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2015年2月

2015年2月27日 (金)

鈴木貫太郎翁

Suzki 先日、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で、鈴木貫太郎(1868~1948)の特集回(天皇のそばにいた男〜太平洋戦争最後の首相)を見た。

実は、母方の祖父が晩年の貫太郎翁と親しかったそうで、そのことは話には聞いてはいたのだが、番組冒頭で生地の記念館が映ったとき、展示品の木像を指して母が「あ、これ、お爺さんの(作った)彫刻よ」と言ったのには驚いた。

祖父:宮本重良(1895~1969)は院展・燦々会などで活動していた彫刻家だが、特にお偉いさんとの付き合いがあるわけではない一般庶民出身。主な作品は仏像や神像(法然上人像・芭蕉像・猿田彦像など)である。
しかし、実家(すき焼きの老舗)が食材の仕入れをしていたのが千葉県野田という場所(千葉の最北端で醤油で有名)で、その縁で戦争中、同市の関宿(せきやど)という処に疎開。そこが偶然、鈴木貫太郎の生地だったことから(ほお、彫刻をやるのかね…というような感じで)懇意となったのらしい(当時、祖父40代、貫太郎翁70代)。

Moku 氏は大戦中の最後の総理大臣として日本を終戦に導く大役を終えた後、故郷の関宿に戻って隠居生活をおくり、3年後(昭和23年)に80歳で逝去している。祖父が彫った木像(右→)はそのころの隠居貫太郎翁のもののようだ。

ちなみに、私の父方の曾祖父(吉松駒造:1858~1923)も東宮侍医を務めたことで昭和天皇と接点があり、鈴木貫太郎もまた終戦時に昭和天皇の再側近という立場にあった人物。さらに貫太郎翁の妻たかは幼少時の昭和天皇の養育係を務めていた女官だったそうなので、当然当時侍医だった曾祖父との接点もあったことになる。

両親は、別にそういう縁があって結婚したわけではなく、ごく普通の一般庶民同士(語学講師の息子と彫刻家の娘)の普通の(いわゆる)職場結婚だったのだが・・・何やら不思議な縁ではある。

2015年2月26日 (木)

ピンク・ブルックナー

Antonfloyd無性にブルックナーを聴きたくなり(特に第9番・第8番を)聴き漁ることがある。その異形な巨大感と間延びしたゆったり感がたまらなく心地よいのだが、時々、曲の中に漂う「Major(長調):つまりドミソ」の響きに違和感を感じることがある。

そんな時はピンクフロイドを聴く(最近はライヴ盤「PULSE」「光」)。似て非なる音楽ではあるが私の中では何かの数値が同じらしく、異形な巨大感と間延びしたゆったり感のむこうに聞こえるブルース系コードの響きがその違和感を中和してくれる。

そもそもクラシック音楽では(キリスト教の文化背景と言うべき)自然倍音から生まれた「ドミソ(長三和音)」の響きを絶対の美(協和音)とするけれど、日本を始め多くの文化圏ではむしろ非自然倍音の方を「美しい」と聴くことが多い。
数学的に完璧でシンプルな形…例えば「まん丸」とか「まっ四角」とか「左右対称」なもの…が生活の中にあるのはむしろ「不自然」であり、少し崩したり歪んだ形の方が落ち着くし「癒やし」を感じるのと同じらしい。

私も個人的に、昔から「Major(長調のドミソ)」のコードより、7thや9thが加わったコード(例えば「Cmaj7」や「Dm7」「Gm9」)の方が「美しい」し「肌に合っている」と感じる。それは、完全な球体でキズひとつない水晶玉より、手になじむ形をした木や焼き物の器などに感じる「しっくり感」に似ている。

なので、人間は本当はドミソが好きなわけではないのではないか?とよく思う。ワーグナーあたりからは西洋クラシックの作曲家たちもそれに気付いた感があるが(そのおかげで調性の崩壊に至るわけだが)、人一倍信仰心が厚いブルックナー翁の音楽には、異形の域に達してもなお「完全な球体」への憧れが聞こえてくると言うことなのかも知れない。

とは言え、ピンクフロイドの「The Dark Side of the Moon(狂気)」が「D(ニ長調のドミソ)」のコードで終わった後では、またブルックナー翁の音楽(それもDmで始まる第9番!)を聴きたくなる。それもまた(私の中では)「自然」ということなのらしい。

2015年2月23日 (月)

音符の様子@春一番

Bird22スコアPDF版整備、今月は…
〈ドーリアン〉...オーケストラ
〈鳥はふたたび…〉 ...室内オーケストラ
〈夢あわせ夢たがえ(邦楽アンサンブル版)
の3作品を仕上げる。

作品番号の付いた発表作品としては残すところ十数作くらいだが、未発表で演奏すらされていないような作品の楽譜をどうするか思案中。それなりに怨念がこもった作品たちなので、ゴミの日に出したりしたら祟りがありそう…(@_@;)…一応スキャンして保存しHPにでも貼り付けて置くのが無難か。

Vocali_2 舘野泉さんに頼まれていたラフマニノフの「ヴォカリーズ」左手ピアノ編曲版は、先週のコンサートに間に合ったので手渡し。

4月にイギリス(マンチェスター)で披露予定の〈Toccata〉は、ただ今最終校正中。ラヴェルの「クープランの墓」に因んだ連作で、各曲にそれぞれ戦争や紛争で亡くなった知人の名を付す…ということからKenji GOTO(後藤健二)氏の名を考える。

そして、来月からは本格的に《KENJI…宮澤賢治によせる》のスコア制作作業に取り掛かる予定。そういえば、こちらもKENJIで、生と死に因んだ連作である。

2015年2月20日 (金)

舘野泉さんとKENJI

Tateno150220_2東京オペラシティに舘野泉さんのコンサート「軌跡の左手」を聴きに行く。

昨年7月にベルリンで行われたリサイタルと同じプログラムでの凱旋公演で、光永浩一郎「サムライ」、coba「記憶樹」と並んで私の作品…NHK大河ドラマ「平清盛」より〈遊びをせんとや〉〈海鳴り〉も演奏された。

コンサートに呼ばれたのはもうひとつ、終演後の記者会見に立ち会うためで、舘野さんは「左手の文庫(左手ピアノの作品委嘱応援プロジェクト)」と今後の予定について、私は舘野さんのために書いている次の新作についてのお話をする。

Tatenod_2

新作は〈KENJI…宮澤賢治によせる〉という、左手ピアノに語り(柴田暦さん)とチェロが付いた作品。舘野泉さんの「次は銀河鉄道の夜をテーマにした作品を」という一言から始まった企画だが、もともと私も舘野さんも〈北欧〜シベリウス〜宮澤賢治〉で繋がっているので「いいですね〜」と即決。賢治の詩や童話(やまなし/宛名のない手紙/オホーツク挽歌/銀河鉄道の夜ほか)をコラージュした「語り物ミニオペラ」として構想を始めることになり、ただ今、鋭意作曲中。銀河鉄道のクライマックスでは、「セロのような声」の役で舘野さんにも弾き語ってもらう予定。初演は6月3日(東京オペラシティ)。

2015年2月19日 (木)

2月19日の初演記念日

Sibelius

NHK404スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」3月分追加2本の収録。

2月7日に行われた川越市市民会館のクロージング(改装移転)さよなら公演の一夜から…
3月1日(日)放送分は、モーツァルト交響曲第35番「ハフナー」、同フルート協奏曲第1番(fl:松木さや)
および3月8日(日)放送分は、ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界から」ほか。演奏は、円光寺雅彦指揮東京フィル。

ちなみに、本日2月19日というのは〈朱鷺によせる哀歌〉が初演された日(1981年:東京)です…とTwitterで指摘され、「ホントだ」と改めて確認。さらに、シベリウス師の交響曲第6番が初演された日(1923年:ヘルシンキ)でもあるそうで、改めて天啓とも言うべき因縁に(今更ながら)驚く。

2015年2月17日 (火)

明治23年のドヴォルザーク

Tchdov NHK504スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」3月分2本の収録。

3月15日(日)放送分は、チャイコフスキー交響曲第4番ヘ短調。外山雄三指揮東京フィル(2014年9月23日@第852回オーチャード定期より)
3月29日(日)放送分は、ドヴォルザーク交響曲第8番ト長調。小林研一郎指揮東京フィル(2014年10月19日@第61回午後のコンサートより)

ちなみに、ドヴォルザークが交響曲第8番を書いている時期(1889/90年。明治22/23年)というのは、(前にもちょっと書いたが)私の曾祖父:駒造がヨーロッパ(当時のドイツ帝国。現在のポーランド)に留学していた時期と重なる。(森鴎外がドイツ留学していたのがその直前1888年までなのでちょうど入れ違いになる)

ヴロツワフの大学(ブラームスが「大学祝典序曲」を書いた学校)に居たので、この曲が初演されたプラハのすぐ近く(とは言っても200kmほどはあるが)。授業を抜け出してブラームスと一緒に初演を聴きに行った……などという怪しいエピソードでもあったら朝の連続ドラマ(コマさん?)にでもなりそうだ・φ(.. )

2015年2月16日 (月)

鳥はふたたび夢あわせ

Yumeaws

楽譜のPDF化作業、〈ドーリアン〉に続いて〈鳥はふたたび…〉と〈夢あわせ夢たがえ(邦楽アンサンブル版〉に取り掛かる。

先日、一回り年上の先輩作家(つまり七十代半ば)が、「いつまで現役で書き続けるおつもりですか?」という問いに「まあ、あと10年か15年くらいですかね…」と答えているのを聞き、その元気さ具合に立ちくらみしそうになる・(○_○)・

私などは「人間五十年」と信じて来たので、(作曲家などという商売を続けながら)五十歳まで生き長らえ、その上さらに還暦を迎えるまでの「ご褒美」余生を戴けただけで身に余る幸運。これ以上何かを望んだらバチがあたるとすら思っているのに。……などと言いながら、そのうち「もう10年」「あと20年」「交響曲をあと3つ」とか贅沢を言うようになるのだろうか。そこから先は「罰ゲーム」余生になるとも知らずに…。

2015年2月12日 (木)

京都路地紀行2

Kyoto2bぶらりと相国寺に寄る。承天閣美術館(左上)で「花鳥画展」をやっているというので鑑賞。こうして花と鳥そして動物にスポットを当てた絵ばかりを集めてみると、改めて日本人(特に公家や武士)の「鳥」という存在への距離感が伺えて興味深い。

近くに京菓子資料館(右上)というのを見付ける。雲龍で有名な俵屋吉富(右中)がやっている資料館だが、裏の室町通りの本店を見て「どこかで見た覚えが?」と思ったら、正月のNHKBSで見たオムニバスドラマ「京都人の密かな楽しみ」で主人公(常盤貴子)が若女将をやっている老舗和菓子屋なのだった。

その〈室町通り〉…という名前に惹かれて、そこから通りをひたすら南下してみる。京都御所の西側のこのあたりは〈上立売〉〈中立売〉〈下立売〉(だちうり・だちゅうり)という地名も面白く、香木(山田松)や、ちりめん山椒(こと路)の専門店があったり、富岡鉄斎の旧居跡(左中)があったり、再生された町屋(右下)があったり、神社にイノシシの首があったりして飽きない。

半日歩き倒してさすがに疲れたので、夕方、謎の路地を抜けて東京の仕事場に戻る。明日の京都は雪になるらしい。

2015年2月11日 (水)

京都路地紀行1

Kyoto2a

最近、気が付くと京都に居る。どうやら仕事場の裏が鴨川横の路地に繋がっているようなのだ・・・(ということなら面白いのだが

ぶらぶらと京都の路地めぐり…まずは鴨川東岸の清水五条へ。
このあたりは、かつて「六波羅」と呼ばれ平家の屋敷が建ち並んでいた場所で、清盛の屋敷があったのは、川沿いの道から一筋入った宮川町・松原通・大和大路通に囲まれた…現在、和菓子の名月堂(写真右上)があるあたり(らしい)。
もちろん今はその頃の面影はないが、この宮川町界隈は、祇園・先斗町と並ぶ有名な花街で、粋な和服のお姉さんとすれ違う機会も多い(ただし、昼間から舞妓姿で歩いているのは100%観光客の扮装舞妓)。
ここから北へ足を伸ばし、商売繁盛のゑびす神社から建仁寺を抜けるとすぐ祇園である。

そして、四条大橋を渡ると四条河原町。ここに謎の小径があると聞いて覗いてみたくなったのだが、なるほど雑踏でごった返す交差点から一歩入ったところに人通りのない細道(裏寺町通り)があって、さらに細い「柳小路」(写真左下)というのが不思議な雰囲気をたたえている。観光客だらけの新京極から一筋入った路地なのだが、秘密の小路っぽくていい。

そのうち、暗くなってきたのでお馴染みの先斗町(右下)へ。ぶらぶら歩いて店を品定めしてから、新しく見つけた歌舞練場横の「とりうめ」という焼き鳥屋で一杯。「英薫」と「蒼空」を飲み比べ。ほろ酔い加減で高瀬川べりを歩き、路地を抜けるともう東京…(だといいのだが)。

2015年2月 9日 (月)

父十三回忌

13k父の十三回忌でお寺へ。

そもそも父が〈ベートーヴェンの交響曲第5番のスコア〉 などという代物を中学生の私に見せたおかげで作曲家などになってしまったわけで、感謝半分・後悔半分・(v_v)・。その後、苦節三十有余年、何とかなるまで随分心配をかけてしまったが、亡くなる直前に交響曲第5番をイギリスで録音して「我が父に献呈」したことを報告し、その数ヶ月後に逝去したので、因縁のループは完結し親不孝はギリギリ回避出来たように思う。唯一の心残りは、生きている間に大河ドラマ(平清盛)を見せたかった、ということくらいだろうか。

Dan余談ながら、父の眠るお墓は奇遇にも作曲家團伊玖磨氏が眠る團家累代墓のすぐ近く。生前はお会いしたことがなかったが、死んだらご近所様になるわけだ。・・・というわけで、こちらにもちょっとお参り。

2015年2月 8日 (日)

Dorian Scan

Dor自作スコアのPDF化作業最後の大物のひとつ〈Dorian〉op.9のスキャン&修復を始める。

1979年(36年前!)作の古い手書きスコアでA3判60ページ。コンクール(交響楽振興財団作曲賞)に応募するため清書(黒インクペン)してあるので、手書き譜としてはそこそこのクォリティ。しかも、入選止まりで戻ってきたのでオリジナル譜が手元にある(当時は簡単にコピーなど作れなかったので、コンクールなどに出せば、原譜はなくなってしまうのが普通だった)というなかなか良い状態での作業である。

押入れの中には、この曲を終楽章とする幻の〈交響曲第1番〉の草稿(こちらは鉛筆書き)もあるのだが、これはさすがに処分するしかないだろう。 ほかにも、尺八と室内オーケストラという編成だった頃の〈朱鷺によせる哀歌〉の初稿とか、コンクールに落ちまくっている頃書いた(当然演奏すらされていない)怪しげなオーケストラ曲が数曲、さらに「こんな曲書いたっけ?」と本人が首を傾げる謎の曲などなど70年代の血と汗と涙の残滓がまだいろいろ。

いずれも本人の目が黒いうち(?)にちゃんと処分しなければいけないのだが、昔のように「庭で密かに燃やす」…ということが出来ればともかく、手書きの草稿を「束ねて資源ゴミの日に出す」というのは…さすがにかなり抵抗があって悩ましい・(v_v)・

2015年2月 6日 (金)

English Pages

Engaaイギリスで演奏されるピアノ曲を書いているから…と言うわけではないが、しばらくほったらかしだった本家ホームページ(交響曲工房)のEnglish Pageを更新する。

PDF化で増えた出版作品のリストと、それにリンクする作品データのページの微修正・φ(.. )。試聴(Audition)は本館の音楽館から5つだけ移動。ただし、作品解説(Works)やCD(Discography)は、余裕が無く以前のまま。

むかしは、英文ホームページを作成する…というと「世界に発信!」などと大げさに言う人がいたが、「世界」というのは意外と町内より狭かったりもするわけで・(=_=)・

2015年2月 4日 (水)

クープランの墓を偲んで

Pianoss_2最近、ひどいニュースばかりで鬱な気分の中、ピアノのための短い小品と編曲(どちらも頼まれもの)の作曲のため、ひさしぶりにピアノ(とは言っても電子ピアノだが)に触るようになった。

鍵盤に指を乗せると、小さな舞曲のような音の欠片がタンポポの綿毛のようにぽわぽわと涌いて出て来るのだが、30秒も弾いていると指の筋肉疲労が始まり、書きとめた音符を弾こうとすると指を捻挫しそうになる。(それをピアニストに弾かせようというのだから作曲家というのは困った人種である…)

ちなみに、イギリスの音楽祭から頼まれているこの不思議な委嘱小品は、6人の作曲家による連歌仕立ての組曲…という企画で、ラヴェルがかつて「クープランの墓」でそうしたように、someone who has died in conflict or tragic circumstances(紛争や悲劇的な状況で亡くなった誰か)を追悼する意味を含めて欲しい…という一文が添えられていた(ラヴェルの曲は6曲それぞれが第一次世界大戦で戦死した友人たちの思い出に捧げられている)。それを聞いた時は「今の日本にそんな人は…」と思ったのだが、悪魔的な予言のようにその「誰か」が現実に現れてしまった。

ただし…(音楽は)哀しみを越えて、人生が続いてゆくような(ものでありたい)…という注釈付きで、今読むと…しみじみ深い。音楽は(今も昔も)死者に手向ける花束のようなものだが、そこにあるのは(今も昔も)「生」への思いなのだ(と思う)。

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