M氏の引退
私も「未来少年コナン」(1978/37歳)「ルパン三世カリオストロの城」(1979/38歳)あたりの最初期からのファンで、アニメのビデオ(もちろんテープ!しかもベータ!)がまだ一本2万円近くする頃に氏の作品を買い揃え、「ナウシカ」(1984/43歳)制作の際にはカンパ(まだ出来ていない作品の前売券を買って資金援助する)し、「宅急便」(1989/48歳)までの作品はほとんど公開初日に見ている。
(余談だが、白髪でメガネの似た風貌のせいか、氏と間違えられて「サイン下さい」と声をかけられたことが2度ほどある・(^_^;
しかし、創作する者にとって72歳というのがある種の限界を越えているのは確か。男の場合も女性と同じく、20代30代が出産(創作)適齢期。10代では早すぎ、40代を迎えると更年期となり50歳で子を産む役割はほぼ終了する(…と以前、後輩の女性からしみじみ諭されたことがある)
もちろん人生50年の昔と違って、現代では70代でもまだ「若い」。しかし、映画とか交響曲のような「大の男が数年がかりで気力・体力・技術力を総動員して作る創作物」は、やはり《子供》を生むのと同じ。60歳70歳を超えて「次のお子さんは?」と言われるのは(作家として期待されるのは嬉しいにしても)かなりしんどいものがある。
音楽を志した時、クラシックの作曲家たちの年齢と創作の関係について調べたことがあるが、どんな作曲家も創作適齢期は(上記のように)20代後半からせいぜい50歳前半まで。気力・体力・技術力が一体となった「傑作の森」期は30代半ばまでのほんの数年であり、作家として時流に乗れる活動期はせいぜい10年。社会的に成功して順調に生き延びて最大限25年といったところだ。なので、巨匠の「最晩年」の作品と言っても50代から60代前半であり、モーツァルトやショパンに至っては30代ですでに「晩年」である。
ちなみに、私が私淑するシベリウス師匠は、交響曲第6番と第7番を発表した後、60歳でぱたりと筆を折り、91歳で亡くなるまで(ほんのわずかな小品の作曲を除いては)沈黙を貫き通している。気力と体力が衰えた以上「自分が許せるレベルの作品」はもう創れないと自覚したということらしい。
もっとも、「気力・体力・技術力」の「力」が全部抜けてしまった先に「無力の力」に満ちた作品が生まれることもあるので、「引退した」と言い張る作家の老練の創作も楽しみではある。衰えたから見たくない駄作だから評価しないというのはファンではない。作る側としては嫌かも知れないが(私も実は嫌だけれど)、「駄作でも未完でも欠片でもいいから見たい(聴きたい)!」と思うのが真のファンである。
というわけで監督、「引退第一作」を期待しています(笑)
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冨田勲氏の場合は、如何説明すればいいか。宇宙空間を慣性で飛んでいるようなものか^^;) エーテルの減速を西澤潤一氏と初音ミク嬢の加速力で打ち消すどころか加速しちゃった。
昨年の「イーハトーヴ交響曲」は八代目桂文楽になっても、歴史的事件の現場に遭遇しているんだ!という満足感があるだろうと出かけました。
話し変わって、
2020東京オリンピックは大友克也氏と冨田勲氏をプロデューサーに抜擢してほしいですね。
投稿: Shino | 2013年9月 9日 (月) 09:55