続・M氏の引退
宮崎駿作品を俯瞰するとき興味深いのはジブリの鈴木敏夫プロデューサーの存在だ。最近、彼へのインタビューをまとめた「風に吹かれて」という本を読んだのだが、その舞台裏の話がすこぶる面白い。
作家気質の人というのは、そもそも「採算度外視」で全力を投入する傾向がある。私の彫刻家の祖父もその典型で、常々「金になる仕事とならない仕事があったら、金にならない仕事の方をやる!」と豪語していた人。仕事を引き受けても代金のことなど口にもしない。お金について話すことすら「恥ずかしい」「下品」と言ってはばからないという文字通りの「なんとかバカ」である。私もその血を濃厚に受け継いでいる。
そういう人が仕事に全力を傾ければ傾けるほど、経済的にも健康的にも危険水域に入ってゆくのは自明の理。宮崎監督も(どう見ても)その手の職人肌(氏自身「町工場のおやじ」と言っているがまさに言い得て妙)だ。
しかし、彫刻や作曲なら「貧乏」だけで済むが、制作に何億もかかる劇場用アニメを数百人がかりで作るには「大金」が必要。勢いで一本作れたとしても、それで数億円の借金を抱えたら、人生にもう「次」はない。氏ひとりだったら、おそらく「トトロ」(1988/47歳)あたりで大借金を抱えて作家生命が終わっていただろう。
あの黒澤明監督ですら61歳(1971年)で自殺を試みているくらいだから、創作者として「更年期」を超え生き残るのは、どんなに「才能」があってもダメ。「運」が1ダースほどと「悪魔との契約」が必要だ。(しかも、願いをすべて聞き届けるかのように見えて、実は運命を手玉に取り破滅すれすれを歩ませる「ファウスト物語」のメフィストフェレスのような悪魔である)
というわけで、作家にとって極めて重要なのは、才能より運よりお金より「悪魔」と出会えるかどうかだと常々思っていたのだが・・・なるほど。氏はその「悪魔」に出会えたのだ。
(それはファンにとっては極めて幸運なことだったが、さて、当人にとって「幸運」だったのか「不幸」だったのかは・・・知る由もない)。
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