隠響堂日記 (八分音符の憂鬱…あらため)
昨年「還暦」を迎え、老境に踏み込んだ。
自由業に「定年」はないが、気分はほとんど「ご隠居」である。
巷で云う「隠居」は、家督を息子に譲り、一線を退き、悠々自適の生活を送ることらしいのだが・・・こちらは、考えてみれば譲るべき家督も相手もないし、一線にいた憶えもない。そして最初っから好き勝手やって来たので今さら悠々自適もない。なァんだ。前と全然変わらないのである。
もともと「命と引き替えにきれいな音楽(と交響曲)をひとつだけでも書き残したい」というコケの一念で始めた作曲家業。なので独学で孤立無援なうえ唯一の生きる場所である現代音楽に噛み付くという…生き残る確率ゼロのことをやってきた。当然、三十代半ばくらいで野垂れ死にがいい処だろうと思っていたのに、まさか60を過ぎてまだぬけぬけと生きているとは大誤算も大誤算である。
ファウスト譚なら、ここらで悪魔メフィストがぼわんと煙の中から現れて「魂と引き替えに若さをもう一度やろうか?」とでも言うのかも知れないが、イヤイヤ、もう見るべきモノは見、やるべきことはやった。音楽の壮大で深遠な宇宙のことを思えば、虫けらの夢に過ぎないみみっちいレベルであるにしても、夢は叶い願いは成就された。これ以上を望むのは(それこそ)虫が良すぎる。今、口を突くのは「時よ止まれ。音楽は美しい!」の一言である・φ(.. )
というわけで、ここから先は「晩年」の人生。ただし、それがあと数年なのか数十年なのかは神のみぞ知る。長らく作曲をやって来た身としては、自分の終楽章のコーダがどうなっているのかくらいは知りたいが、サテ、こればっかりは人間サマも虫けらも区別なく等しくナイショである。それはもしかしたら人生に仕掛けられた最後の罠なのかも知れない。
まァ、それまでもう少し夢を見ようか。どのみち風は吹くのだから。
隠響堂孤鳥(吉松隆)
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謹賀新年
「斃れるまで書きまくるシベリウス」をお目指しくださりたく
。。。それじゃストラヴィンスキーとかデュティユーの線ですね、むしろ
投稿: 月注斎 | 2014年1月 3日 (金) 21:42