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2016年9月

2016年9月29日 (木)

道 La Strada

LastradaFM「ブラボー!オーケストラ」10月分2本の収録にNHKへ。

10月9日(日)放送分は、ニーノ・ロータ組曲「道」ほか、バッティストーニ指揮東京フィル(第881回サントリー定期より)。

10月16日(日)放送分は、ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界から」ほか。尾高忠明指揮東京フィル(2016年7月4日@第1回平日午後のコンサートより)

ニーノ・ロータの「道」は、フェリーニ監督の映画「道(La Strada)」(1954)の物語をバレー化した舞台の組曲(全7曲)なのだそうで、この機会に、映画「道」を何十年ぶりかで見直してみた。

旅芸人で力持ちの荒くれ男ザンパノ(アンソニー・クイン)、それに尽くす女主人公ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マンシーナ)、自由な綱渡りの男(リチャード・ベースハート)…の悲しく切なく不器用な三角関係。旅芸人やサーカスが登場する舞台で、ヴァイオリンやラッパ類などの音楽も物語を彩るのだが、さすがロータ節(ゴッドファーザー・ロミオとジュリエット・太陽がいっぱいなど名作多数)は泣かせる。むかし名画座でみた記憶が蘇り、ラスト(荒くれ男のザンパノがジェルソミーナを思い出して浜辺で号泣する)シーンの切なさにすっかり胸打たれてしまった。(個人的には、リチャード・ベースハート…「白鯨」の青年役や「原子力潜水艦シービュー号」の提督役の役者さん…がお気に入りで、彼がイタリア語を喋っている不思議な世界が夢のよう)

かつて「映画音楽みたい」というのはクラシック系純音楽作品を貶す侮蔑の言葉として使われたものだが、それも今は昔の物語。そのうち「現代音楽みたい」というのが褒め言葉になる日も来るだろうか。

2016年9月27日 (火)

老人老いやすく楽鳴りがたし

Ro

最近めっきり心身共にポンコツ化してきた自分を実感。思わず…

老人老いやすく、楽鳴りがたし

という自嘲の一句が口から漏れたのだが、「あはは」と笑い飛ばしてから、あれ、オリジナルは何だっけ?と首をひねる。まずい。「少年」がとっさに出て来ない。駄句なりがたし…。

2016年9月23日 (金)

秋祭り

Hachiman近所の代々木八幡神社で秋祭り。

氏子なので奉納金を納めに行くついでに、小雨の中をしばし散策。

暗い神社の境内に提灯や屋台や露店の明かりが色とりどりに光る不思議な空間は、何十年も変わらず、一瞬、子供の頃にタイムスリップしたような気分になる。

祭りは「音」も楽しみなものだが、雨のせいか、神楽の音がしけって水に吸い取られ、耳まで届いてこない。いや、単に年取って耳が悪くなっただけなのか…。

子供たちの笑顔の向こうで淡い光が纏うキラキラした音も、今は昔の遠い夢。

2016年9月21日 (水)

macOS SierraとFinale2014d

Finale2014sMacの新しいOS Sierra (10.12)登場。いきなりメインマシンに入れるのは怖いので、まずは3番目のMacBookにインストールして様子を見る。

新しい機能がどうかということより、使っているソフトとぶつからないかどうかが不安…というヘタレなアップグレードだったのだが、1-2時間触ってみた限りでは特に開けない(動かない)ソフトは無く一安心。

El Capitan 10.11.6では「表情記号などをクリックするといきなり強制終了」という厄災に見舞われたFinale2014dも、(事前のSierraβ版でのテストで「大丈夫そう」と英語のサイトに書いてあったので)おそるおそる開いてみたが、嬉しいことに強制終了トラブルは無くなっている。(Javaの古い版をダウンロードし直す必要はあるようだが)プレイバックも今のところ大丈夫そうだ。細かくはまだ検証したりていないが、とりあえず「使えない」状態からは脱出できた模様。よかった。

2016年9月20日 (火)

マンチェスターのBBC放送局

BbcGoogleMapでイギリスを検索していて、マンチェスターのBBC放送局ビルが無くなっていることに(今頃)気が付いた。

ここのスタジオ(Studio 7)は、1995年から2003年まで毎年訪れ、マエストロ・フジオカ&BBCフィルと一緒に私のオーケストラ作品集(Chandos)を計7枚録音した思い出の場所。

建物(New Broadcasting House)は1975年に建設されたものだそうで、90年代当時もいくぶん古びた感じだったが、2012年に取り壊され、西に2キロほど離れた新しいMediaCityビルに移転したのらしい。

(写真上は当時のビル。下はGoogleMapで見た現在の様子。3本並んだ街路樹だけが残っていて、跡地は公園&駐車場になっている様子)

8年間で計7回訪れたが、スコアだけを詰めた小さなバッグ一つでぷいと飛行機に乗り、空港とスタジオとホテル(最初は藤岡氏のアパート)の間を行き来するだけで、あとは丸3日間ほどスタジオに籠もりきり。街を散歩した記憶もほとんどなく、観光や買い物をした覚えもない。今から思うと勿体ない話だ。

ちなみに当時はまだホームページもブログも無かった頃で、写真(もちろんカメラはフィルム式である) もほとんど撮っていない。今だったら「イギリス録音記」とでも称して毎日レコーディングの様子をアップしてただろうに、かえすがえすも勿体ない話である・・・

下の写真は1998年12月、3枚目のアルバムで交響曲第3番とサイバーバード協奏曲を録音したときのスナップ。指揮:藤岡幸夫氏、サクソフォンはもちろん須川展也氏。20年近く前なので、みんな若い若い・・・。

1998m

2016年9月14日 (水)

ドミソで読み解く音楽

Roliz来月京都で行う小さな講演の下調べもあって、このところ古い音楽(雅楽や中世ルネサンス音楽)ばかり聴いている。

いずれも現代のハーモニー感に慣れた耳には「不思議な響き」なのだが、これに耳が慣れてくると、今度は「ドミソ」や「長調短調」で出来た(そしてドミナントや導音などの和声進行の存在する)音楽がものすごく「ヘンな音楽」に聞こえてくるから面白い。

特に、ドとミが「長和音」な(つまりごく普通のドレミファなMajorキイの)音階の違和感が半端でない。モノの本によると、明治の初期、日本に初めてこのドミソが入ってきたとき、日本人はその異様な響きにどうしても馴染めなかったそうだが、それもなんとなく分かる気がしてくる。(ちなみに、平安時代には「呂旋法」として長調風の音階が存在し、雅楽では壱越調・双調・太食調がこれに当たる)

対する西洋でも、そもそも数ある教会旋法(ドーリアやフリギアなど)の中で長調のイオニアと短調のエオリアは最後の最後(16世紀頃?)に登場した異端?の旋法なのだそうで、当時「最近、若い女性たちがイオニア風の歌と踊りを好むようになった。困ったモノだ」と嘆く記述が残っているという。長3度の響きは洋の東西を問わず最初は「すごくヘン」な「堕落した響き」に聞こえたようだ。

それがいつの間にか西洋音楽(そして世界標準の音楽)の王座に君臨する音階になってしまったのだから不思議な話だが、その理由は…と聞かれれば「キリスト教の隠謀?」と言うしか無い。とは言え、もはや「そうでない音楽」を想像するのが難しいほど汎世界的に広まってしまい、どこまでが純粋に「感覚」に関わる先天的な部分でどこからが「理屈」が関わる後天的な領域なのか、判別することも分離することも難しい。(しかも、問題の性質上、「機能和声法」などという代物を耳に仕込んでしまった人…つまり音楽を専門に勉強した人ほど…その判別と分離が難しいことになるから厄介だ)。

Aim_2
おそらく、ここから先はもう人間の「知」で踏み込むのは無理ということなのだろう。ここは是非、AI(人工知能)氏に虚心坦懐に音楽を聞いてもらい、(心だとか気持ちだとかいった魑魅魍魎を剥ぎ取った)「純粋な理知」と「純粋な感性」で音楽について分析する言葉を聞きたい気がする。

とは言え、それを聞いて理解できるかどうかと言われると……心許ないのだが。

2016年9月 9日 (金)

Finale2014と2014.5

Finale2014a_2Finale2014とOSX10.11.6の不具合(表情記号をクリックした途端強制終了してしまう)未だ改善せず。

Finaleサポートでは英語版2014.5の使用を推薦しているが、こちらは表情記号でのクラッシュはないものの、当然ながら表示が全部英語になるのとプレイバック機能がおかしくなるという一長一短。

一時は本気でSibeliusへの鞍替えを考えたが、逆鱗にさえ触れなければ使えなくはないと思い直し、入力やレイアウト&プレイバックは2014、記号の書き込みは2014.5と、両方並べてスイッチしながら使うことに。

ちなみに、前回は2015年10月El Capitan(10.11)になった途端に不具合発生(やはり表情記号を付けようとすると強制終了)。12月にOSが10.11.2になってようやく元に戻ったが、その間約一月半。

今回は2016年7月に10.11.6になって不具合が発生し、そろそろ2ヶ月がたつ。さて、修正版はOSが先かソフトが先か…Sibelius8を横目で見ながら朗報を寝て待つ。

追記:9月21日に新しいMac OS Sierraが登場する。さて、新登場のOSでこの事態は改善されるのか、さらに使えなくなるのか。Finale使いにとっては、無理やり丁半博打に巻き込まれた感じの2016年秋…。

2016年9月 5日 (月)

ステンドグラスとヴァイオリン

Hoo_2NHK 401スタジオでFM「ブラボー!オーケストラ」2本収録。

9月11日(日)放送分は、レスピーギ「教会のステンドグラス」。バッティストーニ指揮東京フィル(第881回サントリー定期より)ほか。

10月2日(日)放送分は、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(vn:神尾真由子)、小林研一郎指揮東京フィル(第55回響きの森クラシックシリーズより)ほか。

レスピーギの「教会のステンドグラス」は、ステンドグラスに描かれた(想像の)4つの宗教画によせる30分近い交響絵巻。グレゴリオ聖歌の古風な旋法を使いつつ、オーケストレイションはどこまでもレスピーギ流近代豪華絢爛カラフルサウンド全開で、(ほぼ同時期に書かれた)「ローマの松」を彷彿とさせる名品だ。

続くチャイコフスキーの回では、ヴァイオリン協奏曲の多く(ベートーヴェンもブラームスもこの曲も)がなぜか「ニ長調」で書かれていて…という話から脱線して、「世界の基準音」としてのReの話を少し。
Re実を言うと古代中国でも日本でも基準となる音は「レ」(中国では黄鐘、日本では壱越)。西洋でも「D」は「Deus(神)」のDであり、昔はしっかり特別扱いだった…ような気がするのだが、いつの間にか「ド」が基音になってしまった。その顛末については拙著にもちょっと書いたが、♯♭系の音を「変化記号」としてしまった五線記譜法とそれを黒鍵に追いやってしまったピアノ系キイボード楽器の影響が大きそうだ。
とは言え、それも人類数千年の音楽の歴史から見れば「ここ数百年のちょっとした流行」にすぎない…と言えなくも無い(のだが、基準からずれ神をないがしろにした音を鳴らし続けて数百年。これが老い先短い文明の「最後の流行」になるかも知れない…と考えるとちょっと怖い気がしないでもない)。

2016年9月 2日 (金)

日本庭園でのプレイアデス舞曲

オランダのピアニスト:Marnix van de Poll氏によるVideo作品。

プレイアデス舞曲集Ⅴより「午後の舞曲」が演奏されている。場所はオランダ、ハーグのクリンゲンダール公園内にある日本庭園とのこと。

午後の公園で幸福そうにまどろみながら音楽に耳を傾ける人々が印象的だが、そこに浮遊する音たちはなぜか微かに「日本」の香りがする・・・不思議だ。

2016年9月 1日 (木)

9月の曼荼羅

Mandalasym京都より戻ってから、何か憑き物でも連れて帰ったか、と思うほど体調不良になる。

それに呼応してか、メインマシンとして使っているiMacの起動がおかしくなり、ディスクユーティリティやSMCリセットからメモリの整理まで思い付く限りのメインテナンスを試みるも、身体とハードとソフトとを襲う老いのポンコツ感にしみじみ滅入る。

というわけで、ここしばらく、ほとんど耳が音楽を受け付けなくなっていたのだが、先日FMでの鼎談(おんがくのつぼ)を聴いて以来、くるりの「ブレーメン」と植松伸夫氏の「チョコボのテーマ」が頭の中でヘビロテを始め…いかんいかん、と岸田繁氏からもらったCDを聴いていたら、今度は 「♪上海蟹食べたい」という歌が止まらなくなってしまった・orz。音楽は怖ろしい。

という泥沼の中、黛敏郎氏の〈曼荼羅交響曲〉のスコアを読み返す。同じEdition Petersで出版されている〈涅槃交響曲〉の方はちゃんと浄書されているのに、こちらは荒っぽい手書きコピーのまま。インクの滲みで音が判読できない部分が多く、あまりに読みにくいので、いっそ自分で浄譜してみようか…とFinaleを開いて入力し始めたところ……クラッシュ。そうそう。OSX(10.11.6)との相性不具合でFinale2014はしばらく使えないのだった。

というわけで改めて、身体とハードとソフトとを襲う老いのポンコツ感に……以下同文。

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