廣瀬量平さんのカラヴィンカ
先日〈迦陵頻伽〉のことを書いたせいか、廣瀬量平(1930~2008)氏の代表作である〈カラヴィンカ〉が聴きたくなり、氏の作品を聴き返している。(kalaviṅkaはサンスクリット語で迦陵頻伽のこと)
氏の音楽は、拍子のない独特のノーテーション(記譜法)から引き出される自由でエキゾチックな宇宙が魅力で、ポルタメントまみれのリコーダーやオーボエ(あるいは弦楽器)にキラキラ系パーカッションがからむ70年代の作品(特に〈迦陵頻伽(カラヴィンカ)〉やチェロ協奏曲〈トリステ〉、打楽器とヴィオラ、チェロの為のコンポジションなど)には随分影響を受けた。
最初にお会いしたのは〈朱鷺によせる哀歌〉の初演の時。ロビーでいきなり「よかったよ~」と声をかけてくださり、その後も氏が現代音楽協会の委員長をやっておられた頃(1984~88)はずいぶん可愛がって戴いた。しかし、当時から可愛くなかった私は、その現代音楽協会の委員長に向かって「ぼくは現代音楽がどうしても好きになれないんですが」などと絡んだことがある。ところが、あっさり「実はぼくもだよ~」と仰る不思議な人だった。
(もっとも、この時代も今も「現代音楽が好き」と言う現代音楽作曲家に出会ったことはほとんどないような気がする。それは武将や軍人が必ずしも「戦争が好き」ではないのと同じで、一線に居る人ほど敬虔な「怖れ」のようなものを抱いているということなのかも知れない)。
余談だが、廣瀬さんは(ご自身は北海道函館生まれながら)京都市立芸術大学の教授や学部長を務めていたことがあるほど、京都に縁が深い。私も一度(1992年)、先斗町歌舞練場での現代音楽コンサート!というトンでもない企画に招待され、持ちネタの〈トラウマ氏の一日〉(京都編)をやったことがある。予算は少なかったが、その代わり舞台装置は使い放題で、鴨川踊りの舞台セット(桜や松や提灯)の前で現代音楽を演奏するという抱腹絶倒のコンサートになった。京都に足繁く通うようになったのは、この頃からかも知れない。
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