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NHK 605スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」3月分2本の収録。
パドゥシャの新アルバム〈チェシャねこリターンズ!(吉松隆作品集)〉の編集済音源を聴く。
いや、面白い。自分の曲を面白がるのもナンだが、このお二人(パーカッション:山口多嘉子サン、ピアノ:小柳美奈子サン)にでなかったらこんな曲(アレンジ)は書かなかっただろう…という「ハメを外した」可愛くもトッ散らかった音楽のオンパレードである。
私の頭の中に「チェシャ猫」と「いかれ帽子屋」が居ることは否定しないが、さすがに一応大人として社会人として(現代の作曲家として)常日頃は隠しているつもり。それが、彼女たちを触媒として(鎖を解き放たれて)涌いて出て来るような感じ…と言ったらいいだろうか。(それが「いい」のか「やばい」のかは、神のみぞ知る)
ちなみに、スタジオで作った〈トラウマ氏の庭〉…ピアノとパーカッションと電子音響(とボーカロイド)のための…は、シュトックハウゼン氏の名作〈コンタクテ〉へのオマージュなのだが、カールハインツ先生、怒らないで(笑わないで?)ください。
ひょんなことから作詞家の松本隆氏とお話する機会を得る。
昔から「(名前が)一字違いの有名人」として意識していた方なのだが(もう一人が「松隆子さん」で、映画「ヴィヨンの妻」の音楽を担当したときにお会いした)、本を出した出版社(学研)つながり…という不思議な縁でお会いできることになった。
いや、別に「名前が似ている」だけが理由というわけではなく、シューベルトの歌曲集「冬の旅」の新現代語訳を制作するほどのクラシック通でもあり、実は、慶應義塾高校〜慶應義塾大学の先輩で、大学を中退して音楽の道に入った(…ので現在は「特選塾員」)ことも同じ。
伝説のバンド「はっぴいえんど」時代に「日本語でロックを歌う」ことの先鞭を付け、その後歌謡曲やポップス界で大成功されたが、私の方は結局ロックもオペラも「日本語」がネックとなって断念し挫折したくち。成功と挫折の境目はあそこにあったか…としばし遠い目になる。
そう言えば、クアラルンプールは「吉隆坡」って書くのだそうだが・・・・こちらは行ったことがない・φ(.. )
最近の京都はいつ来ても混んでますね…とタクシーの運転手サンに愚痴をこぼしたら、「おかげさんで…」とニコッと微笑んだ後、外人サンが多くて年中混雑の場所として「伏見稲荷に清水寺・金閣・銀閣・嵐山」という呪文を教えてくれた(笑)。
ついでに平安京云々の話をしたら「応仁の乱で焼けなかったのは千本釈迦堂さんくらいですヮ」と言われ、急遽その大報国寺へ。写真左上がその本堂(柱に当時の刀傷が残っている)。
宝物殿にあった室町時代の鼉太鼓(だだいこ。雅楽で使う巨大な太鼓)の縁一対(龍と鳳凰)がなかなかの逸品で、ドドンという音と共に交響曲が聞こえたような気がした。…のだが、しばし見とれていると足元の板の間から底冷えが伝わり、たまらず外へ。
そして梅の香りに誘われ、すぐ近くの北野天満宮へ。ちょうど梅が見頃ということで、天気も良くぽかぽか陽気の中、 紅白の梅が咲き乱れる御土居の梅苑を散策する。
ちなみに、御土居(おどい)というのは秀吉の時代に作られた京都をぐるりと囲む土塁で、高さ5m全長22.5kmのベルリンの壁のようなもの。今はほとんど取り崩されて数カ所残るのみだが、京都の不思議のひとつ。
…と、ちょっと歩いただけで、江戸時代〜平安時代〜室町時代〜安土桃山時代…と空想のタイムトラベルが出来るのが京都の面白いところ。というわけで、夕暮れの先斗町で一杯ひっかけた後、路地を抜けて東京に戻る。
江戸時代の遊郭(花街)の話を読んでいて、ふと思い立ち、いつもの路地を抜けて京都島原へ。
昨年の家計簿を見ていて、一年間で買ったCDが数枚(レアな現代モノ)だけだったことに気付いた。
むかし、ヒマさえあれば輸入レコード&CDショップをハシゴし、外出すれば必ず数枚のCDを買い込み、音楽評論をやっていた全盛期はヒト月100枚近い試聴盤を聴き、年間千数百枚単位で部屋に増殖していた頃を思うと、しみじみ「時代」を感じてしまう。
部屋を片付けたおかげで窓側を塞いでいた機材類が移動し、3年ぶりに外の景色を見ることに。
ひさしぶりに部屋を大片付けした。
4月にギリシャで行われるEvmelia国際音楽祭で私の作品を2日間にわたって特集してくれることになった。
「まだ生きている作曲家」としては実に光栄なことであり、感謝の言葉しかない。還暦すぎた〈ひきこもり隠居作曲家〉なので 、さすがに遠くギリシャまで出向く元気と体力は残念ながらもうないが(実際、ここ10年ほどは海外どころか、京都より遠いところに出かけたことすらほとんどない始末である・orz),私の子供(作品)たちが笑顔をもたらしてくれることだろう。
それに、いかにも「こっち方向のヨシマツが好き」な人が選曲したのだろうな…と思わせるニヤリとする(&そそられる)プログラムが嬉しい。(そう言えば、Fuzzy Bird Sonata 第2楽章はギリシャ音楽からインスパイアされたものなのだが、彼らにはどう聞こえるのだろう)
第1日目・・・
・4つの小さな夢の歌 … guitar & fl
・忘れっぽい天使Ⅰa …vn & pf
・夢色モビールⅡ …vc,pf & string quartet
・優しき玩具 …pf
・メタルスネイル組曲 …eupho & pf
・プレイアデス舞曲集Ⅱa …vn & pf
・ファジーバード・ソナタ…sax & pf
第2日目・・・
・コンガラガリアン狂詩曲 …fl,vn,vc & pf
・優しき玩具 …guitar
・プレイアデス舞曲集Ⅳ …pf
・融けてゆく夢 … vn & p
・平清盛テーマ曲 …piano
・アトムハーツクラブトリオ第2番 … pf,vn & vc
・アトムハーツクラブトリオ第1番 … pf,vn & vc
80年代後半からもっぱら原稿書きがワープロ入力になり、00年代からは楽譜書きまで全面的にパソコン入力・・・と、どんどん「手書き」の世界から遠ざかっていたのだが、iPad proとApple Pencilを使うようになって、ひさしぶりに自分の中で手書きが戻って来た。
映画「さらば あぶない刑事」公開で、また〈RUNNING SHOT〉の新しいCDが出るそうだ。
30年前(1986年)に書いた私のたった一曲のポップス曲なのだが、何とも(嬉し恥ずかしの)不思議な作品である。
そのあたり詳しくは10年前のブログを参照のこと。
実は、この曲の「行くぜ!」という掛け声を聞くたびに思い出すことがある。私の妹(晴子)が死ぬ直前、恭兵さんが(まさにこのセリフそのままに)病室に見舞いに来てくれたのだ。
この曲のヒットから数年たった(1993年)Xmas間近のある日、妹が末期ガンで終末医療のため個室に入っていることを聞くと、花束を贈ってくれ、それだけでなく忙しい中、単身でふらりと現れたのである。(何しろ超人気スターでとても素顔で外を歩けないほどだったから、お忍びで病院に来るのはそれはもう大変だったと思う。しかし、野球帽をかぶって変装し、看護婦さんたちにも気付かれず風のようにやって来て、風のように去って行った)。
妹は、人工呼吸器を付けられてベッドから起き上がることが出来ないどころか声を出すことも出来ない状態だったが、天下の二枚目スターの突然の訪問を受けて手を握って貰い、思いがけない夢のようなXmasプレゼントにこれ以上はないほどの(本当に幸せそうな)満面の笑みを浮かべ……それから3週間後に旅立った。あれから22年がたつ。
江戸ッ子としては
やはり
恵方巻きより
豆まきの方が・・・