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アンネの日記事件で頭がミステリー脳になってしまったので、久しぶりにエラリー・クイーンの「悲劇四部作(Xの悲劇、Yの悲劇、Zの悲劇、最後の事件)」を再読中。
東京の図書館で「アンネの日記」ばかり300冊近くが破られているのが見つかったという事件・・・
ミステリーマニアなら直ぐにシャーロック・ホームズの「6つのナポレオン」(「ホームズの帰還」収録。ナポレオンの石膏像ばかりが壊される事件が連続して発生する。その真相は・・)を思い出すはず。
「ナポレオンの石膏像」ならぬ「図書館のアンネの日記」を損壊する理由・・・???気になる???。
大判の手書き楽譜(主にスコア)をスキャン入力する必要にかられ、ScanSnap SV600という機種を手に入れる。
4月に発売予定のCD〈交響曲第6番&マリンバ協奏曲〉の収録テイク確認。
ここ数日、この騒動のあまりの興味深さについ年甲斐もなく多弁になってしまったが、隠居の侘び住まいにかくも大勢の方々にお越し頂き、感謝と共に妄言多謝。
S氏の《交響曲第1番》を最初に耳にしたのは、初演(2008年広島)の時の様子を映したYouTubeでの録画だ。この時は、G8議長サミット記念コンサートという名目で《交響曲》の1・3楽章が披露された(さすがに全曲では「長すぎる」と主催者側が判断したのだろう。それでもたっぷり40分以上という大曲だ)。
音楽は、現実を知ってしまうと身もフタもないところがある。可愛いアイドルが女の子の気持ちを歌って大ヒットしてる歌もホントは詞も曲も大人のオトコが書いてるのだし、女心を切々と歌って万人の涙を振り絞る演歌も作っているのは実はオジサンである。寅さんのセリフじゃないが「それを言っちゃあお仕舞いよ」である。
もともと音楽も文学もテレビや映画も、その「感動」というのは作者の「計算」と「技」の成せる技。「寅さん」も「シャーロックホームズ」も「ハリーポッター」も(言ってしまえば)全て「虚構」だ。でも「真実」より巨大な存在感を持っている。芸術の中では「虚構」も「真実」(もっと言ってしまえば「虚構」こそ「真実」)。今回の件も、そのあたりを踏まえて、音楽的にNGな点とOKな点、社会的にNGな点とOKな点をそれぞれちゃんと分離して考えるべきだろう。
私が佐村河内守氏の存在を知ったのは、まだ彼が「独学で難聴の(無名の)作曲家」にすぎなかった5〜6年前。しかし、その頃から熱狂的な信者が大勢付いていて、ネットでしきりに「サムラゴウチこそ真の天才である。それに比べてヨシマツは…」と必ず私を引き合いに出して悪口を言われていたので(笑)名前を覚えることになった。その彼が書いた交響曲が2010年4月に東京初演されることになったと聞いて、付き合いの長いコロムビアのディレクター氏に「面白い作曲家がいるよ」と紹介し、それがきっかけで今回問題になったCDが生まれることになった。
その時は「ようやく同時代に嫉妬できる作曲家が出て来た」と喜んだ(そして、そのセリフを宣伝に使わせて下さいと言われたので応じた)のだが、それは本音。映画音楽みたいと言われようが何だろうが一般の聴衆を1時間以上釘付けにする純オーケストラ作品が生まれたのだ。さらに、普通クラシックの純音楽は「CDがものすごく売れた」と言っても数千枚なのに、彼のCDは(もちろんTV番組での大々的な紹介があったにしても)軽く万を超える勢い。おかげで嫉妬も強まったわけなのだが、売り上げが数万枚に達したあたりで、さすがに「何か裏があるの?」と担当者に聞いたことがある。その時は「確かに売れすぎですよね」と首をひねるばかりだったが、私が危惧したのは別の想像であって、こういう「オチ」があるとは思いもしなかった。
ゴーストライターとまで物々しくないにしても、共作というのはクラシック界でもよくあることだ。例の「タルカス」も原曲がキース・エマーソンでオーケストレイションが私…という共作。映画音楽などでは弟子がスコアの清書と共に曲を書くことも少なくない(そのあたりはマンガ家のアシスタントがベタ塗りや背景から時にはキャラクターの主線まで入れるのと同じだ)。だからといって「あの作品のあの部分は私のモノだ」とは主張しない。代わりに「次の仕事」をもらえる(かも知れない)というのが報酬であり、そうやって師弟関係が繋がってゆくからだ。
一方、そういう主従関係でない1対1の共作の場合は、本来ならその旨契約書を作らないとまずいのだが、作曲の世界では「書いてよ」「いいよ」だけの口約束ということが多い。そもそも映画やCDにしても作曲家の取り分はせいぜい数十万程度ということがほとんどだから、「手数料」程度の金額のやり取りさえあれば、契約書を交わしてとか、取り分を巡って裁判を…とはならない。(金額が低すぎてやっても無意味だからだ)
ところが、今回はCD18万枚、コンサートツアー全国30カ所、おまけにオリンピックで楽曲使用というレベルになってしまったわけで、これではいくら口約束で友好な関係が築かれていた相手でも、契約や取り分を巡って争いになることは想像に難くない。
今回週刊誌の記事で、彼がこの交響曲を書くに当たって影のライターに作曲注文を出した時の曲構表を見たが、これはCMや映画音楽の発注の時に書かれる(映画で言う)「絵コンテ」のようなモノ。楽想はもちろん時間配分から音量までもが細かくグラフにされていて、実に分かりやすく書かれている(これなら私でも交響曲が書けそうな気になる)。此の段階で藤子不二雄みたいに共作のペンネームを作って著作権処理をしておけば(その場合なら片方はTVに出て片方は覆面でもいい)、何の問題もなく「大ヒット交響曲」を生んだ敏腕プロデューサーとして日本の音楽史に名を残せただろうに、それをしなかった彼の目標は何だったのだろう?
唯一今回の件で刮目すべきだと思ったのは、現代のクラシック音楽のしかも交響曲というジャンルに「売る」という攻勢を仕掛けてきた彼の・・天才性・・だ。自他共に許す交響曲狂いの私も「交響曲は売れないモノ」「交響曲作家は貧乏なモノ」と信じ込んでいて、そんなことは思い付きもしなかった。その見事な手腕だけは(皮肉でなく)評価したい。
ただし、残念ながら、彼が仕掛けた芸術上の「虚構」は、笑って済ませられないレベルに喰い込み、昨日まで「すべて天才」と最上段まで持ち上げたものを、翌日から「すべて詐欺」と全否定して奈落に突き落とすという「日本らしい」システムが発動。CDやコンサートや本の販売停止だけでなく、新聞各紙が彼の記事の記録を過去に遡って削除するという自体にまで及んでしまった。しかし、存在を抹消する…なんてどこかの時代のどこかの国みたいなことはやめて欲しい。影の作曲家も含むこの二人の希有な「才能」、なんとかならないものだろうか。
長文多謝。ついでに蛇足&老婆心ながらひとこと。今回の件、もちろん否定的肯定的いろいろな感想を持たれる方がおられると思いますが、ブログやツイッターなどで発言されるときは・・各方面から検索をかけられ読まれているということを忘れず、日本らしいシステムが発動されないようにくれぐれも使う言葉だけは慎重に。(勿論それは私自身もですが・・)