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2015年3月

2015年3月31日 (火)

慶應義塾高校JK

Jk2015_2母校慶應義塾高校の会報誌JK*(2015年春号)で、芸術ジャンルで活躍している卒業生として紹介して戴いた。

実は、記事の中で高校時代の写真を載せたいので是非…と乞われて探したのだが(実際、他の方の記事はみんな「当時の写真」付きだ)……なぜか手元に一枚もなくて唖然とする。

確かに暗い青春時代ではあったが、別に破棄したわけでも隠しているわけでもなく、いくら何でも入学式とか修学旅行とか学園祭(しかも初めての作品を初演している)くらいは撮っていそうなものだが……ない。卒業アルバムも(注文しなかったので)ない。

意固地に「写真に撮られてたまるか」とひねくれまくっていた気もするが、そのくせ趣味でカメラには凝っていた(ただし人は絶対に撮らないと決めていた)。そう言えば、高校3年間で「音楽以外」の記憶というと……校庭の隅でアリを数えていたことくらいしか思い付かない。もしかしたらヘンな奴だったのかも知れない。

*ちなみに「JK」は「塾高」の略。

2015年3月30日 (月)

桜、咲く…

Sakura2015a_2東京の桜が満開になったと聞いて見に行く。

春…というより初夏の陽気であちこち満開。千鳥ヶ淵(上)、靖国神社(左下)、新宿御苑(右下)。

健気に咲く花たちを静かに愛でる一日。

2015年3月28日 (土)

ダブルトラブル

Printerxパソコン上で書いている楽譜や原稿も、いよいよ仕上げとなると印刷して「紙」で見たくなる。考えてみれば不思議だが、やはり作ったものは「手に取ってみる」のが存在の確認としては基本だからだろうか?

…と、そんな時に限って、10年近く使っていたプリンタ氏が印刷の途中で突然「ぷつッ」という音だけを残し、ウンともスンとも言わなくなった。

こんなこともあろうかと、実はもう一台予備のプリンターがあるのだが・・・繋げてみるとなんとこちらは「インク切れです」という無情なサイン。

こういうのは確か「何とかの法則」と言うんじゃなかったか。

2015年3月25日 (水)

作曲家の資本論

Rabbit25日は、作曲家にとっての給料日である。加入している音楽著作権協会(日本ではJASRAC)から3ヶ月分の分配金(楽曲の使用料。年に4回〜3月、6月、9月、12月)が振り込まれるからだ。

しかし、その金額の「格差」(と貧富の差)はもしかしたらあらゆる業種の中でトップクラスかも知れない。なにしろその差は「何倍」というレベルでなく軽く4桁5桁。上に「数億」単位で入ってくる人がいる一方、下は「数千円(あるいは数百円?)」単位(3ヶ月で…である。念のため)の人もいるのだから。

私も最初にJASRACに入った頃は「数千円」単位の口。クラシック系の作曲家で生きている内に「万」単位になったら大成功の部類(それでも年収は数万〜数十万円である。念のため)なのだそうだ。

このクラクラするような貧富の差の「是正」を試みるとすれば・・・著作権使用料は(誰の曲かに関係なく)すべて一律に徴収し、それを全作曲家に平等に分配する。そうすれば全ての作曲家は平等になる!

Cut01_2 ・・・わけだが、そんなことしたら、売れている作曲家はみんな著作権団体から逃げ出して、売れない作曲家ばかりが群がるのは目に見えているわけで・・・かくして作曲家の貧富の差は永遠に埋まらないのである。

2015年3月24日 (火)

渋谷の記憶

Schumann2 NHK 504スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」4月分残り1本の収録。

今回は4月19日(日)放送分で、シューマン:ピアノ協奏曲(p:仲道郁代)、指揮:阪哲朗(第856回オーチャード定期より)、リスト:交響詩「レ・プレリュード」、指揮:小林研一郎(第61回午後のコンサートより)演奏:東京フィル。

Tokyu収録の帰り、渋谷に寄り、駅前の東急プラザが先日閉館したことを知る。

高校〜大学と東急プラザ前のバス停を通学に利用していたので、5階にあったレコード店(コタニ)と書店(紀伊国屋)には毎日のように入り浸っていた。中学に上がって最初にギターを買ったのもここ。高校にあがってクラシックや現代音楽のLPレコードを買い漁ったのも、ジャズやロックのアルバムをジャケット買いしたのもここ。道玄坂の渋谷ヤマハ(こちらも2010年に閉店)と共に、音楽を吸収する大事な場所のひとつだった。

今でも渋谷は徒歩圏内の地元だが、最近は中央エリア(駅から半径250m以内。スクランブル交差点より中)に立ち寄ることはほとんどなくなった。人の多さに辟易するのと、歩いていてもまるで別の世界に居るようで、もう自分の知っている渋谷ではない気がするからだ。歳を取るというのはそういうことなのだろう。

2015年3月22日 (日)

ネットの中の音楽Library

Tendertoyit

iTunesStoreを覗いていたら、CD「優しき玩具」が新しくUpされていた。

どういういきさつ&順番で作品がネット配信化(本の場合は電子書籍化)されるのか、未だに良く分からないのだが、作品が(ネット経由なら)いつでも聴ける状態にある…というのは(例え、収入に全く繋がらなくても、聴く人が世界中でたった一人でも)作った人間としては素直に嬉しい。

この延長線上に、有史以来世界中で生まれた全ての音楽が(LPやCDで残っているもの、放送されたもの、個人のテープに録音されていたもの…なども含めて全て)ネットを通じて聴ける…という夢のような時代は来ないものだろうか、といつも空想する。

◇PDF出版用スコア、今月は・・・
・ファンファーレ2001、
・子供たちのための管絃楽入門(2002)、
・大学祝典序曲EX(2008)・・・の3点の整備を終える。

2015年3月20日 (金)

子供たちのための管弦楽入門

SigntPDF楽譜出版、今回は《子供たちのための管弦楽入門》《大学祝典序曲EX》ほか数点を整備。

管弦楽入門は(その名の通り)コンサートの冒頭5分でオーケストラの楽器全部(指揮者を含む)を紹介せよ…という無茶な注文で書かれた曲。 某管弦楽入門曲と同じく語り(ナレーター)付きで、初演は、なんと声優の田中真弓さん。しっかりスコアにサインして貰った・φ(.. )

CDにこそなっていない秘曲(というより珍曲)だが、ATOMコンサートがらみで愛知万博や大阪城コンサートなどでも演奏されたという不思議な経歴を持つ曲である。

2015年3月17日 (火)

チェロのトリヴィア

CelloNHK 504スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」4月分2本の収録。

4月5日(日)放送分は、ドヴォルザーク:チェロ協奏曲(vc:堤剛)。アンコールにバッハ無伴奏チェロ組曲第3番より「ブーレ」。
4月12日(日)放送分は、ベートーヴェン:交響曲第7番ほか。
演奏は、阪哲朗指揮東京フィル。(2015年1月13日、第856回サントリー定期より)

前半はチェロの名作を堪能。今、頭が宮澤賢治の世界なので、チェロのことをどうしても「セロ」と言ってしまうのだが、この「ヴァイオリンの大きい奴」という印象の〈チェロ〉、もともとのイタリア語の〈-ello/-cello〉というのは〈小さいの〉という意味(オペラの小さいのがオペレッタ…の時の-ettaのような接尾語)だというからちょっと面白い。

Violone_2なぜ大きいのに「小さいの」かというと・・・もともと弦楽器の基本サイズは中音域担当の「ヴィオラ(Viola)」。
これの〈小さいの(-in)〉が高音担当の「ヴァイオリン(viol-in)」で、〈大きいの(-one)〉が低音担当の「ヴィオローネ(viol-one)」。

このヴィオローネ→は、今のコントラバスのように立って弾く大きな楽器だったので、これをもう少し小さくして普通に座って弾けるようにしたのが「ヴィオローネの小さいの(Violon-cello)」=ヴィオロン・チェロ。略して「cello(チェロ)」。
直訳すれば「ヴィオラの大きい奴の小さい奴」ということになる(言ってみれば「小さい巨人」…みたいなものか)

ちなみに「セロ」というのは(ヴァイオリンをフランス風にヴィオロンと言ったように)文学的な読み方ではあるけれど、フランス語やドイツ語ではほとんど「セロ」と発音しているようだし、英語でも「cell(細胞)」は「セル」なので「セロ」という発音もありなような気がする(もっとも、それを言ったらBACHはバックでCHOPINはチョピンになってしまうのだが)

2015年3月13日 (金)

春・双調・ト長調

150313a_3久しぶりに新宿御苑に行ったら、早咲きのサクラがもう咲いていた。

春は、双調・ト長調の世界。
春の来ない冬はない…と言うけれど
冬みたいな春…を迎える人もいるし
逆に、一年中春…みたいな人もいる。

それでも
どんな春でも、桜は咲く。
考えてみれば律儀な話だ。

2015年3月12日 (木)

夢だけど夢じゃなかった…銀河鉄道考

Ginga_2 今書いている〈KENJI…宮澤賢治によせる〉という曲の最終章は「銀河鉄道の夜」をベースにしている。しかし、この余りにも有名な作品、私が最初に読んだもの(昭和28年角川書店刊の宮澤賢治集)と現在出版されているものとは、登場人物も構成も終わり方も随分違う。

現在の版(後期形)では、ジョバンニはケンタウル祭の夜、丘の上で銀河鉄道の夢(友人カンパネルラと銀河を旅行する)を見、目を覚ました後、川に寄ってカンパネルラの死を知る。銀河鉄道は純粋にジョバンニが見た「夢」として処理され、ラストは家(現実)に帰るジョバンニで終わる。

一方、私が読んだ古い版(初期形)では、ジョバンニはカンパネルラが川で溺れたことを知った哀しみで丘の上に行き、銀河鉄道に乗る。そしてカンパネルラと銀河を旅するが、突然見失う。そのあと目を覚まし、セロのような声の博士(ブルカニロ博士)からカンパネルラが死んだことと銀河鉄道がある種の心理学的実験だったことを告げられ、ラストは琴の星の描写で余韻を残して終わる。

賢治の死後、昭和30年代くらいまでは、後者の形で出版されていたが、その後色々な研究から、夢から覚めてカンパネルラの水死を知るまでのシーン(原稿用紙の裏に書かれた5枚)が最後に来るのが賢治の考えた最終形だということになったらしい。それに伴い、初期形で登場する博士や実験のくだりは全面削除した方が整合性がある…ということで昭和40年代以降、現在のような形になったという。

賢治自筆の原稿は83枚ほど残っているそうだが、原稿用紙の枡目に書かれているのは銀河鉄道に乗っている間の中盤半分ほど。あとは、序盤(学校から丘まで)も結尾(目が覚めてから最後まで)も用紙の裏に書かれた走り書きに近く、しかもあちこちバッテンで消されていたり二重三重に書き込みが成されている。最終的にどういう構成にするつもりだったのかは、賢治亡き今となっては永遠の謎である。

現在、普通に出版されている「最終形」は、確かに物語の構成自体はかなりスッキリ分かりやすくなったが、ブルカニロ博士の存在を抹消したことで、彼が宇宙や世界についてジョバンニに語るステキな言葉まで全面削除されてしまったことは残念でならない。私が「銀河鉄道の夜」で一番好きなのは、博士がジョバンニに語るこんな言葉だからだ。

Genko

「みんながめいめい自分の神様が本当の神様だと言うだろう。
けれども、他の神様を信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それから、僕たちの心がいいとか悪いとか議論するだろう。
そして、勝負がつかないだろう。

けれどももし、おまえが本当に勉強して、
実験で本当の考えとウソの考えとを分けてしまえば
その実験の方法さえ決まれば、
もう信仰も化学と同じようになる」

                  *

もうひとつ、個人的に気になるのは、最初に読んだ古い版のラスト、
  「琴の星がずうっと西の方に移って
  そしてまた〈夢〉のように足をのばしていました」
という部分である。
(ちなみに、その部分の原稿(右上)は、半紙に書かれた鉛筆での走り書き。「カンパネルラをぼんやり思い出すこと」などというメモがあり、草稿の最終ページだったため、これが物語の結尾だと思われていた)。

昔の版で読んだ私にとっては、これこそが「銀河鉄道の夜」を締めくくる印象深いエンディングだった。銀河鉄道について「なんだ、夢だったのか」というような身も蓋もないことは言わず、最後に星を見上げて「夢のよう」と遠回しに述懐する詩的で見事なラストだと感心したほどである。

Yume3_2 しかし、現在ではこの「夢のように」という部分も、「夢」というのは誤植で「蕈(きのこ)」が正しいとされ、そのように修正されている。

←写真一番左がその《夢/蕈》の該当部分。鉛筆による走り書きなので確かに「夢」とも読める微妙な筆跡だ。

一方、真ん中は「五.天気輪の柱」の中で琴座に触れた「蕈のように」の部分。こちらは原稿用紙にインクで清書された文字であり、明らかに「キノコ」と読める。
そして、一番右は別の部分でペンで書かれた「夢」の筆跡である。

この物語では琴座と蕈はペアで登場し、キノコだからこそ「足」つまり傘の下の柄の部分を「のばして」いるのだ…と言われてしまえばその通りなのだが、この美しい物語のラストを締めくくる琴座の描写が 「夢のよう…」という表現だったからこそ「ああ、なんて美しい終わり方なんだろう」と思ったのは私だけではないはずだ。
だから、これがラストですらなく、しかも「キノコ」と書かれている(新しい)《銀河鉄道の夜》を読んだときのショックったらなかった。

確かに「夢」ではないのかも知れない。
でも「夢」であって欲しいと願わずには居られない。
賢治さん、「夢」だと言って呉れ。

2015年3月10日 (火)

Apple Watch

IwatchAppleの腕時計端末Apple Watch正式発表される。

とうとう腕時計と会話する未来がやって来た。
第一声は(勿論)「流星号、応答せよ」だ。^0^∋
(ただしタイムストッパーは付いていない模様)

2015年3月 9日 (月)

御手洗潔もの

Mitarai島田荘司氏が初めて「公認」した御手洗潔ものドラマ「天才探偵ミタライ」(フジTV土曜プレミアム)を録画で視聴する。

出版される作品はほぼ全部必ず読む…という作家はあまり多くないが、島田荘司氏はそのひとり。最初に手に取ったのは講談社ノベルス版「占星術殺人事件」。ただし、冒頭の奇妙な手記の部分に引っ掛かって2度ほど読むのを諦め、3度目にようやく全編読み通したというスロースターターである。

しかし、それからは文庫版・全集版・改訂版・電子書籍版…と出る度に読み返し、京都に行ってわざわざ「御手洗潔が占星術殺人事件の謎を解いた場所」である若王子(にゃくおうじ・哲学の道の南端)」に寄ったり、友人でワトソン役の石岡クンと一時住んでいたという設定の(ホームズ譚のベーカー街にあたる)横浜・馬車道も訪れた。犯人もトリックも分かっているのに再読する…という点ではまさしくシャーロック・ホームズ譚と同じ感覚である。

これだけ熱狂的な愛読者の多いシリーズなのに映像化は今回初めて(島田氏がOKを出さなかったらしい)ということだが、御手洗役の玉木宏氏は確かに適役(ちなみに彼は大河ドラマ「平清盛」の時の源義朝役で、企画コンサートの時にお会いして舞台で…のだめカンタービレでの指揮体験などについて…ちょっと話したことがある好青年)。

初のドラマ化が中編の「傘を折る女」というのは意外な感じだが、このコンビでの「占星術殺人事件」や「暗闇坂の人喰いの木」「龍臥亭事件」なら是非見たい(堂本光一氏を石岡クンに持って来たのなら彼がメインの「異邦の騎士」や犬坊里美がらみの短編もありえそうだ)。シリーズ化に期待。

2015年3月 7日 (土)

廣瀬量平さんのカラヴィンカ

Hirose 先日〈迦陵頻伽〉のことを書いたせいか、廣瀬量平(1930~2008)氏の代表作である〈カラヴィンカ〉が聴きたくなり、氏の作品を聴き返している。(kalaviṅkaはサンスクリット語で迦陵頻伽のこと)

氏の音楽は、拍子のない独特のノーテーション(記譜法)から引き出される自由でエキゾチックな宇宙が魅力で、ポルタメントまみれのリコーダーやオーボエ(あるいは弦楽器)にキラキラ系パーカッションがからむ70年代の作品(特に〈迦陵頻伽(カラヴィンカ)〉やチェロ協奏曲〈トリステ〉、打楽器とヴィオラ、チェロの為のコンポジションなど)には随分影響を受けた。

最初にお会いしたのは〈朱鷺によせる哀歌〉の初演の時。ロビーでいきなり「よかったよ~」と声をかけてくださり、その後も氏が現代音楽協会の委員長をやっておられた頃(1984~88)はずいぶん可愛がって戴いた。しかし、当時から可愛くなかった私は、その現代音楽協会の委員長に向かって「ぼくは現代音楽がどうしても好きになれないんですが」などと絡んだことがある。ところが、あっさり「実はぼくもだよ~」と仰る不思議な人だった。
(もっとも、この時代も今も「現代音楽が好き」と言う現代音楽作曲家に出会ったことはほとんどないような気がする。それは武将や軍人が必ずしも「戦争が好き」ではないのと同じで、一線に居る人ほど敬虔な「怖れ」のようなものを抱いているということなのかも知れない)。

Mrtraumaa 余談だが、廣瀬さんは(ご自身は北海道函館生まれながら)京都市立芸術大学の教授や学部長を務めていたことがあるほど、京都に縁が深い。私も一度(1992年)、先斗町歌舞練場での現代音楽コンサート!というトンでもない企画に招待され、持ちネタの〈トラウマ氏の一日〉(京都編)をやったことがある。予算は少なかったが、その代わり舞台装置は使い放題で、鴨川踊りの舞台セット(桜や松や提灯)の前で現代音楽を演奏するという抱腹絶倒のコンサートになった。京都に足繁く通うようになったのは、この頃からかも知れない。

2015年3月 5日 (木)

迦陵頻伽のいる森

Karyobin仕事場から近いので、煮詰まると時々明治神宮に散歩に行く。東京なのに「深い森」がある希有な場所だ。

普通の鳥だけでなく迦陵頻伽(かりょうびんが:半人半鳥の架空の生き物)でも混じっていそうな鬱蒼とした森の中に居ると、何百年も昔からある場所のように思ってしまうが、明治神宮…つまり明治天皇を祀ってあるのだから、出来たのは大正時代。まだ100年ほど しかたっていない。(ちなみに、その一角にあった巨木〈代々木〉が、現在の渋谷区代々木の地名の由来である)

Simogamo ここを歩くたびにいつも「この森の奥に密かに小屋を建てて暮らせたら…」とよからぬ想像にふけるのだが、先日、京都の下鴨神社内の糺の森(ただすのもり)に現実にマンションの建設計画があると聞き吃驚。ここも実は京都に行く度に立ち寄り「この森の奥に密かに小屋を建てて暮らせたら…」とよからぬ想像にふける場所だったからだ。

ただし、私が夢想するのは、せいぜい机とベッドを置けるだけの広さの三畳一間くらいの掘っ立て小屋(ただしWiFi完備)で、カモフラージュを施せば木々に紛れて誰にも見つからない…という感じの森の中の隠れ家。建設が計画されているような高級マンションは・・・(どうせ高くて買えっこないし)物凄く羨ましくて悔しいけれど・・・違う。・・・のだけれど、やっぱり物凄く羨ましくて悔しい・(ー^ー#

2015年3月 2日 (月)

確定申告の季節

Taxss毎年恒例の確定申告。この季節になると、三十有余年いつも必ず歩いて税務署の窓口まで確定申告書と添付書類一揃いを届けに行く。税務署は坂の途中にあるので「ぜい、ぜい(税、税)」と息が切れ・(^_^;・、帰りには休憩と厄落とし?を兼ねて一杯飲んで帰ることにしている。

ちなみに作曲家になって税金を払えるようになってから以降 、税金の計算は全部自分でやっている(最初の頃は、税金を払う金額に達せず「この収入でしたら申告しないでいいんですよ」と可哀想な目をされたことがあるが)。

その頃も今も収入は作曲料と著作権印税だけ(当然、年に数回しかない)。たまに「原稿料」とか「出演料」などの雑所得があるくらい(それらは所属事務所が取りまとめてくれる)で、日々の支出(や経費)は(1987年にMacを入れて以来)すべてExcelの自作計算帳に記録しているから、楽と言えば楽なせいもある。

Taxv ただし、作曲家という不安定な職業柄、収入の浮沈は嵐に揺れる小舟のごとし。それでも、何の役にも立たない音楽を書き続けているのに殺されもせず生かして頂けているだけで重畳。
今年もまた税金を払えることを感謝しつつ(というより源泉徴収された分の還付申告がほとんどなのだが) …それを肴に酒を飲む。

2015年3月 1日 (日)

クラムボンの死

Kawasemi

〈KENJI…宮澤賢治によせる〉のスコア制作を進める。

この作品、実は20年ほど前、宮澤賢治生誕100周年(1996年)に原ノ町で上演した舞台作品(宮澤賢治によせるコラージュ風オマージュ)をベースにしている。
なので今回の作業は「Compose」というより「ReMix」に近いが、賢治の不思議な言葉は20年たって読んでも瑞々しく「こわい」。

例えば・・・有名なクラムボンが出て来る〈やまなし〉の一節。川の底に棲むカニの親子の会話で…子カニが「お父さん、今おかしなものが来たよ。青くてね、光るんだよ。そいつが来たら、お魚が上にのぼっていったよ」と言う。父カニは「それはカワセミだよ」と答える。そのあとこういう会話が続く。

「お父さん、お魚はどこへ行ったの」 
「魚かい。魚はこわいところへ行った」

こわい・(゜◇゜)・
おそらく銀河鉄道にはこの魚も乗っているのだろう。

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