鈴木貫太郎翁
先日、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で、鈴木貫太郎(1868~1948)の特集回(天皇のそばにいた男〜太平洋戦争最後の首相)を見た。
実は、母方の祖父が晩年の貫太郎翁と親しかったそうで、そのことは話には聞いてはいたのだが、番組冒頭で生地の記念館が映ったとき、展示品の木像を指して母が「あ、これ、お爺さんの(作った)彫刻よ」と言ったのには驚いた。
祖父:宮本重良(1895~1969)は院展・燦々会などで活動していた彫刻家だが、特にお偉いさんとの付き合いがあるわけではない一般庶民出身。主な作品は仏像や神像(法然上人像・芭蕉像・猿田彦像など)である。
しかし、実家(すき焼きの老舗)が食材の仕入れをしていたのが千葉県野田という場所(千葉の最北端で醤油で有名)で、その縁で戦争中、同市の関宿(せきやど)という処に疎開。そこが偶然、鈴木貫太郎の生地だったことから(ほお、彫刻をやるのかね…というような感じで)懇意となったのらしい(当時、祖父40代、貫太郎翁70代)。
氏は大戦中の最後の総理大臣として日本を終戦に導く大役を終えた後、故郷の関宿に戻って隠居生活をおくり、3年後(昭和23年)に80歳で逝去している。祖父が彫った木像(右→)はそのころの隠居貫太郎翁のもののようだ。
ちなみに、私の父方の曾祖父(吉松駒造:1858~1923)も東宮侍医を務めたことで昭和天皇と接点があり、鈴木貫太郎もまた終戦時に昭和天皇の再側近という立場にあった人物。さらに貫太郎翁の妻たかは幼少時の昭和天皇の養育係を務めていた女官だったそうなので、当然当時侍医だった曾祖父との接点もあったことになる。
両親は、別にそういう縁があって結婚したわけではなく、ごく普通の一般庶民同士(語学講師の息子と彫刻家の娘)の普通の(いわゆる)職場結婚だったのだが・・・何やら不思議な縁ではある。
無性にブルックナーを聴きたくなり(特に第9番・第8番を)聴き漁ることがある。その異形な巨大感と間延びしたゆったり感がたまらなく心地よいのだが、時々、曲の中に漂う「Major(長調):つまりドミソ」の響きに違和感を感じることがある。
スコアPDF版整備、今月は…
東京オペラシティに舘野泉さんのコンサート「軌跡の左手」を聴きに行く。



ぶらりと相国寺に寄る。承天閣美術館(左上)で「花鳥画展」をやっているというので鑑賞。こうして花と鳥そして動物にスポットを当てた絵ばかりを集めてみると、改めて日本人(特に公家や武士)の「鳥」という存在への距離感が伺えて興味深い。
父の十三回忌でお寺へ。
自作スコアのPDF化作業最後の大物のひとつ〈Dorian〉op.9のスキャン&修復を始める。
イギリスで演奏されるピアノ曲を書いているから…と言うわけではないが、しばらくほったらかしだった本家ホームページ(
最近、ひどいニュースばかりで鬱な気分の中、ピアノのための短い小品と編曲(どちらも頼まれもの)の作曲のため、ひさしぶりにピアノ(とは言っても電子ピアノだが)に触るようになった。