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2014年2月 6日 (木)

続S氏騒動

Piano_cut001 音楽は、現実を知ってしまうと身もフタもないところがある。可愛いアイドルが女の子の気持ちを歌って大ヒットしてる歌もホントは詞も曲も大人のオトコが書いてるのだし、女心を切々と歌って万人の涙を振り絞る演歌も作っているのは実はオジサンである。寅さんのセリフじゃないが「それを言っちゃあお仕舞いよ」である。

もともと音楽も文学もテレビや映画も、その「感動」というのは作者の「計算」と「技」の成せる技。「寅さん」も「シャーロックホームズ」も「ハリーポッター」も(言ってしまえば)全て「虚構」だ。でも「真実」より巨大な存在感を持っている。芸術の中では「虚構」も「真実」(もっと言ってしまえば「虚構」こそ「真実」)。今回の件も、そのあたりを踏まえて、音楽的にNGな点とOKな点、社会的にNGな点とOKな点をそれぞれちゃんと分離して考えるべきだろう。

私が佐村河内守氏の存在を知ったのは、まだ彼が「独学で難聴の(無名の)作曲家」にすぎなかった5〜6年前。しかし、その頃から熱狂的な信者が大勢付いていて、ネットでしきりに「サムラゴウチこそ真の天才である。それに比べてヨシマツは…」と必ず私を引き合いに出して悪口を言われていたので(笑)名前を覚えることになった。その彼が書いた交響曲が2010年4月に東京初演されることになったと聞いて、付き合いの長いコロムビアのディレクター氏に「面白い作曲家がいるよ」と紹介し、それがきっかけで今回問題になったCDが生まれることになった。

その時は「ようやく同時代に嫉妬できる作曲家が出て来た」と喜んだ(そして、そのセリフを宣伝に使わせて下さいと言われたので応じた)のだが、それは本音。映画音楽みたいと言われようが何だろうが一般の聴衆を1時間以上釘付けにする純オーケストラ作品が生まれたのだ。さらに、普通クラシックの純音楽は「CDがものすごく売れた」と言っても数千枚なのに、彼のCDは(もちろんTV番組での大々的な紹介があったにしても)軽く万を超える勢い。おかげで嫉妬も強まったわけなのだが、売り上げが数万枚に達したあたりで、さすがに「何か裏があるの?」と担当者に聞いたことがある。その時は「確かに売れすぎですよね」と首をひねるばかりだったが、私が危惧したのは別の想像であって、こういう「オチ」があるとは思いもしなかった。

ゴーストライターとまで物々しくないにしても、共作というのはクラシック界でもよくあることだ。例の「タルカス」も原曲がキース・エマーソンでオーケストレイションが私…という共作。映画音楽などでは弟子がスコアの清書と共に曲を書くことも少なくない(そのあたりはマンガ家のアシスタントがベタ塗りや背景から時にはキャラクターの主線まで入れるのと同じだ)。だからといって「あの作品のあの部分は私のモノだ」とは主張しない。代わりに「次の仕事」をもらえる(かも知れない)というのが報酬であり、そうやって師弟関係が繋がってゆくからだ。

一方、そういう主従関係でない1対1の共作の場合は、本来ならその旨契約書を作らないとまずいのだが、作曲の世界では「書いてよ」「いいよ」だけの口約束ということが多い。そもそも映画やCDにしても作曲家の取り分はせいぜい数十万程度ということがほとんどだから、「手数料」程度の金額のやり取りさえあれば、契約書を交わしてとか、取り分を巡って裁判を…とはならない。(金額が低すぎてやっても無意味だからだ)

ところが、今回はCD18万枚、コンサートツアー全国30カ所、おまけにオリンピックで楽曲使用というレベルになってしまったわけで、これではいくら口約束で友好な関係が築かれていた相手でも、契約や取り分を巡って争いになることは想像に難くない。

今回週刊誌の記事で、彼がこの交響曲を書くに当たって影のライターに作曲注文を出した時の曲構表を見たが、これはCMや映画音楽の発注の時に書かれる(映画で言う)「絵コンテ」のようなモノ。楽想はもちろん時間配分から音量までもが細かくグラフにされていて、実に分かりやすく書かれている(これなら私でも交響曲が書けそうな気になる)。此の段階で藤子不二雄みたいに共作のペンネームを作って著作権処理をしておけば(その場合なら片方はTVに出て片方は覆面でもいい)、何の問題もなく「大ヒット交響曲」を生んだ敏腕プロデューサーとして日本の音楽史に名を残せただろうに、それをしなかった彼の目標は何だったのだろう?

Binboo 唯一今回の件で刮目すべきだと思ったのは、現代のクラシック音楽のしかも交響曲というジャンルに「売る」という攻勢を仕掛けてきた彼の・・天才性・・だ。自他共に許す交響曲狂いの私も「交響曲は売れないモノ」「交響曲作家は貧乏なモノ」と信じ込んでいて、そんなことは思い付きもしなかった。その見事な手腕だけは(皮肉でなく)評価したい。

ただし、残念ながら、彼が仕掛けた芸術上の「虚構」は、笑って済ませられないレベルに喰い込み、昨日まで「すべて天才」と最上段まで持ち上げたものを、翌日から「すべて詐欺」と全否定して奈落に突き落とすという「日本らしい」システムが発動。CDやコンサートや本の販売停止だけでなく、新聞各紙が彼の記事の記録を過去に遡って削除するという自体にまで及んでしまった。しかし、存在を抹消する…なんてどこかの時代のどこかの国みたいなことはやめて欲しい。影の作曲家も含むこの二人の希有な「才能」、なんとかならないものだろうか。

長文多謝。ついでに蛇足&老婆心ながらひとこと。今回の件、もちろん否定的肯定的いろいろな感想を持たれる方がおられると思いますが、ブログやツイッターなどで発言されるときは・・各方面から検索をかけられ読まれているということを忘れず、日本らしいシステムが発動されないようにくれぐれも使う言葉だけは慎重に。(勿論それは私自身もですが・・)

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音楽考」カテゴリの記事

コメント

会見みてますが、制作過程も最悪じゃないですか?

こんなのを評価するってやっぱりプロとしてどうなんでしょう。資質や見識に疑いを持ちます。

謙虚に釈明するのが潔いと思います。

↑来ましたね。日本らしいツッコミが

ど素人でも分かるいかがわしい曲。ほんとに誉めてた何人かはイイと思ってたのかな。
それと、いちいちチャチャを入れる粘着者の愚者ぶり(話を逸らすため?)、情けないですね。こういう人も(←「も」を強調)、音楽が分かってないのでしょうね。

私は、吉松さんのファンで、佐村河内守さんはおろか過去の大作曲家の曲も聴かない者ですが、自分にフィットすればどんな曲だろうが好きでいいと思います。
というより、小さい頃から音楽に慣れ親しんでない人間からすれば、独善的に聴くからこそ黙々と数十分も音楽を聴くだけの時間を耐えられるというか...

それにしても、販売する側が「完全被害者」「逃げの一手」はどうなのかと思います(日本らしいシステムも一番胡散臭いところに発動してこそ初めて意味があるような...)

どんなジャンルでも才能ある構成家は一番尊敬に値するものだと個人的に思っていますが、今回の件も皮肉な感じですね。正直であれば才能が同じでもこんな大きな事自体起きなかったわけで

すみません、販売する側云々は私の妄想です

制作過程が完全に虚偽である上に、作曲者本人も本意でないことは確実なのに、それでも「コンビを続けてほしい」というのはどうなんでしょうか? 事実そのものをまず重く受け止めるべきでは? 

それから、吉松さんがさんざん批判してきたバリバリの「現代音楽」作家がご自身が「嫉妬する」曲を書いたということについて、吉松さんはどのように受け止めるのでしょうか。これについてはこの日記ではまだ良く解りません。

今回の問題は一方で想像以上にビジネスに踊らされている社会の現実があり、他方で優れた実力を持つ作曲家も何らかの形で大衆に奉仕したいという気持ちがあるがその形がない、というところに根を張っていると思います。

ここに吉松さんも一石を投じられているわけで、とてもデリケートであると同時にどう受け止めるのかが意味を持つ問題だと思います。

ご賢察とさらなる創作活動の飛躍を期待いたします。

まあクラシックと絵画ほど印象だけで成り立ってるものはないですな
伝統芸能みたいな

きのうに引続き失礼致します

先生はラジオ番組にて大作曲家やその作品についてときに辛らつなことをおっしゃいます(わたしはこれはこれで楽しみにしています)。

この「HIROSHIMA」はわたしは当初からぜんぜんいいとは思いません。きょうの会見を見て(録画していて、ほぼ全部見ました)、その制作された過程から、まあそんな情けないやり方だったのかとあきれました。傑作が生まれる素地ではとてもないです。

先生にはぜひこの作品について、簡単でいいですから、ラジオ番組のような切り口で率直な批評をしていただきたいです。先生が本音を明かされることで、いまだに“迷っている人たち”が平静に戻れるのではないでしょうか。また音楽界も、雲が払われ見晴らしよくなり、安心できるのではないかと思います。

お願いします

>私が危惧したのは別の想像であって、こういう「オチ」があるとは思いもしなかった。

「別の想像」とはなんでしょう?
ちょっと興味がわいたので、もう少し詳しく聞かせていただけませんか?

「二人の希有な『才能』」…とおっしゃいますが、才能があるのは新垣氏の方であってS氏は詐欺師に過ぎないと思います。 「その見事な手腕だけは(皮肉でなく)評価したい。」とのお言葉ですが、障碍を出汁にした嘘で世間を欺く行為を本気で評価するおつもりですか?

この交響曲も共作などと呼べるものではなく、実質的に新垣氏の作品と呼んで良いものでしょう。

吉松さんが嫉妬すべきなのは同じ「隆」の名を持つ本来の作曲者の方ではないでしょうか。

吉松さんの自由な音楽が大好きで、しょっちゅう聴いている者です。

そして、今改めて佐村河内守(新垣隆)さんの音楽を聴いています。

僕の中では全く色褪せていませんでした。好みであることは変わりありません。新垣隆さんの記者会見の時の悲そうな姿が思い浮かびます。

しかし佐村河内さんと組んで世間を欺いたことには変わりありません。
佐村河内さんに関しては、ほんと完全に詐欺行為だと思います。
それに対しては、何らかの償いが必要になってくるとは思います。

でもやはり音楽に罪はありません。

無調で無個性な現代音楽が蔓延る中で、こういう音楽があってもいいのではないかと思います。

なぜ現代音楽の作曲家は、命をかけて個性を失くそうとするのですか?
せっかく溢れんばかりの才能がある人たちなのに、なぜいつか絶滅してしまう音楽を書くのですか?死ぬまで実験だけを続けるのですか?

今の子供たちも調性のある音楽を聴いて育っています。
50年後、クラシックのコンサートに行く予備軍です。

そんな子供たちが、調のない無個性の音楽をいいと思うんですかね?
いつも疑問に思います。

無調もあって調性もあって、そういう自由な現代音楽(クラシック)界であって欲しいです。つきあいで現代音楽のコンサートに行くといつも思います。嫌いではないですが、保守的に感じます。誰かに媚びているようです。

クラシックファン、音楽ファンの切実な願いです。
もっと僕たちを感動させて下さい。楽しませて下さい。

そういう意味では、佐村河内守(新垣隆)さんの楽曲たちが、未来を感じさせてくれました。

世の中で、ある役割を果たしたと思います。

そして、今後の現代音楽界(クラシック界)に期待しています。

ペテン師(と言っていいでしょう)によって投ぜられたモノからこれら音楽(と言っていのか)が出来ている点はぜったいに外せないし押さえておかなくてはならない点です。

作品と作曲家の関係はしばしば論ぜられる点ですが、やはり作品にはそれがにじみ出ていると見るべきでしょう。作品も芸術活動であり、芸術活動は人間の作用です。

とすると、これら一連の音楽にもその邪悪さがしっかり擦込まれています。

「なんとかして守りたい」という人たちの気持も分かりますが、事実から目を背くことはできないと思います。

吉松さんの作品にも吉松さんの人間が出ていて、それが作品の味わいになっているのだと思います。

作品を味わうことは、その作曲家を味わうこと。

貴方の見識も才能もその程度と言うことです。お金にならないと貴殿が仰っている交響曲を書いた佐村に嫉妬を感じたそうですが、つまらない曲はお金になりません。それを佐村サイドもわかっていたので、被爆者や障害者を貶める行為にまで及んだのだと思います。推薦者の貴方が責任の一端を感じないのであれば、楽壇を去られても聴衆側の損失は有りません。

経歴を見ると新垣氏は現代音楽の旗手・三善晃の弟子。表で活動しているときはバリバリの現代音楽的な曲を書いていたのではないでしょうか。
そして現在の日本は交響曲など書いても売れないどころか演奏すらされない時代。
もしかして彼は、管弦楽曲の作曲家にとって最大の規模である交響曲を書くという野望をどこかに秘めていたのでは...という空想はどうでしょう。
実際に佐村河内氏の自伝が出版され、全聾の作曲家としてもてはやされなければ演奏すらされなかったでしょうし。
交響曲が世に出て演奏されただけで十分、それで彼との関係も終わりで良かったが、佐村河内氏は更に楽曲を要求してきて縁が切れない。
それで今回の騒動に...という。
まさにミステリー。

結局この程度の詐欺師に負けるぐらい、音楽業界というのは低俗でくだらない場所なんでしょうな。
その世界にいる人間が、詐欺師を天才と呼んで恥ずかしいとも思わないんだから呆れます。

既に音楽というのは19世紀に最高峰を極めているのではないですか?
今居る音楽家は過去の名品を再生産しているだけだから、どんぐりの背比べ。
だからこのような詐欺師がちょっと手を加えて、どんぐりの頭に帽子を載せるだけで売れてしまう。

こんな状況に甘んじ当然と受け入れている人間に創作活動などできるのでしょうかね?
自信もコピー生産業だからこんなふうに思うのではないでしょうか?

HIROSHIMAのCDは一年ほど前に買いました。まだ開封していません。
聞くときは気力充実してないとヤラレルと思ったからです。
メロディーは断片的にTVで聴きました。
黒澤の映画音楽など一蹴するいい出来だと思います。
シンフォニーといわず、音楽なんて数秒の心に突き刺さるメロディーがあればそれで十分じゃないでしょうか。
ラフマニノフの2番なんて、典型的だと私は聴く。
ジャスラックがどういうかわからんけど、全曲オンエアして所信を表明するぐらいでないと、ジャーナリズムはどうせ片棒かつぎの衆の集まりにすぎない。

吉松氏もそうだがクラシック関係はほんと無駄で無意味な薀蓄が多い
褒める時も咎める時もだ、そのしょうもない慣習こそ真っ先に捨てないと駄目だろ

今回にはゴーストライターがどうとかは問題じゃない、聴覚障害者であると嘘をついた事による聴覚障害者関係の福祉施策の不正受給と
在日や部落がやってる差別利権を貪ったことだ。

ゴーストライターとかどーーーでもいいんだよ

何の根拠もなく代作者が金銭に卑しいかの様に貶めるご発言で、掌を返したような問題の作品に対する皮肉な評価も含めて、逆にご自身の人品をこそ貶めていらっしゃるのが残念です。僭越ながら当件についてはしばらく発言なさらないことを、ファンとしてお薦めいたします。

↑代作者が金銭に卑しいか
そんなことはひとことも言ってないでしょう。
売れたことで「金銭」の問題が浮上してしまったことが問題だと指摘されているだけですよ。それをいきなり「人品」問題にすり替えるのは読みが浅すぎるし、失礼です。

>↑代作者が金銭に卑しいか
>そんなことはひとことも言ってないでしょう。

普通の人が以下の記述を読んで何を仄めかしていると思うでしょうか?

「ところが、今回はCD18万枚、コンサートツアー全国30カ所、おまけにオリンピックで楽曲使用というレベルになってしまったわけで、これではいくら口約束で友好な関係が築かれていた相手でも、契約や取り分を巡って争いになることは想像に難くない。」

報道されている範囲では「契約や取り分を巡って」の「争い」についは何もなかったと思います。少なくとも私には「想像し難い」です。

下衆の勘繰り(想像)といわれてしまってもしょうがないご発言と思っったので、おやめになった方がいいとご注進申し上げている次第です。

佐藤さん 冷静に
お金をやるから黙ってろ
いや、要らないから本当のことを話したい
という争いもあるわけですよ

Guessさん、ご注意ありがとうございます。

単純に、

「一方、そういう主従関係でない1対1の共作の場合は、本来ならその旨契約書を作らないとまずいのだが、作曲の世界では「書いてよ」「いいよ」だけの口約束ということが多い。そもそも映画やCDにしても作曲家の取り分はせいぜい数十万程度ということがほとんどだから、「手数料」程度の金額のやり取りさえあれば、契約書を交わしてとか、取り分を巡って裁判を…とはならない。(金額が低すぎてやっても無意味だからだ)

ところが、今回はCD18万枚、コンサートツアー全国30カ所、おまけにオリンピックで楽曲使用というレベルになってしまったわけで、これではいくら口約束で友好な関係が築かれていた相手でも、契約や取り分を巡って争いになることは想像に難くない」

という文脈が、

「お金をやるから黙ってろ いや、要らないから本当のことを話したい」

というやりとりを意味しているとは思えませんでした。

「日本らしいシステムが発動されないようにくれぐれも使う言葉だけは慎重に」お選びになられた方がよいのではないかと、老婆心ながら思っただけです。大変失礼いたしました。

吉松さんこんにちは。
それにしても何で毎日こんな長文の、理路整然として面白いブログを書けるのですか?誰かゴーストライターがいるんじゃないんですか?

>> 音楽的にNGな点とOKな点、社会的にNGな点とOKな点をそれぞれちゃんと分離して考えるべきだろう。

これは正論ですね。

でも、シロウト(私も含む)は、「聾者なのにスゴイ作曲家」という
「物語」を楽しみ、それに対しお金を払います。
そして、それは、「音楽の良し悪し以前に」です。

物語がウソで、語り部が社会的にNGとなった。
だから、その音楽(シロウトにとっては物語の付随物)も、
良し悪し関係なく、いっしょに葬る、というのは、きわめて自然です。

せめて、私自信も、投稿者Balさんぐらいに「物語」を楽しむ余裕があり、
投稿者isasakaさんぐらいの前向きさがあれば、 とも思いますが。

どっちかというと、投稿者コリオランさん、投稿者ペテン師さんの
「ウソ物語の周辺にある○○は、ウソ物語と同様にNGです!」に
あっさり同意しそうな感じも、私自身、あったりするので。

まあ、私も「音楽」を聞ける耳を持つように、精進して行きたいですw
では。

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