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作曲鬱いろいろと末期・・(v_v)
煮詰まって発狂寸前のこういう時に限って、iPadで論理学の本など読み始め、いつも必ず嘘をつく「クレタ人」が「私は嘘つきです」というのはパラドックスになるという点に関して逆に彼が「これは毒キノコではありません」と言えばそれは毒キノコなのだから「嘘つき」クレタ人だと知られた時点で最強の「正直クレタ人」になってしまうんじゃないか?というパラドックスのパラドックスに気付き嘘か本当か分からない言動を取るからこそ「嘘つき」なのであり100%嘘をつけばそれは正直者になってしまいそれを嘘つきと規定する設定そのものがパラドックスの根源なのではないかという死ぬほどどうでもいい話が頭の中を渦巻いている・・(・_・)
夜、大河ドラマ「平清盛」第21回「保元の乱」放送。
叔父忠正の「絆など初めからないわ」という言葉が、最も深い絆を表すというパラドックス。そして・・平安時代のドラマの音楽をオーケストラとピアノで書くというパラドックス。
ちなみに、音楽は「軟派(きれい)系」「硬派(ごつい)系」取り混ぜていろいろ供給しているつもりなのだが、選曲は(遊びをせんとやに代表されるような)きれい系のヘビーローテーションが目立つ。特に今回のような戦乱の回はきれい系を挟まずごつい系ばかりで押し切っても良かったのにと感じたのだがどうだろう。タルカスは変拍子&不協和音の印象があったのだがこういうところで鳴らすと明るくポップに聞こえるのがちょっと意外な発見。次回「勝利の代償」は音楽のバランス&鸚鵡の使い方ともども好み(?)に近いかなと。乞うご期待。
大河ドラマの音楽:第8巻オーケストラ10曲を書き上げて写譜にまわす。77ページで30分弱。交響曲1曲分。
続く第9巻は、ストリングス+楽器数種のアンサンブル版十数曲。こちらも今月末までに仕上げる予定。
総計100曲ちょい・・・区切りが良いから(煩悩と同じ)108曲にしようか・・・
(ちなみに、全部足すとベートーヴェンの交響曲第3番から9番までの7曲分とほぼ同じ長さ・・(○_○)
余談だが、先日届いた本編試写DVDで一足先に第22回「勝利の代償」(保元の乱の次の回)を見て、その神懸かった出来に感心してしまった。
特に、悪左府頼長さまのオウム。(「内密ニナ」とか「粛正!」とか呟いていた)彼が、主の死のあとに見せる・・・動物好きなら号泣必至の名演(?)に・・・・涙・涙・(T_T)
仕事場で「楽譜制作」作業をするときは、必ず本体パソコンの内臓と外付けHDD(ハードディスクドライヴ)2台に同時にデータを保存する。一台が万一クラッシュしても、もう一台のデータで復元できるようにである。
そして、同時に必ずネット上の〈DropBox〉という場所に、常に最新のデータを保存しておく。
さらに、日々のデータはキイ型のUSBメモリに保存して外出時は必ずポケットの中に持ち歩く。
それでも不安で、楽曲データはまとめてポータブルHDDに入れて鞄の中に保管することにしている。
にもかかわらず、時々プリントアウトしてハードコピー(紙)としても保存しておく。
こういうのは何というか・・・外出のたびに玄関の鍵とか電気のスイッチとかガスの元栓とかのチェックが死ぬほど気になるのと同じで・・・「ストレージ(外部記憶装置)強迫症」とでも呼ぶべきか。
■追記・・・
人も、自分がクラッシュ(死ぬ)するのを恐れ
コピー(子孫)を作る・・・
一人だけだと不安なので二人三人
相手(妻&夫)が一人でも不安なので
愛人も二人三人・・・(^_^;
それでも清盛みたいに一代で滅びてしまうことがあるわけで
諸行無常の響きアリ・・・
作曲作業が追い込みにさしかかると必ず発症するのは・・・欝(うつ)である。
・憂鬱になる
・人と話さなくなる
・幻聴と妄想が訪れる
・ストレスがたまりまくる
・(〆切に)恐怖を感じる
・首が回らなくなる(経済的にも)
・(頭の中を音楽がグルグル鳴って)熟睡できない
・書きかけの楽譜が突然消滅しないか死ぬほど気になってあちこちにバックアップを取りまくる。
・目にする文字や模様が全て…八分音符や付点十六分休符やシャープやフラットやタイやスラーやアクセントやスタッカート記号に見えてくる。
などなど色々な症状が出る・・・。
ついでに最近はマウスの使いすぎ(一日トラックボール型マウスに手を乗せっぱなし)のせいか右手掌が軽い炎症になる。
いわゆる「マウスだこ」だが、治療法をネットで検索すると《舞う酢蛸》と出る・・・。なるほど。トラックボールだと、さしずめ《踊るしめ鯖》か。
というわけで、大河ドラマの音楽を一年間にわたって一人で100曲近く書き続けてしっかり末期の欝状態になっている作曲家に決してやっていけないことは・・・
作曲すすんでますか?(がんばってください!)と声をかけることと、
背負い投げをかけること、である。
NHK504スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」6月分2本の収録。
6月3日(日)放送分は、伊福部昭「交響譚詩」、ラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」(p:小山実稚恵)
6月10日(日)放送分は、ベルリオーズ「幻想交響曲」。山田和樹指揮東京フィル。
私の師匠の師匠である伊福部先生とラヴェルは深い繋がりがあって、特にこの「(両手のための)ピアノ協奏曲」には「ゴジラ」のテーマが出て来たりする・・♪ゴジラ、ゴジラ、ゴジラが出て来たぞ…という怪獣マニアにはお馴染みのアレである。・(^O^)/
もちろんラヴェルが「ゴジラ」を見てパクッたのではない。念のため。
ついでに、ベルリオーズとは「管弦楽法」繋がり(両者とも「管弦楽法」の大著を書いているオーケストレイションの大家)。世界は色々なところで繋がっている。
Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」5月号更新。
今回は、舘野泉さんの《左手の音楽祭》に因んで…ピアノの右と左の世界を探求する「左手のピアノの内宇宙」。
片手・片腕・隻腕(せきわん)…はいずれも差別用語ぎりぎりの単語なのだそうだが、そう言ってしまうと「左手のピアニスト」なども相当危ないことになる。
しかし、舘野泉さんの「左手」は、今や人々を感動に巻き込む賛辞の言葉であり、その「神の左手」はもはや前人未踏の領域に踏み込んでいる。
なぜ「左手のピアノ」ばかりで、「右手だけのピアノ」がないのか・・・その衝撃の理由にも迫る!・(^x^)
朝日新聞の読書欄「思い出す本、忘れない本」に記事掲載。宮澤賢治全集との出会いと自分の音楽について。今回の担当はヨシマツ1号なので、少しシリアス。
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NHK大河ドラマ「平清盛」は本日、後半の主要人物…平重盛(窪田正孝)、基盛(渡部豪太)、経子(高橋愛)ら6人の配役を発表。
若い視聴者には人気の旬の俳優を揃えたようだが、いかんせん若すぎて、私のような中高年組には馴染みがない。これも「新しい(武士の)世」を描く時代の波か。
というわけで、今夜の第18回「誕生、後白河帝」は、平安時代の〈新人類〉?後白河帝の誕生話。
平氏と源氏の世を生き抜き、のちに大天狗と呼ばれる…今様(カラオケ)好きで「きょほほ」笑いの新帝は、イメージとしては(映画アマデウスの)モーツァルトか?
世の中は「連休」というものだそうだが、自由業には全く関係がない。一年中休みといえば休みだし、年中無休と言えば無休だからだ。
そんなわけで、以前、飲み屋で「いいですよね、休める(ような仕事の)人は」とぼやいたら・・「いいですよね、休めない(ほど仕事がある)人は」と言われたことがある。まあ、どちらにしろ、休みを真に休める人は幸いである…ということか。
もっとも、ちょっと前までの日本人は(父もそうだったけれど)、毎日毎日休まずせっせと何かをやっているのが当たり前だった。毎日毎日ごはんを食べ・酒を飲み・トイレに行き・音楽を聴き・夜は眠るのと同じように、別にその生活を「休もう」とは微塵も思わなかったわけだ。
そもそも子供は毎日遊ぶモンだし、作曲家は毎日作曲するモンだし、酒飲みは毎日酒を飲むモンなのだ。
魚が毎日泳ぎ、鳥が毎日飛び、ネコが毎日寝るようにね…
ヤマハが開発したVOCALOIDキイボード→Info。
リアルタイムで「歌」を「弾く」という発想がなんとも楽しい。
操作は・・・左手で「子音+母音」のキイを押しながら、右手で鍵盤を弾く・・・という「なるほど、そうきたか」な構造。
携帯メールを打ち慣れた若い人ならすぐ自在に扱えるようになりそうだが、市販の予定はないというのが、ちょっと残念。
もっとも、実際にライヴなどで使うとなると、「歌詞は最初にすべて入力しておく」というスタイルの方が現実的かも知れない。
そのうえで右手の操作は〈ロングトーン〉と〈ヴィブラート〉(および音量)に特化すれば、かなり「楽器」として活躍できそうな気がする(のだが・・どうだろう)。