ミクV3
留守中に初音ミクV3(ENGLISHバンドル版)届く。
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留守中に初音ミクV3(ENGLISHバンドル版)届く。
今回、嵐山にも一泊する予定だったのだが、先日の台風で桂川が氾濫して旅館が休業となってしまったので、様子を見に出向いてみた。
京都へ出向き、母(吉松道子)が毎年出品している工芸展「明日へのかたち展」★初日を見る。
今回は「虹色の記憶」(右:旧作)と「虹の子」(左:新作)というペアでの出品。酷暑の夏の間もそもそと作り続けていた御年87歳作(!)の巨大刺繍(刺し織り)である・・・
会場には、やはり酷暑の夏の間にもそもそと作り続けていたのであろう力作(織・染色・陶芸・金工など)が数十点。油絵だけの美術展と違って、布や木や土や金属など様々な材質が醸し出す(地球っぽい)多層的な質感が心地良い。
京都文化博物館(高倉通り三条上ル)5階ギャラリーにて、25日(水)から29日(日)まで開催。入城無料。
NHK502スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」10月分2本の収録。
四谷のスタジオで「近代能楽集」(監督:根岸吉太郎)2編の音楽収録。
演奏はクラリネット&バス・クラリネット:伊藤隆寛さん、チェロ:遠藤真理さん、ピアノ:中野翔太さん…という、そのままクラシック・リサイタルを開けそうな豪華メンバー。
ただし、映像の音楽は、メトロノームのクリック音に合わせてテンポ遵守…という非音楽的な部分があるので、微妙に難しい。しかも、「あんまり上手くない楽師みたいな演奏で」とか、画面に合わせるため「もう2.5秒短く」「4秒長く」というような無茶な指示も出るので大変だ。
物語(卒塔婆小町、葵上)自体は古典を題材にした文学作品(作:三島由紀夫)なのだが、両方とも結構オカルト&ホラーな世界で、音楽もいくぶん「怖い」サウンドに。スタジオで録音していると「何かヘンな声が聞こえるンですけど」と言い出すヒトも・・・(@_@;)
出来上がった作品はDVDとして10月下旬頃に発売の予定。
iPadとiPhoneをiOS7にアップデート。
11月に録音予定の…むかしむかし(40年以上前に)書いたピアノ曲の楽譜の整理を始める。
来週京都に行くのを楽しみにしながらパート譜作成の最終工程を進めているところへ、台風で京都桂川・鴨川氾濫のニュース。渡月橋が濁流で水浸しになっているライヴ映像には心底驚いた。
一昨年の今頃、京都に行く途中で台風に直撃されて新幹線に缶詰になったことがあったが、京都に着いたら「何事もなかったかのよう」に平穏な様子で、さすが平安の都…と改めて胸を打たれたのだが。
皆さん無事でおられますように。
短編映画のための…気持ち悪いワルツ&生き霊のパヴァーヌ(?)ほか14曲30分ほどの音楽を書き上げたところで・・・「今回は予算がないので、パート譜も自前でよろしくお願いします」と言われていたのを思い出し、もそもそとパート譜の作成を始める。
宮崎駿作品を俯瞰するとき興味深いのはジブリの鈴木敏夫プロデューサーの存在だ。最近、彼へのインタビューをまとめた「風に吹かれて」という本を読んだのだが、その舞台裏の話がすこぶる面白い。
作家気質の人というのは、そもそも「採算度外視」で全力を投入する傾向がある。私の彫刻家の祖父もその典型で、常々「金になる仕事とならない仕事があったら、金にならない仕事の方をやる!」と豪語していた人。仕事を引き受けても代金のことなど口にもしない。お金について話すことすら「恥ずかしい」「下品」と言ってはばからないという文字通りの「なんとかバカ」である。私もその血を濃厚に受け継いでいる。
そういう人が仕事に全力を傾ければ傾けるほど、経済的にも健康的にも危険水域に入ってゆくのは自明の理。宮崎監督も(どう見ても)その手の職人肌(氏自身「町工場のおやじ」と言っているがまさに言い得て妙)だ。
しかし、彫刻や作曲なら「貧乏」だけで済むが、制作に何億もかかる劇場用アニメを数百人がかりで作るには「大金」が必要。勢いで一本作れたとしても、それで数億円の借金を抱えたら、人生にもう「次」はない。氏ひとりだったら、おそらく「トトロ」(1988/47歳)あたりで大借金を抱えて作家生命が終わっていただろう。
あの黒澤明監督ですら61歳(1971年)で自殺を試みているくらいだから、創作者として「更年期」を超え生き残るのは、どんなに「才能」があってもダメ。「運」が1ダースほどと「悪魔との契約」が必要だ。(しかも、願いをすべて聞き届けるかのように見えて、実は運命を手玉に取り破滅すれすれを歩ませる「ファウスト物語」のメフィストフェレスのような悪魔である)
というわけで、作家にとって極めて重要なのは、才能より運よりお金より「悪魔」と出会えるかどうかだと常々思っていたのだが・・・なるほど。氏はその「悪魔」に出会えたのだ。
(それはファンにとっては極めて幸運なことだったが、さて、当人にとって「幸運」だったのか「不幸」だったのかは・・・知る由もない)。
近代能楽集「卒塔婆小町」&「葵上」の音楽打ち合わせ。
「卒塔婆小町」は鹿鳴館時代の舞踏会の回想などがあるのでワルツ仕立て。「葵上」の方は生き霊が登場する話なので全音階と無調の間を揺れる現代音楽仕立て。
ごくごく小さな映画なので、音楽もごくごく小さな(クラリネット、チェロ&ピアノくらいの)室内楽編成。舞台とも映画とも違う映像作品なので、音楽の距離感に一工夫。
回想の舞踏会シーンで流れる増4度を入れた気持ち悪くて暗いウィンナワルツ(青きドナウをゲゲゲの鬼太郎風にしたもの)が気持ちよくて、クセになりそう(笑)。
2020年のオリンピック開催地が東京に決定した。1964年(昭和39年)に次いで、もう一回あの「お祭り騒ぎ」を(その頃まで元気でいれば)体験できるのらしい。
私も「未来少年コナン」(1978/37歳)「ルパン三世カリオストロの城」(1979/38歳)あたりの最初期からのファンで、アニメのビデオ(もちろんテープ!しかもベータ!)がまだ一本2万円近くする頃に氏の作品を買い揃え、「ナウシカ」(1984/43歳)制作の際にはカンパ(まだ出来ていない作品の前売券を買って資金援助する)し、「宅急便」(1989/48歳)までの作品はほとんど公開初日に見ている。
(余談だが、白髪でメガネの似た風貌のせいか、氏と間違えられて「サイン下さい」と声をかけられたことが2度ほどある・(^_^;
しかし、創作する者にとって72歳というのがある種の限界を越えているのは確か。男の場合も女性と同じく、20代30代が出産(創作)適齢期。10代では早すぎ、40代を迎えると更年期となり50歳で子を産む役割はほぼ終了する(…と以前、後輩の女性からしみじみ諭されたことがある)
もちろん人生50年の昔と違って、現代では70代でもまだ「若い」。しかし、映画とか交響曲のような「大の男が数年がかりで気力・体力・技術力を総動員して作る創作物」は、やはり《子供》を生むのと同じ。60歳70歳を超えて「次のお子さんは?」と言われるのは(作家として期待されるのは嬉しいにしても)かなりしんどいものがある。
音楽を志した時、クラシックの作曲家たちの年齢と創作の関係について調べたことがあるが、どんな作曲家も創作適齢期は(上記のように)20代後半からせいぜい50歳前半まで。気力・体力・技術力が一体となった「傑作の森」期は30代半ばまでのほんの数年であり、作家として時流に乗れる活動期はせいぜい10年。社会的に成功して順調に生き延びて最大限25年といったところだ。なので、巨匠の「最晩年」の作品と言っても50代から60代前半であり、モーツァルトやショパンに至っては30代ですでに「晩年」である。
ちなみに、私が私淑するシベリウス師匠は、交響曲第6番と第7番を発表した後、60歳でぱたりと筆を折り、91歳で亡くなるまで(ほんのわずかな小品の作曲を除いては)沈黙を貫き通している。気力と体力が衰えた以上「自分が許せるレベルの作品」はもう創れないと自覚したということらしい。
もっとも、「気力・体力・技術力」の「力」が全部抜けてしまった先に「無力の力」に満ちた作品が生まれることもあるので、「引退した」と言い張る作家の老練の創作も楽しみではある。衰えたから見たくない駄作だから評価しないというのはファンではない。作る側としては嫌かも知れないが(私も実は嫌だけれど)、「駄作でも未完でも欠片でもいいから見たい(聴きたい)!」と思うのが真のファンである。
というわけで監督、「引退第一作」を期待しています(笑)
映像に音楽を付ける仕事をやるには、むかしはとにかく撮影所に行って(映写室を借りて)フィルムを廻してもらって映像を見るしかなかった。(なので、作曲家になると撮影所や放送局の近くに引っ越す人が多かった)
近代能楽集「葵上」と「卒塔婆小町」の音楽の作曲を進める。