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2014年9月14日 (日)

タブレット端末の中の二次元

Iphone6a遅まきながらiPhone 6 を予約する。大判のplusが人気のようだが、既に持っているiPad miniとキャラがかぶる(?)ので、小さい普通サイズの方を選択。

これで i-P系のデバイスは、旧iPhone(4インチ)、iPhone plus(5.5インチ)、iPad mini(7.9インチ)、iPad Air(9.7インチ)、MacBook(11インチ、13インチ、15インチ、17インチ)、iMac(21インチ、27インチ)、MacPro(30インチ)…とほぼ画面サイズ2インチ刻みで出揃ったわけだが、結局どれを一番使い込んでいるかというと・・・日常ではiPad(9.7インチ)、仕事では iMac(27インチ)か。

おかげで最近、楽譜や本はもっぱらタブレット端末で読むことが多くなり、もう「紙の本(楽譜)しかない場合」以外、紙の本を敢えて読むことはなくなった。先日、音楽出版の人にそう言ったら「え〜〜〜」とかなりショックの様子だったが、子供の頃から「本の虫」で通してきた私にしてそうなのだがら、もはやこの流れはせき止められないような気がする。

Scanx ちなみに、電子版で慣れたあと改めて紙の本に戻って一番違和感を感じるのは、「紙面が平らでない」ということだ。紙に印刷された本は、複数ページの紙を「綴じる」構造上、めくった状態のページの表面が「反る」。そのため楽譜の五線にしろ文字や図版にしろ、目で見たときかなりの「歪み」が生じる→。紙の本を読み慣れているときは、(おそらく)頭の中で補正して無理やり「これは平らだ」と認識しているので気にならないのだが、改めて見直してみると余りにも「平らでない」ことに愕然としてしまう。

さらに、厚い本(楽譜)の場合、めくった時にその反ったページが元に戻ろうとするため、無理やり折ったり抑えたりしないと、読んでいるページを平らに固定出来ない。両手である程度しっかり紙面両端を押さえている必要がある。そして、表面に反りがあるために、照明を当てたとき画面上のあちこちに明暗のムラが出来る。これも「歪み」と並ぶ致命的な点だ。
勿論それこそが「本の味」と言えば言えるのだが、電子版の「フラット」で「静止」した「明暗」のない完璧な二次元平面を見慣れてしまうと、巨大な「弱点」かつ「不便」に思えてくるから困ったモノだ。

Ipadw
現時点ではまだ信頼性とかアクセス性などなど「紙の本」の方に軍配があがる点が少なからずあるので、「全ての本(楽譜)の電子化」が最良の未来と言う気はない。ただ・・・タブレット端末がもう少し薄く軽く(かつ紙のようにしなり大きさも自由に)なり、(例えば)最近出た腕時計型端末がタブレット楽譜とリンクした「ページめくりデバイス」として使えるようなことにでもなれば、クラシック・コンサートでタブレット端末の楽譜使用が基本になるような時代が来る可能性だってありそうな気がする。

この世界、まだまだ「面白いこと」は起こりそうだし、起こって欲しい…とそう思う。

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コメント

今の時代、もう本も新聞も音盤も必要有りませんよね。そう考えるだけで、心が軽くなります。

私にとって本当に大切なものは、長年集めてきた紙の書籍・楽譜や、音盤ではありません。

ここに来て一挙に断捨離加速です。

先日、親戚の葬儀に行きました。
告別式の遺影がバックライトによる見やすい照明でした。
数年後、液晶画面に変わるのだろうかと、読教を聞きながら考えていました。
勿論、斎場へ向かう際や精進落としの祭壇用に従来の遺影も用意されています。

紙の本は手で紙をめくる感覚や手に感じる重さなど、
文字以外の情報も多い。
また「今のページが本全体の中でどの辺りに位置するか」も、
スクロールよりもずっとわかりやすい。
そのため「紙の厚さ方向位置」と本の内容をリンクさせ記憶できる。

...などが紙のメリットとして挙げられていますね。
読書後に書籍の中身をどれだけ覚えているかというテストで、
紙の方が電子書籍よりも点数が高いという報告があるようです。

ただしこれは人間側が電子書籍に慣れ、
スクロール位置と内容を結びつける能力を持つような「進化」が
あるのではないかと思います。

電子媒体の楽譜は、オケ奏者にとっては有利に思います。
パート譜はめくりを考え、ページ末に休みが来るようにできています。
しかし、ページを区切らずに譜面を縦方向に長く伸ばすよう書いて、
それをスクロールすることにすれば「めくり」自体が不要になりますね。
曲中の適当な休みの位置で譜面を下にスクロールすれば良いはず。

また、ピアノ独奏のようにスクロールする暇すらない曲でも、
電子楽譜側に取り付けたマイクから曲の位置を解析し、
自動でめくれば譜めくり係も不要になります。
あるいは、鍵盤側にセンサを取り付け譜面と連動させる等。
もちろん、バグにより異常な速さでページが進まないよう、
信頼性は重要となると思いますが。

クラシック音楽においては、アコースティック楽器の演奏という領域でさえ、いずれ機械に席巻されると思います。

少し前に、「グレン・グールド/バッハ:ゴルトベルク変奏曲(1955年)の再創造」というSACDが話題になりました。、『グールドのモノラル音源を、アメリカのコンピュータ・ソフト「Zenph(ゼンフ)」を使って徹底的に解析し、キータッチや音量、ペダルの踏み込み加減にいたるまで完全にデータ化、それを自動演奏ピアノ(ヤマハ製ディスクラヴィア/9フィート・フルコンサート・グランド)を用いて再現する』という、2006年における試みの録音だったわけですが、「人間(グレン・グールド)が弾いている」と言われても全く違和感の無い出来で驚いたものです。

ピアノのみならず、トランペットやホルン、オーボエといった管楽器、ヴァイオリンやチェロといった弦楽器も、機械による演奏が充分可能です。その延長線上で、「アコースティック楽器を演奏する100台のロボットによるオーケストラ演奏」のといったコンサートの企画の実現も現実味を帯びます。もっと言えば、フルトヴェングラー、カラヤンといった名指揮者の解釈を自動演奏に盛り込むことも可能になりますよね。

更に、人間の物まねでは無く、コンピューターのオリジナルな解釈やアドリブ、延いては作曲といった領域にまでコンピューターが進歩することも極めて現実的です。

私は、将棋でアマ4段の肩書を持っていますが、数年前からコンピューター・ソフトとの対局で勝つことは、どれだけ持ち時間を与えられてもほぼ不可能になりました。それどころか、今や、トップクラスのプロ棋士も易々と負かすレベルです(チェスでは、随分前から世界チャンピオンがコンピューター・ソフトに全く勝てなくなっています)。

プロ棋士とコンピューター・ソフトとの対局を鑑賞して驚くのは、過去の膨大なデータベースからの最善手だけではなくて、人間が今まで誰も発見できなかった、コンピューター・ソフト自身が捻り出した独創的な新手で次々にプロ棋士を負かしていて、プロ棋士が次の人間との対局で、それを借用して勝っていることもしばしばだ、ということです。

楽譜と棋譜の世界は似ていると以前から実感しておりますので、ごく近い将来、将棋の名人や竜王がコンピューターに負けたニュースが話題になる翌々日ぐらいに、「コンピューターの独創的・個性的な作曲は、もはや人間の作曲家のレベルを遥かに超えたのか?」という記事が配信されるかも知れませんよ(笑)。

まあ、人間と機械との共存関係が、これからの時代、もっと大切ってことですよね(笑)。

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