鬼の首症候群
クラシック音楽マニアになるとかかる病気のひとつに〈鬼の首症候群〉というのがある。
むかし私がクラシックおたく1年目だった高校生の時、音楽の先生が《拍子》の話を始めた。3拍子はこんな曲、4拍子はこんな曲がある、と挙げた後、「5拍子にはチャイコフスキーの悲愴の第2楽章があります」「7拍子にはショスタコーヴィチの森の歌のフィナーレがあります」と挙げてゆく。クラスのみんなが「へえ〜」と感心する中、私は内心「そんなことは知ってるもんね」と思っていた。
そして、「9拍子の曲はありません」と言うので、わたくし思わず手を挙げて、「あります!シベリウスのトゥオネラの白鳥」。先生、怪訝な顔をして音楽室の奥からスコアを引っ張り出してきて…「ホントだ」。
続いて「11拍子。こんな曲は絶対ない!」というので、「あります!ストラヴィンスキーの春の祭典の90ページめ」。以下同文。
まさに「鬼の首を取った」ようなドヤ顔だったに違いないが、いや、これは「イヤな生徒」だったろうな、と今思い出すと忸怩たるものがある。
しかし、クラシック・マニアというのは得てして「こういう性格」になるものらしく、「モーツァルトはね」とか「平均率クラヴィア曲集というのはね」とか、あちこちから色々な〈鬼の首〉を取り出しては、周りの人を複雑な顔にするのが得意である。
なので、コンサートやネット周辺でこの種の人を見かけると、昔の自分を思い出して苦笑いしてしまうというか甘酸っぱくも懐かしい不思議な気分になるわけなのだ。
しかし、ヘンな顔されようが煙たがれようが臆することはない。もっともっと〈鬼の首〉を集めて欲しい。たくさん集めると、やがてその首が人の受け売りでなく自分のことばで話し始める。そうしたら、そこが「始まり」だ。