音楽とホラーの記憶
昔から、なぜか仕事をしながら観るBGVはホラー系の映画が多い。お気に入りは「シャイニング」(1980)や「エイリアン」(1979)あたりのクラシックだが、むかし「レンタルビデオ店」が流行り出した80年代には小さなお店の「B級ホラー」の棚をコンプリートしたことがある(笑)。
ただし映画館などの大画面で観ることは(決して)ない。そもそも「痛そう」なシーンは歯医者すら苦手だし、しっかり高所&暗所&閉所恐怖症なので、モニターに流しながら横目でちら見するだけ。だからストーリーを憶えているモノはあんまりない。(・・・それってもしかしてヘタレなんじゃ・・・(=_=)
ちなみに怪談やSFは好きだが、霊も宇宙人も信じてはいない。その点に関しては、むかし某有名SF作家がやはり「宇宙人が居るなんて信じてません」と衝撃の告白をして読者に非難されたとき、見事にこう説明している。「じゃあ童話作家はクマさんが喋ると本気で信じていると思いますか?」(そりゃあ、故やなせたかし先生だってアンパンが喋ると本気で信じていたわけではなかっただろうし)d(^-^)
そのあたりの矛盾は昔から漠然と不思議だったのだが、最近何となく分かるようになった。音楽を作ったり物語を空想するというのは、要するに現実世界(知性)から遊離して脳の表層から深奥へと降りてゆく行為。その時に脳や記憶の古い階層にある「恐怖」とか「未知のモノへの不安」というような本能的な感覚に抵触するのではなかろうか。
…と、そんな思い付きを何らかの形で本にまとめるのが、老後の楽しみにとっておいた仕事のひとつ。
かのホームズもこう言っている。「音楽を創ったり鑑賞したりする力は・・・言語より遙かに古くから人類に備わっていた・・・。僕たちが音楽を聴いていいようもなく感動を受けるのは、きっとそのためなのだ。我々の魂の奥には、世界の幼年期の霧に包まれたような日々のおぼろげなる記憶が生きているのだよ」
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