こどもの耳の向こうにある音楽
こども向け音楽番組で使うオーケストラ曲の作曲と編曲?という不思議な相談を受ける。しかも、クラシック音楽をある程度聴いたことがある少年少女ではなく、まだ「音」が「音楽」になる以前の…リズムやメロディになる境目を感じている…こども…向けなのだそうだ。
確かに、こども(特に幼児)のように耳がプレーンな状態の時、音楽をどういう風に感じるのだろう?というのは長年の疑問のひとつである。
音楽教育を施されると「ドレミファ」とか「長調短調」あるいはどんな音でも楽音に聞こえてしまう「絶対音感」などを耳に仕込まれてしまうわけだが、そういう小賢しい?アプリをインストールされる以前、自然の音やノイズあるいはお父さんやお母さんの声といった「音声入力」だけで世界を感じていた頃、彼らはどんな音楽を夢見ていたのだろう?とよく思う。もちろん自分もそういう時代を経てきたはずなのだが、もはや昔過ぎて思い出すことも叶わないのだが。
そのせいか、最近は(FM番組でクラシック名曲の解説をしていながら)「ベートーヴェンもブラームスも聴いたことがないまっさらな耳に戻って、もう一度ベートヴェンやブラームスを聴いてみたい」ともよく思う。
ショスタコーヴィチが若い頃、確かブラームスの交響曲だかを「実はまだ聞いたことがありません」と先生に告白したところ、無知をなじられるどころか「いいなあ、キミたちは。これから沢山の素晴らしい音楽を知ることが出来るのだから」と羨ましがられたと言う。その先生の気持ち、今は良く分かる。
人間はパソコンのように、記憶や脳のOSを「リセット」したり「再インストール」したりは出来ない。年を取ると、モノを忘れるようになったりボケたりするのは、無知(無垢)の時代へ回帰したいという憧れの成せるわざなのかも知れない。