ツィンマーマンの「レクイエム」
この夏、 ツィンマーマンの「レクイエム」Requiem für einen jungen dichter (Requiem for a Young Poet)」が(作曲からほぼ半世紀ぶりに)日本初演されるという話を耳にし、昔のレコードをひさしぶりに聞き直してみた。
ベルント・アロイス・ツィンマーマン(1918~1970)はシュトックハウゼンと並ぶ現代ドイツの作曲家で、代表作であるオペラ「兵士たち」(1960/4)は(ベルク「ヴォツェック」の延長線上に屹立する)現代音楽の古典として知られる。ただ、自身がバリバリ難解な現代音楽系作風なのに「前衛音楽」を内側から糾弾するというひねくれ気質を貫き、さらに確信犯的な引用や折衷主義(のちの多様性)を敢えて行ったこともあって現代音楽界からは孤立(他人事ではない話だが…)。1970年の大阪万博(EXPO)の会期中(8月10日、ドイツ館でシュトックハウゼンが演奏されている頃?)にピストル自殺している。
その彼が死の前年(1969年)に完成させた(演奏時間65分ほどの)大作がこの「レクイエム(若い詩人のための)」。「レクイエム」の典礼文を使いながら全く「永遠の安息(Requiem aeternam)」を歌う部分はなく、ヴィトゲンシュタインやミヤコフスキーやジェームス・ジョイスの詩が朗読され、ヒトラーや毛沢東の演説がテープで聞こえ、ベートーヴェン(第9)やビートルズ(ヘイジュード)が引用され、Free Jazz スタイルのジャズコンボが乱入する中、合唱とオーケストラが不協和音を軋ませ、最後に「Dona nobis Pacem(我らに平和を与えよ)」という不協和音の絶叫で終わる。(つまり、「死を悼む」のでなく「死について糾弾する」レクイエムなのである)
大オーケストラと合唱に声(詩の朗読)やテープ音響やジャズを加えクラシックの古典から現代ポップスまでを引用して巻き込む…という総合芸術的ヴィジョンは(ベリオ「シンフォニア」1968/9にもその気があったが)、ある意味で60年代前衛の「集大成」=当時の現代作曲家の最終目標だったと言っていいかも知れない。
・・・しかし、ポップス界からそれを易々とやってのけたビートルズの「サージェント・ペパーズ(Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band)」(1967)が登場してファースト・インパクトとなり、さらにピンクフロイドの「狂気(The Dark Side of the Moon)」(1973)に代表されるプログレッシヴ・ロックがセカンド・インパクトとなり・・・当時、現代音楽界に足を踏み入れようとしていた作曲家の卵としては「やられた!(負けた!)」と打ちのめされるしかなかった。それは、現代音楽界(つまりクラシック系の創作音楽界)が行き詰まっている点を、技術的にも経済的=興行的にも(そして怖ろしいことに音楽的にも)楽々と超えられてしまった衝撃だった。
結果、今となっては「廃墟にそそり立つ孤塔」とも言えるこのツィンマーマンの「レクイエム」だが、これを不協和音でなくブルースコードで、そしてオーケストラでなくロックバンドで演奏すれば、立派なプログレッシヴ・ロックだ。勝手な聴き方を許して貰えば・・・ビートルズの「サージェント・ペパーズ」やピンクフロイドの「狂気」から「ザ・ウォール」(1979)に至るプログレ的世界観(や音楽的方法論)の原点のひとつとも思えてくる。興味おありの方は、是非この不条理で異形の音響世界を(頭をかき回されながら)ライヴで体験して欲しい。(…と、最近リミックス盤が登場したロジャー・ウォーターズ「死滅遊戯(Amused to Death)」1992を聴きながら)
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