師匠(松村禎三)の本(春秋社)が届いたので読む。
生前音楽誌などに書いた文章や作品解説をまとめたものなので、一応弟子だった私にはほとんど既読のものだが、若い頃(特に三十代)の覇気と気概に満ちた文は、みな瑞々しくも懐かしい。
昔の音楽というのは〈古い〉んじゃない。〈若い〉んだ!
という一語は今も心に残っている。
確かに、平安時代の音楽などは(古いといえばめちゃくちゃ古いが)とにかく自由で若々しかったに違いないし、先日解説を収録した黛敏郎「涅槃交響曲」(1958)にしろ師匠が残した「交響曲」(1965)や「管弦楽のための前奏曲」(1968)にしろ、60年代前後の彼らの音楽は(50年以上前の「古い」音楽なのに)とてつもなく「若々しい」。
それが「型を手に入れ完成を極めた途端、(どんな音楽も)衰退が始まる」という指摘は恐ろしい。西洋クラシック音楽も戦後の前衛音楽もジャズもプログレッシヴロックも皆そうだったし、そういう師匠も、そして弟子の私も・・・(以下表現自粛)
作曲は「道」であり「業(カルマ)」である。
というのも師匠の言葉。
音楽を創る…というのは、仕事でも娯楽でも趣味でもなく、武道や芸道を極めるのと同じく無欲な生涯鍛錬の《道》であり、生れ落ちた時から背負っている「そうするしかない」宿命のようなもの、というわけだ。
これを「管弦楽のための前奏曲」をバックに唱えられると「そうかなあ」という気になって来て…おかげで二十代の数年間しっかりマインドコントロールにかかっていた(><;)
でも、ある時ふと気づいた。
重く言えばそうだが、軽やかに言えば・・・「♪遊びをせんとや生まれけむ」ということなんじゃないか、と。(^^;)
音楽は確かに「Play(遊び)」なのだ。
ただ、師匠も私も、果てしなく重く逃れようのない「遊び」を(ほかにたくさん楽しいことはあるはずなのに)一生賭けて選んでしまっただけなのである。合掌。