平安宮を歩く
まず清盛の頃の京都(平安京)を復元した模型がある平安京創世館(丸太町七本松)へ行き、しばし平安時代の京の都にトリップ。
中央を走る朱雀大路(写真左上)の奥の奥が平安宮。清盛と白河法皇が対峙した?大極殿跡(写真左下)が現在の千本通り丸太町あたり。五条大橋を渡った鴨川沿いの一角(写真右上)が六波羅&清盛邸。
創世館の近くを散策すると、あちこちに「平安宮内裏XX殿跡」という石碑が建っているが、全く普通の住宅街で当時の面影は微塵もない。(一旦焼け野原になり、秀吉・家康で大改修され、現在の京都の街は当時よりかなり東にずれて作られている)
音楽を司る「雅楽寮」は、1.5km四方ほどの平安宮の東南端にあったそうで、場所としては現在の二条城本丸あたり。そこで何をやっていたのか興味津々である。 (ちなみに、現在の二条城は京都の南北線からわざわざ3度ほど傾いて建てられていて、これもちょっと不思議)。