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2014年11月 4日 (火)

京都の曼荼羅

Mandaraw

東寺の両界曼荼羅図(左:金剛界曼荼羅、右:胎蔵界曼荼羅)が10日間だけ特別公開されるというので、京都まで見に行く。

楽譜のようでもあり回路図のようでもあり原子の配列のようでもあり数式のようでもあり、見ていると頭の中で不思議な音楽が鳴り始める。

そもそもの出会いは高校の時に聴いた黛敏郎「曼荼羅交響曲」なので、お堂に入った途端♪ コワーンとその響きがし、しばらくすると師匠の松村禎三「管弦楽のための前奏曲」の旋律が聞こえ始め、やがて絵図の中に仕込まれた「9」とか「5」とか「3」とか様々な数字が入り乱れるミニマルの世界や、雑多な音(雅楽の楽器や声のざわめきや鳥たちの歌)が交響する対位法の世界が広がってゆく。

画像としてはもちろん今まで何度も見ているのだが、こうして実物(縦横およそ4m) を目の前にしてみると全体像の巨大さと細部の緻密さが圧倒的だ。壮大な交響曲を聴いているような充実した感覚とコピーの増殖を見ているような空虚な感覚(これが「色」と「空」か)が同時に襲ってくる。結局、小1時間ほど吸い寄せられるように見入ってしまった。

Toji 余談だが、「東寺(とおじ)」という発音は東京者には難しい。標準語風の「とーじ(高低低)」だと「当時」、平たく(低低低) 発音すると「湯治」になってしまうが、 京都では「とオじ(低高低)」と「オ」を高く発音するのだそうだ。しかし、そうと分かっていてもTAXIに乗って「とオじ…まで」と言うのは…なぜか物凄くこそばゆい感じがしてダメである。「冬至」で許して欲しい。

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コメント

両界曼荼羅図こそは、多世界解釈を具現化して活用する「量子コンピュータ」についての未来予想図に違いありません。 

ちなみに、イラストで先生の横にいつもいる黒猫も、ひょっとすると「シュレディンガーの猫」なのでは? 

ところで、「とオじ(低高低)」の発音はアメリカ人のほうが関東人よりも得意かもです。

いつも読ませて頂いています。
京都の人間ですけど、京都の人間は「東寺」のイントネーションには特にこだわりありませんね。多分一番一般的なのは普通に「当時」と云う感じの言い方です。近鉄電車の車内アナウンスでもそんな感じなのが確認できますよ。「とオじ(低高低)が正しい」と言う説はおそらく東京の方がおっしゃっているのではないかとかねがね疑っています。もしくは..昔の人? やDeepな京都人? はそういう言い方なのかなあとも思いますが、少なくとも現代の京都の一般では統一的にこれが正しいと云う感じはありません。「そうどす」って一般京都人は言わないのと同じかな。確かに「とオじ」と言う人もいますが、「冬至」でも「湯治」でも全然OKと思います。東京の人ってすごくイントネーションを気にしますよね。そうしないと笑われるみたいな不安があるのかもしれません。これ以上書くと悪口っぽくなるのでやめておきますが、要は変に気にしないで全然大丈夫ですと言いたいのです。

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