冨田勲氏が亡くなった。3月にキース・エマーソン氏の訃報を聞いたばかりだったのに、今年は何という年だろう。
冨田さんはシンセサイザー音楽のパイオニア「世界のTOMITA」として知られる。しかし、私の中では「新日本紀行」「文吾捕物絵図」大河ドラマ「天と地と」「青い地球は誰のもの」などTV界で幾多の名曲を残した日本を代表する〈大作曲家〉である。
最初に「オーケストレイションとはこういうものか!」と目を見張ったのが十代の時に出会った「文吾捕物絵図」「天と地と」そして「ジャングル大帝」での絶妙な管弦楽法だ。師匠の平尾貴四男氏ゆずりの楽器法の冴えとフランス近代風色彩美を持ちながらも、「新日本紀行」の音楽では「古き日本の郷愁」が聞こえ、「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」ではハリウッド映画風の職人技も聞かせる。しかも、心打つメロディを紡ぎつつ、ユーモアやエスプリそして新しさと古さを同時に取り込む柔軟性と絶妙なセンスがあり、時代劇からアニメまで幅広いジャンルを手掛けながらどの曲にも一聴して「冨田さんの曲だ」と分かる響きがある。「凄い人だ」と思った。
慶應高校・大学の大先輩でもあり、シンセサイザーを導入した最初期に学生としてお話をしたことはあるが、知己を得たのは2012年、私が大河ドラマの音楽を担当した縁でNHKFM「音の魔術師/冨田勲」という3時間にわたるインタビュー対談をしてからだ。(なにしろ高校生以来の濃〜い「冨田マニア」だったので、大河ドラマからシンセまで丸5時間くらい話が止まらなかった(w
その翌年、私の還暦コンサートに来て下さってキース・エマーソンと初邂逅。シンセサイザー界の両巨頭でもあり、冨田氏が初めてシンセサイザーを購入したとき、日本の税関で「不審物」として足留めをくらい、キース・エマーソンが演奏している写真を見せて初めて「楽器」と納得してもらったというエピソードを持つ因縁のお二人。ただしお会いするのは初めてだったそうで、楽屋で40年ぶりに「あの時はありがとう」という話で盛り上がったそうだ。
言うまでもなく、シンセサイザーとの出会いは氏にとってはまさしく人生を変えるような天啓だった。ただ、私としてはもっと氏の(オリジナル曲での) オーケストラ・サウンドを聴きたかった…と言うのが本音。しかし、98年には和楽器とオーケストラの共演による「源氏物語幻想交響絵巻」を発表。傘寿:80歳にして初音ミクをオーケストラと共演させる意欲作「イーハトーヴ交響曲」発表…とわくわくする創作活動を展開。今年11月には生誕85周年記念の新作として「Dr.コッペリウス」の発表も予定されていたのだが。
昨年10月、「三田評論」主催の慶應出身音楽家鼎談で指揮の藤岡幸夫氏と3人で2時間ほど高校大学時代の音楽の話をし、「ちょっと具合が悪いのでこのあと一緒に飲みに行けないけれど」とお別れしたのが、お顔を見た最後となった。
音楽界はまた偉大な人をひとり失った。