2月の京都・島原
江戸時代の遊郭(花街)の話を読んでいて、ふと思い立ち、いつもの路地を抜けて京都島原へ。
島原(京都)は、新町(大阪)、吉原(江戸)と並ぶ日本三大花街のうち最古の街。吉野太夫、夕霧太夫などの名妓を生み、花魁や芸者など日本独自の文化の礎を築いた地でもある。
しかし、現在は輪違屋(わちがいや)と資料館となっている角屋(すみや)の二軒の置屋の建物が当時を偲ばせるのみで、あとはほぼ普通の住宅街。太夫や天神たちが歩いていた頃を空想しながら大門から西門跡まで歩いても、観光客らしき人間は私一人。海外からの観光客が溢れ、「舞妓さんに手を触れないで下さい」という立て看板まである(動物園じゃないんだから!)祇園花見小路とは比べるべくもない。
そんな島原散策の跡、二条城南の神泉苑へ。ここは平安遷都(794)の当時もあった古代湖の跡らしい。というわけで、青空を映す水面を愛でながらしばし平安の昔を偲ぶ。
ちなみに、京都は平安京の頃と現在とでは位置関係がかなり違う。大河「平清盛」の時に取材で訪れて初めて知ると共にビックリ仰天したのだが、そもそも京都御所の場所が全然違ううえ、中央大通りである朱雀大路(現在の千本通あたり)すら影も形もない。(歴史に詳しい人なら、あの「本能寺」も当時は全然違う場所にあったことを知っているはず)。現在の京都御所に行って「ああ、ここで白河法皇や清盛が…」と思ったら、全然ちがうのである。
何ででしょう?と聞くと「はぁ、先の戦争で焼けまして」「あぁ、(太平洋戦争のとき)空襲があったんですか」「いえ、応仁の乱で…」というのが京都の鉄板ネタ。