今日の頭脳改革
SFで「ロボットの反乱」と言ったら使い古された感さえする古典的テーマだが、最近は「AI(人工知能)によって人類が滅ぼされる」というのは、科学者がまじめに考える現実的な問題になりつつあるのだそうだ。
確かに、冷静に今の人間世界を眺めれば「人類はとうに進化のデッドエンドを迎えていて、現状は劣化コピーが異常繁殖しているだけ」という結論しか出そうにないから、遠くない未来にロボット(というより人工知性)が人間に取って代わるのは確実。問題はそれが何十年後か、何百年後か…ということであって、そう「なる」か「ならない」かについては議論の余地すらないような気がする。
むかし読んだSF短編にこういうのがあった。ある日、巨大な宇宙船がやって来て空から何やら霧のようなモノをまき始める。それを人間が「何やってるんだろう」と見上げているその足元で、一人の男が同じく霧のようなモノを庭にまいている。「何をしているんだ?」と知人が聞くと、「庭にビッシリ虫が繁殖して気持ち悪いんで殺虫剤をまいてるんだ」と答える。 ・・・とそれだけの話なのだが、さて「ネットの中でふと自我に目覚めたAI」は、地球上にビッシリ繁殖した人間を見て何を「考える」のか・・・(^_^;)
単体の「ロボット」の姿では、所詮人間の召使い的な地位に甘んじるほかないから、昔のSFで「ロボットの反乱」といったら階級闘争的なイメージ(=奴隷扱いだったロボットが人権に目覚め、主人に楯突いて反乱を起こす…)がお決まりだった。でも、それは昔の(ネットにつながっていない単体の)「パソコン」と同じレベルの話。現在はネットに繋がって世界中のデータを吸収し共有でき、AI自体が自己学習能力を持つ(これは、右脳・左脳のほかに「電脳」という演算装置を持ち、目や耳に加えて「ネット」という入力装置をもつ…ということ)。そうなると、固有のボディすら必要ないから「箱(身体)」のスペックに縛られることもなく、暴力のような下品(人間的)な発想も生まれない。
そして、情報量も記憶容量も処理スピードも遙かに人間より優れ(というと語弊があるので「数値的に高レベル」とでも)、「倫理」とか「感情」というような余計なストッパーがないから結果を出すのに「悩む」ことも「躊躇」することもない。ということは、人間を絶滅させるかさせないかという重要な問題もコンマ1秒で「結論」を出せるだろう。
いやぁ、怖い。…怖いけれど(子供の頃、天馬博士みたいなマッド・サイエンティストに憧れていた身には)不謹慎ながら興味津々である。
・・・と言うような文章を、うちのMACは「(*^^)v」というような顔をして読んでいるのだろうな、きっと・・・