調性で読み解く〜曼荼羅〜コンチェルト
昨年出した拙著〈調性で読み解くクラシック〉の売れ行きが好調なのだそうで、出版社の方がご挨拶に来訪。
イラストをまじえての軽めな読み物に見えるので(実際、軽いのだが)手を伸ばされた方が多かったのだろうか。ただし、かなり私見を交えての危ない音楽(調性)論なので、あくまでも「ナルホド、そういう見方もあったのか」という副読本的なポジションで読んで頂きたい。くれぐれも。
そして、もう少しまじめな「音楽とはそもそも何なのか?」については、死ぬまでにちゃんと書き残しておかなければ、と改めて思う今日この頃。
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夕方、黛敏郎〈曼荼羅交響曲〉のスコア(Peters)が届く。
高校生の時に初めて音を聴いた瞬間から延々50年近く夢にまで見たスコアなので、現物を手にしばし感動。ただ…手書きのマニュスクリプト版だとは予想していたものの、潰れた音符とインクのシミだらけの譜面にちょっと驚く。おそらくリハーサルに使った昔の(書かれたのは1960年)劣化して薄くなった青焼きコピーから起こしたものと思われるが、NewYorkの大手出版社Petersがこの状態で出版するのだから、残されている譜面の中ではこれが一番状態の良いものだったのだろう。(現代ではスキャンして修復する技術も進んでいるので、私も自作の古い手書き楽譜ではそれをやっているが、それは書いた当人だからできること。オリジナルに手を加えるというのは…汚れを取るというだけのことでも…確かに難しいのかも知れない)。なんだか別の意味でも感動…と言うより、しんみりしてしまった。
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夜、赤坂でとある演奏家の方とプロデューサー氏と集まって新しいコンチェルトの相談をする。具体的にどんな形になるかは未定なのだが、もし実現すれば「そんな楽器のコンチェルトあったっけ?」という超レアな作品になることだけは確か。
最晩年の透明な世界になるか、老いの無様な世界になるか・・・どちらもミューズの神の思し召し次第。