京都〜星幻〜風夢
しばらく怠けていた旧作のPDF(電子化)整備を(思い出したように)すすめる。
ひとつは、京都の記念祝典のために書いた「三つの水墨画」(2013/室内オーケストラ)。そして、2006年に書いた邦楽デュオの姉弟作品「星幻譜」(笙と二十絃箏)と「風夢の舞」(尺八と二十絃箏)。
いずれも(いわゆる)「和(日本)」の世界に抵触した(つもりの)作品ではあるのだが、視点に異邦の香りと乖離感があることに改めて気付く。理由は簡単で、私自身、京都を巡って「和」の世界を愛でているつもりになっていても、生活の中にもはや着物も畳もなく、洋服や椅子やベッドでないと寛げない。日本酒と美味しい和食に舌鼓を打ち「ああ、自分は日本人なのだなぁ」とどんなに感慨にふけっても、翌朝は必ずパンと珈琲。日本で生まれ育ちながら(たぶん)明治時代に初めて日本に来た外国人と同じ「異邦感」なのである。
そのくせ、最晩年は京都に侘び住まいでも持ちたいものだと夢見ているのだが・・・サテ、侘び住まいの隠居爺になっても「それら全てを含めて〈和(日本)〉なのだ」と強がりを言い続けられるだろうか。