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2010年11月 5日 (金)

師匠の交響曲を聴く

Cdmazmra_2 ようやく出たNAXOSの日本作曲家選輯新譜で、師匠松村禎三の交響曲第1番と第2番を聞く。

 第1番(当時はただ「交響曲」というタイトルだった)は、「日本にこんな凄い交響曲を書ける作曲家がいたのか!」という衝撃を受け、(次作「管弦楽のための前奏曲」と共に)私が弟子入りするきっかけになった曲。
 冒頭「ダフニスとクロエ」っぽいフランス趣味のオーケストレイションから、似ても似つかぬアジア的どろどろのサウンドが出てくることに心底驚嘆したのが40年ほど前のこと。(師匠は、アジア風楽想の音楽が印象的だが、若い頃あんまり「ラヴェルがラヴェルが」と言うので、友人から「ラベ公」と呼ばれていたほどのフランス音楽信仰派。松村という姓が「しょう・そん」とも読めるのでショーソンを信奉し、邦楽曲に「詩曲」と題したりもしている)。
 この師匠36歳の時の作に対抗して「36歳までに交響曲を書く」というコケの一念にこだわり、実際36歳の時に最初の交響曲(カムイチカプ交響曲)を書いたのが、私が交響曲という泥沼の世界に足を突っ込んでしまったそもそもの原因。お恨み申し上げます m(+ +)m。

 弟子入りした頃(まだ十代)は、師匠ゆずりの〈音符たくさんゴチャゴチャサウンド〉に憧れていたものの、膨大な音群をコントロールしそれをスコアに書き込んでゆくにはかなりの精神的持続力(というより執念と怨念)が必要。何度「キミの音楽は息が短いね−」と酷評されたことか。
 おかげで、師匠の音楽の「持続力&息の長さ」に対抗意識を燃やし、いつの間にか無駄に長い交響曲を書くようになってしまったが、今聞くと「第1番」は全3楽章で20分ほど。もちろん音楽の価値は音楽は長さじゃない…のだが、「(世俗にまみれず)とにかく長い時間をかけてデカい曲を書くべし」という教えに半生を支配された弟子としては…、ちょっぴり意外。

 最晩年70歳近くなっての「第2番」は、交響曲と言うよりピアノとオーケストラによるモノローグ(独白)という曲想。こちらは全3楽章で24分ほど。第1楽章途中でハ長調の壮大な響きが出てくるあたりでは「おおッ」と思ったが、最終楽章がわずか3分ほどで終わってしまうのはいくら何でも短く不完全燃焼の感があって、初演の時はとても作曲者に声をかけられなかった記憶がある。
 今回の演奏(湯浅卓雄指揮アイルランド国立交響楽団)は、おそらくその後の改訂稿。なかなか充実した演奏で、終楽章の「え、もう終わってしまうの?」という印象は変わらないものの、それは「もう少し聞いていたいのに」という気持ちが強い。

 最後に収録されている「ゲッセマネの夜に」は、オペラ「沈黙」の残滓で晩年キリスト教寄りになった師匠の信仰告白的な曲。一時ロックオペラ「ジーザス・クライスト・スーパー・スター」にしきりと感心していて、弟子の中では唯一のロック通(ということになっていた)私と一緒になって「ゲッセマネの夜に、キリストが山の上で人間的な苦悩を吐露するシーンが最高だよねー」と感心しあっていた覚えがある。
 仏教的でインド的かつアジア的サウンドは、師匠の師匠:伊福部昭御大の強い影響下にあったわけで、晩年のキリスト教指向はそこからの脱却だったのだろうか。むかし「師匠を踏みつけにして先に進むことが弟子のつとめだよ」と言われたが、師匠の言うことで実践したのはそれだけかも知れない。文字通りの〈不肖の弟子〉である。師匠、申し訳ない。 m(+ +)m。

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