交響曲を書くわけ
サイバーバード協奏曲の浄譜&電子化を始める。
手書き時代(1994)の作品なので、原譜そのものが鉛筆書きのコピー。これをスキャンしてPhotoShopで1枚1枚汚れを取り歪みを修正し、文字の部分は活字を埋め込んでゆく。コンピュータの画面で拡大して作業できるので老眼でも可能だが、手書きと同じく根気の要る「手作業」。骨董品の修復作業みたいなものである。
そんななか、午後、新聞の取材を受ける。「どうして交響曲を書くのですか?」という質問に答えるのは楽しくも難しいが、もっとも個人的で卑小で時間の無駄なのに世界や宇宙と繋がる(みみっちさと壮大さが表裏一体になった)ものに全身全霊(と人生)を賭ける危うさが快感だったんでしょうね、きっと(…と過去形で)。
ちなみに、「次の交響曲はいつですか?」とか「是非いい曲を書いて下さいネ」というのは、生めなくて悩んでいる作曲家からすればストレス絶大の「ハラスメント」質問になりかねないわけで。そのうち「ミュジハラ(ミュージック・ハラスメント)」とか「コポハラ(コンポーザー・ハラスメント)」などと呼ばれて問題になる時代が・・・・・来るわけないような来ないような・(-_-)zzz
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交じり合った響きの曲が書けるかどうか解りませんが、
古都には「音にしてください・・・」という音霊が漂っている様な気がします。
投稿: クロちゃん | 2014年6月24日 (火) 09:37
先生が新しい交響曲を冗談抜きで本当に書けなくなってきたとしたら原因はただひとつ。それは、楽想の枯渇や老化のためなどでは決してなく、近年の先生が作曲家として大成功をおさめ、満ち足りて幸せになり過ぎ、ハングリー精神が希薄になったからだと思います。
先生は自叙伝「作曲は鳥のごとく」でこう書いておられますよね。
・・・・・・ある人に、「夢をかなえる」とは「復讐する」ことと同義だと言われたことがある。ニーチェは(もう少し哲学的に)「ルサンチマン」(弱者の復讐)と言ったが、「この命を捨ててでもかなえたい」と思う心が夢への原動力だとするなら、それは「怨念」と言ったほうが正しいのかもしれない。
確かに、十代の頃に抱いた最初の「夢」はただ「オーケストラを鳴らしたい」ということだった。だから、最初に書いた作品がすんなりコンクールに入賞して「才能ありますね」などと言われていたら「やった!」という程度の感慨のまま怨念は消滅し、もっと「かわいい」作曲家か、あるいは「作曲を趣味とする医者」あたりに収まっていたかもしれない。
さらに、現代音楽というものをすんなり受け入れて「こういうのが現代における正しい音楽なのだ」と納得することができていたら、あるいは私の音楽が現代音楽界にすんなり受け入れられて「素晴らしい現代音楽だ」と認められて「賞」など取っていたら、ここまで頑固に純音楽やハーモニーにこだわり、意固地に(金にならないと分かっていながら)交響曲のような作品を作り続けることはなかったに違いない。
そう考えると「復讐」という意味がよく分かる。確かに、受け入れられなかった「恨み」を果たすことが、巨大なエネルギーとなって自分を支えてきたことは確かだからだ。これが単なる「夢」だったら、二十年も三十年も持続させていくことは不可能だったに違いない。「怨念」(ニーチェ風の「ルサンチマン」は、ある意味、人間が夢をかなえるための(必要悪と言えるような)ファクターなのかもしれない。・・・・・・
「新しい交響曲を書くことが、直接的にも間接的にも充分金になり得る」ことを知ってしまった先生が、これからの人生で交響曲を書くハングリーな原動力となり得るのは、自叙伝ではあえてあまり触れられなかったと思われる先生の「恋愛」、しかも、そう、過去のではなく新たな「恋愛」なのではないでしょうか。
さらに、ひょっとすると「ペンギン」や「天使」という単語を、先生はマジで隠語として使っておられるのではないかと、密かに勝手に想像して楽しんでおります。
投稿: 虹色LED | 2014年6月24日 (火) 21:25