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以前から気になっていた執筆支援ソフト(Scrivener@¥4,500)というのをAppleStoreで購入。
基本言語は独仏英語なのだが、もちろん日本語入力は普通に可能。ウィンドウなどでの英語表記をできる限り日本語化した版(@)もあるとのことで早速使ってみる。
ネットには時々、劣等感と嫉妬で生き霊になっているような人がいる。普通の生活をしている普通の人なのだろうが、現実世界では口に出せない不満や憎悪だけが匿名という別人格になってネットに浮遊してしまうものらしい。(その数が余りにも多いと、国同士のいざこざを生んだりもする)
私などは人間が出来ていないので思わず顔をしかめてしまう(というより、自分の中にもそういう人格がいるのを否定できない)けれど、悟った人は「XXX(放送禁止用語)だから無視しなさい」とこともなげに言う。でも、誰だったか「抱きしめてあげたい!」と言ったのが(まるでドストエフスキーの大審問官のシーンを彷彿とさせて)心に残っている。
なるほど、もしかしたらこれからのネット(というよりコンピュータあるいは人工知能)は、人の心を抱きしめてくれる機能こそが必要なのかも知れない。もちろん、そんなものがあったら私も真っ先に欲しい・^_^・
とある新聞に新年のエッセイを頼まれ、人間と音楽の歴史について思うところをざっくばらんに書くことになった。その中で「21世紀の現状については、今のところがっかり感が拭えないのですが…」と口を滑らせたところ、編集氏から、「ちなみに、どんなところががっかりだと思われますか?」と聞かれ、改めてちょっと考えた。
もし50年前の「私」(お茶の水博士のような科学者に憧れていた10歳の少年)がタイムマシンで「今」の世界を見たとしたら・・・・・想像していた「夢の21世紀(人間の叡智と科学の進歩が築く平和な時代)」との落差に驚きがっかりするのは以下の点(回答のまま)だろうか・・・
まだ世界に国境があること。まだ民族や宗教や主義で諍い(戦争の種)があること。まだ貧困があること。まだ不治の病があること。まだ(いわゆるアトムのような人工知能を持った) ロボットが実用化されていないこと。まだエネルギー問題というものが存在すること。まだ自動車が地面を走り交通事故の死者がなくなっていないこと。まだ宇宙旅行・宇宙開発が(一般人が享受出来るレベルで)実用化されていないこと。まだ一般人や子供が巻き込まれる非道な犯罪がなくなっていないこと。まだ人の心に憎しみや蔑みや差別意識の種が消えていないこと。にもかかわらずそれらを食い止める「叡智」が有効に機能していないこと。
逆に、想像以上に進化していて驚喜しそうなのがパソコン&ネット環境と一部のテクノロジー。想像と違って嬉しいのは、21世紀にはとっくに無くなっていると思っていた「オーケストラ」がまだちゃんと立派に存在していること。そして個人的に最も吃驚なのが、自分が作曲家をやっていること・(; ̄O ̄)
叔父の一周忌。
午後、母校(慶應義塾高校)の校誌の取材を受ける。
当然「当時(高校時代)の写真を見せて下さい」という話になったのだが、これが、どこを捜しても一枚もない。何しろ14歳(中学3年)の冬に作曲を志してから何とかデビューする20代後半までの十数年間 (「深海魚時代」と呼んでいる)は、人目を避けて生息するどん底の「暗い青春」時代。写真に映ることを(吸血鬼のように)避けていた節があり、その間の写真はほぼゼロなのだ。
もちろん、学校で撮った修学旅行とか入学式などの集合写真には写っているはずだが、卒業アルバムすら貰わなかったので手元には一枚もない。実家の押入れをひっくり返しても、見つかったのは高校2年頃の旅先での一枚(しかも偶然写り込んだだけのスナップ写真)だけ・orz
後年、指揮の藤岡幸夫氏(彼も同校出身)と会った時も、「そう言えば慶応に行ってた証拠がそもそもないね~」と言ったら唖然。それどころか十代二十代まるまる記憶も証拠写真もないという惨状なので「誰か殺して記憶喪失になってたりしてね」と怖い話も出たほど。どちらにしても、笑顔でVサイン出して写真に写るような、そんな明るい青春時代では微塵もなかったわけなのだ。
師走の寒い雨の中、NHK504スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」1月分2本の収録。
浜離宮朝日ホールでの田部京子ピアノ・リサイタルを聴きに行く。
シューベルト〜シューマンとロマン派の作曲家に焦点を絞った彼女のリサイタルシリーズ、現在はB&B(ベートーヴェン&ブラームス)ワークスということで、今回はベートヴェンのソナタ3つ(14番「月光」、26番「告別」、30番)とブラームスの6つの小品op.118。
シューベルト・シューマンはともかく、この2人(B&B)はさすがにごつい男のピアニスト向けだろうと失礼ながら思っていたのだが、30番のソナタのあまりの絶品さと美しさを聴いて考えを改めることにした。男の作曲家の晩年の作品(特に哀愁のむこうに虚無感と欠落感が滲むタイプの音楽)は男にしか分からないもの…と長らく勝手に思ってきたが、それをとことん敬愛と慈悲の目で見つめ、美しく優しく包み込む。これは、考えてみれば女性にしか出来ないことなのかも知れない…と怖ろしいことにも気付かされた。まだまだ音楽は奥が深い。
ちなみに、今回アンコールに演奏されたシベリウス「樅の木」と私の「真夜中のノエル」の後で、(死んだ作曲家だけでなく「まだ生きている作曲家」にも敬意を示す意味からか) 客席にいた私を舞台上から紹介されたのには驚いた。拍手を受けて思わずその場で立ち上がって一礼はしたものの、お客さんは「誰?ブラームス?」と思われたのでは?・・・(^_^;
師走に必ず聴く恒例のワーグナー「ニーベルングの指環」、今年もショルティ盤でまず一周(指環なので…)。
LP盤14枚組の頃は(AB面があるので)20〜30分おきに裏返す必要があったが、今はiTunesに全曲入れてあるので、全4作:14時間半まるまるBGMとして連続再生が可能。(その気になればワーグナーの楽劇全曲の連続再生も・・・(v_v)・・・♪
ちなみに、うっかり〈リピート再生〉をONにしておいたので、《神々の黄昏》が終わった途端ふたたび《ラインの黄金》の冒頭が始まりそうになり、これはさすがに寸止めに。
しかし、作曲するのに二十余年、上演するだけで4晩かかる畢生の大作が、未来でこういう聴かれ方をされていることを当のワーグナー先生が知ったらどう言うだろう? 「けしからん!」か「面白い!」か? 恐山で降霊して聞いてみたい・・・
丸5年間コラムを担当していた(女性指揮者が主人公のコミックス)「天にひびき」(やまむらはじめ)の単行本最終第10巻が届く。
ASKS@12月配本分のスコア・・・今回は以下の4点になる予定。