの鳴らし方のコツが分からなかったこともあるのだろうか。
 しかし、第4楽章の「アダージェット」をヴィスコンティが映画「ベニスに死す」(1971)で耽美的BGMとして使い、カラヤンが美音の極致で録音(1973)してから決定的に評価が変わった。要するに作曲家だけの力では「名曲」は生まれないのである。

Alma ちなみに、今回この曲をスコアを見ながらじっくり聴いていて改めて気付いたのは、この「アダージェット」というのは極めて性的な…敢えて言うならSEXのオーガズム曲線で出来ている…かなりイヤらしい音楽だということ。
 40歳まで(ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーと並ぶ)「花の独身組」だった純情男マーラーの音楽に、この第5番以降くさびのように食い込んでくる若妻アルマという「ミューズ(音楽の女神)」の存在に改めて背筋が冷たくなる。

 もちろん放送ではそんなイヤらしい話はしません。念のため(^ ^)。放送は12月12日(日)…か、あるいは特別番組が入った場合は来年の1月になる予定。

2010年11月15日 (月)

恐怖:ピアノの音漏れ

Schoenberg 最近、シェーンベルク先生のピアノ曲集が愛聴盤である。

 とは言っても、別に気に入って聞いているわけではなく、以前ブログにも書いた…仕事場の真上の部屋の「ピアノの音漏れ」対策である。

 ちなみに、一度管理人さんを通じて相談もしたし、単に「ピアノに触れていたい」というだけ老婦人が静かにぽつんぽつんと弾くだけなので(当初は「これは引っ越しを考えねば!」と思ったが)今のところそこまでの実害はない。

 それでも、その真下で仕事をしている身としては、ピアノが鳴り始めてしまったら、その間は少なくとも「作曲」の仕事は出来ないわけで……(++;)

 そこで(我慢していればせいぜい数十分で終わるので)漏れてくるピアノの音に合わせてシェーンベルク先生のピアノ曲を静かに流し、「匂い消し」をしながらピアノが止むまで別の仕事をしている…という次第。

 しかし、シェーンベルク先生の音楽にこんな「効用」があったとは!(今まで邪険にしてすみませんでしたッ)

2010年11月13日 (土)

日本橋でお芝居

Zen 知り合いが女優さん(しかも準主役)をやるというので、日本橋までお芝居を見に行く(^^;)

 明治座で演劇を勉強する素人さん(中には半素人さんもいるが、定年後のお楽しみ的な役者さんが多いか…)たちによる舞台。当然ながら、プロによる芝居と比べるべくもないが……それでも、そこそこ楽しめるのは不思議。
 妙な間合いのしらけ方とか、ウケを狙って完全に「はずして」いるセリフも含めて、その「ライヴ感」がなんだかとても楽しかった。音楽と違って全然「専門外」だから、上手い下手という細部に全く目が行かないからだろうか?(~~;)

 そもそも私には「台本通りにセリフを覚えてしゃべる」ということ自体が奇跡に思えるし…、「振り付け通りに身体を動かす(踊る)」というのは神業にしか見えないし…

 ちなみに、音楽だと、一音はずしたり音程が微妙にずれたりするだけで、偏頭痛と疼痛に襲われて悶え苦しんでしまうので、「楽しむ」のは本当に難しい。
 高校の時、音楽の先生が「音楽は趣味でやっていた方がずっと楽しいよ」と言われたが、まさしく「実感」である。

2010年11月10日 (水)

心優しき玩具たち

Tateno50 舘野泉さん演奏生活50周年記念コンサートを東京オペラシティに聴きに行く。

 間宮芳生:風のしるし
 末吉保雄:アイヌ断章(初演)
 Coba:記憶樹
 吉松隆:優しき玩具たち(初演)

 最後に出演者全員でシベリウス「カレリア」行進曲(わたくし編曲)。
 そして本日誕生日の舘野さんのためにお客さんと一緒に「Happy Birtyday」合唱。

 ソロ2曲はダイナミックで鬼気迫る演奏。Cobaさんの曲はご本人のアコーデオンでも聴いてみたい。末吉さんの新作は(作曲者自身の指揮も加え)まじめで現代音楽的な色彩豊かな音楽。対して、私の新作は(息子さんと弟さん&旧友2人という組み合わせもあって)家庭的でintimateな雰囲気。アンサンブルは完璧というわけにはいかないが、何と言うか(オモチャ箱を部屋に広げたような)微笑ましい心温まる音楽になっていた(ような気がする)。

 終演後、コンサート後半を聴きにいらした皇后様と、舘野さん&作曲家演奏家数名とでVIPルームで歓談。お会いするのは二度目。むかし皇后様と舘野さんとの連弾のために「子守唄」を書いたことがあり、「また書いてくださいね」と言われる。

 しかし、大曲ばかりの長丁場のコンサートだったにもかかわらず、舘野さん、お元気だ。「第2の人生」という言い方があるが、両手のピアニストとして一世を風靡したうえで、さらに今、左手のピアニストとしても一家をなしている。これはもう「2倍の人生」。羨ましき哉。

ハイドン博士の音響合成マシン

Haydnc Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」11月号更新。

 今回は、電子音楽〜コンピュータ〜シンセサイザーの黎明期の回想に絡めて、ハイドンの弦楽四重奏とオーケストラを語る「こじつけ&やぶにらみ音楽論」。

 でも、かれこれ30年以上も前、4チャンネルの音響モジュールが出た時「ああ、これは弦楽四重奏だな」と思ったし、コンピュータ制御のシンセサイザーが登場した時「これはオーケストラそのものじゃないか」と感じたのは事実。

 つまるところ作曲家というのは、今も昔も、音響合成マシン(オーケストラ&シンセサイザー)に楽曲データを入力する「プログラマー」なのである。

 そして、彼が見る夢こそが「音楽」なのだ。

 たぶん。

2010年11月 5日 (金)

師匠の交響曲を聴く

Cdmazmra_2 ようやく出たNAXOSの日本作曲家選輯新譜で、師匠松村禎三の交響曲第1番と第2番を聞く。

 第1番(当時はただ「交響曲」というタイトルだった)は、「日本にこんな凄い交響曲を書ける作曲家がいたのか!」という衝撃を受け、(次作「管弦楽のための前奏曲」と共に)私が弟子入りするきっかけになった曲。
 冒頭「ダフニスとクロエ」っぽいフランス趣味のオーケストレイションから、似ても似つかぬアジア的どろどろのサウンドが出てくることに心底驚嘆したのが40年ほど前のこと。(師匠は、アジア風楽想の音楽が印象的だが、若い頃あんまり「ラヴェルがラヴェルが」と言うので、友人から「ラベ公」と呼ばれていたほどのフランス音楽信仰派。松村という姓が「しょう・そん」とも読めるのでショーソンを信奉し、邦楽曲に「詩曲」と題したりもしている)。
 この師匠36歳の時の作に対抗して「36歳までに交響曲を書く」というコケの一念にこだわり、実際36歳の時に最初の交響曲(カムイチカプ交響曲)を書いたのが、私が交響曲という泥沼の世界に足を突っ込んでしまったそもそもの原因。お恨み申し上げます m(+ +)m。

 弟子入りした頃(まだ十代)は、師匠ゆずりの〈音符たくさんゴチャゴチャサウンド〉に憧れていたものの、膨大な音群をコントロールしそれをスコアに書き込んでゆくにはかなりの精神的持続力(というより執念と怨念)が必要。何度「キミの音楽は息が短いね−」と酷評されたことか。
 おかげで、師匠の音楽の「持続力&息の長さ」に対抗意識を燃やし、いつの間にか無駄に長い交響曲を書くようになってしまったが、今聞くと「第1番」は全3楽章で20分ほど。もちろん音楽の価値は音楽は長さじゃない…のだが、「(世俗にまみれず)とにかく長い時間をかけてデカい曲を書くべし」という教えに半生を支配された弟子としては…、ちょっぴり意外。

 最晩年70歳近くなっての「第2番」は、交響曲と言うよりピアノとオーケストラによるモノローグ(独白)という曲想。こちらは全3楽章で24分ほど。第1楽章途中でハ長調の壮大な響きが出てくるあたりでは「おおッ」と思ったが、最終楽章がわずか3分ほどで終わってしまうのはいくら何でも短く不完全燃焼の感があって、初演の時はとても作曲者に声をかけられなかった記憶がある。
 今回の演奏(湯浅卓雄指揮アイルランド国立交響楽団)は、おそらくその後の改訂稿。なかなか充実した演奏で、終楽章の「え、もう終わってしまうの?」という印象は変わらないものの、それは「もう少し聞いていたいのに」という気持ちが強い。

 最後に収録されている「ゲッセマネの夜に」は、オペラ「沈黙」の残滓で晩年キリスト教寄りになった師匠の信仰告白的な曲。一時ロックオペラ「ジーザス・クライスト・スーパー・スター」にしきりと感心していて、弟子の中では唯一のロック通(ということになっていた)私と一緒になって「ゲッセマネの夜に、キリストが山の上で人間的な苦悩を吐露するシーンが最高だよねー」と感心しあっていた覚えがある。
 仏教的でインド的かつアジア的サウンドは、師匠の師匠:伊福部昭御大の強い影響下にあったわけで、晩年のキリスト教指向はそこからの脱却だったのだろうか。むかし「師匠を踏みつけにして先に進むことが弟子のつとめだよ」と言われたが、師匠の言うことで実践したのはそれだけかも知れない。文字通りの〈不肖の弟子〉である。師匠、申し訳ない。 m(+ +)m。

2010年11月 4日 (木)

似てる似てない

Copyno 国内の某ウサ耳キャラが、オランダの某ウサ耳キャラに「あまりにも似ている」として著作権侵害の訴えを起こされてしまった…というニュース。

 しかし、頭に丸い耳を乗せればアメリカ製の某ネズミに、とがらせれば某ロボットに、取ってしまうと某ネコ型ロボットに、長く伸ばせばその某ウサ耳キャラに似てしまうわけで……。

 デザイナーも大変だ。

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