作曲鬱@末期
作曲鬱いろいろと末期・・(v_v)
煮詰まって発狂寸前のこういう時に限って、iPadで論理学の本など読み始め、いつも必ず嘘をつく「クレタ人」が「私は嘘つきです」というのはパラドックスになるという点に関して逆に彼が「これは毒キノコではありません」と言えばそれは毒キノコなのだから「嘘つき」クレタ人だと知られた時点で最強の「正直クレタ人」になってしまうんじゃないか?というパラドックスのパラドックスに気付き嘘か本当か分からない言動を取るからこそ「嘘つき」なのであり100%嘘をつけばそれは正直者になってしまいそれを嘘つきと規定する設定そのものがパラドックスの根源なのではないかという死ぬほどどうでもいい話が頭の中を渦巻いている・・(・_・)
夜、大河ドラマ「平清盛」第21回「保元の乱」放送。
叔父忠正の「絆など初めからないわ」という言葉が、最も深い絆を表すというパラドックス。そして・・平安時代のドラマの音楽をオーケストラとピアノで書くというパラドックス。
ちなみに、音楽は「軟派(きれい)系」「硬派(ごつい)系」取り混ぜていろいろ供給しているつもりなのだが、選曲は(遊びをせんとやに代表されるような)きれい系のヘビーローテーションが目立つ。特に今回のような戦乱の回はきれい系を挟まずごつい系ばかりで押し切っても良かったのにと感じたのだがどうだろう。タルカスは変拍子&不協和音の印象があったのだがこういうところで鳴らすと明るくポップに聞こえるのがちょっと意外な発見。次回「勝利の代償」は音楽のバランス&鸚鵡の使い方ともども好み(?)に近いかなと。乞うご期待。
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コメント
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以下、暴論デス
↓
当時の楽器で演奏することが一番いいとは思いません。
ドラマの音楽は
当時のヒト-平清盛たちが、
何を思い、何を大切にしていたのか。
彼/彼女が生きた時代は、どんな世界だったのか。
…と云ったものを表す手段の一つであり、
平安時代の音楽を再現する事が主目的ではないと思います。
別に西洋楽器で日本の昔むかしを表現したっていいじゃないですか〜。
ドラマの主人公は、あくまでもヒトなんですもん。
昔むかしのヒトと共通していること。
昔むかしのヒトの考えと相いれないもの。
それに気づき、楽しむ事が時代ドラマの醍醐味っす!
( ´ ▽ ` )ノ
投稿: Ryoko | 2012年5月28日 (月) 21:02