舘野さんと対談@USEN
USENの〈Classic People〉という番組枠で舘野泉さんと対談。「ピアノ人(びと)と作曲人(びと)」というテーマで、ピアノについて作曲について音楽についてを語る企画。
初めてお会いしたときの話とか、最初の献呈曲「タピオラ幻景」や大河ドラマ「平清盛」の音楽を書いた時の裏話とか色々な話が出た中で、音楽を演奏・作曲するとき「感情を込めて」とか「心を込めて」というけれど「ちょっと違うよね」という話が面白かった。
例えば舘野さんが弾くカッチーニのアヴェマリア。あの曲の左手ピアノ用アレンジは、シューベルト(アヴェマリア)やシベリウス(フィンランディア賛歌)と一緒に「アンコール用に」と抱き合わせに書いた(いわばB面扱いの)一曲。舘野さんの方も、シューベルトやシベリウスだと感極まって「弾いている自分が泣いてしまうので」淡々と弾ける(思い入れのない)カッチーニをと、アンコールに弾くようになったのだそうだ。
ところがリサイタルであれを弾くと聴衆は必ずと言っていいほど泣く。私も下手すると最初の一音でぶわっと涙が出てくるほどだ。「平清盛」で使ったときも「なんで平安時代にピアノでアヴェマリアやねん!」と誰しも思っただろうに、あれが流れてくると泣いてしまう。不思議な話である。
そもそもこのカッチーニのアヴェマリア、実はカッチーニの作ではなく、旧ソヴィエトの作曲家Vavilovによる偽作である。そのあたりは「モーツァルトの子守歌」がモーツァルトではなくFliesの作曲であるのと似ている。無名の作曲家が「なんちゃって」で書いた曲を、独学の作曲家が適当にアレンジし、それを片手のピアニストが淡々と弾く・・・その結果があれだ。
ミューズ(音楽)の神は気まぐれなので、どんなに命をすり減らして懸命に努力し心を込めても(それだけでは)見向きもしない。そのくせ、思いも寄らないところで(何が気に入ったのか)突然天から舞い降りてきて満面の笑みで微笑む。本当にわけの分からない・・・もとい・・・謎に満ちた神である。