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2017年1月

2017年1月31日 (火)

BirdScape改訂

Bs1Cd_mimura 昨年からもぞもぞと制作していた〈バードスケイプ/BirdScape〉の改訂稿ようやく仕上がる。

33年も前(1984年)の作品ながら、昨年三村奈々恵サンにより初CD化(マリンバクリスタル)して貰ったので、何とか楽譜を残したくて頑張ってみた。…のだが随分時間がかかってしまった。

もちろんFinaleでちゃんと浄譜しようとも試みたのだが、冒頭ちょっとトライしてみただけで「あ、これは無理」と悟る(全編がカデンツァじみたデザインっぽい楽譜のせいだろうか)。結局、オリジナルの譜面をスキャンして、PhotoShopで編集&修正し、それをPDF化することにした。

校正が終わったら、ASKS経由で公開する予定。
続いて〈マリンバ協奏曲〉のリダクション版(おそらくピアノとパーカッション伴奏)も(もぞもぞと)構想中。

2017年1月21日 (土)

酉年のサイバーバード

170121c拙作〈サイバーバード協奏曲〉の演奏を聴きに東京シティフィル定期@ティアラこうとうへ。

演奏は…須川展也(sax)・小柳美奈子(piano)・山口多嘉子(percussion)という初演以来鉄壁のトリオ+藤岡幸夫指揮東京シティフィル。

開演前に指揮の藤岡幸夫氏とプレトーク。作曲して四半世紀(23年)ほど経つので、著作(作曲)者と曲の同一性云々などの感覚は薄れ、23歳に成長した息子と定年退職した父親ほどの距離感。グレることもなく金を無心に来ることもなく、時々こうして顔を見せてくれてその度に「あぁ、いい息子を持ったナ」という幸福感を与えてくれる親孝行な子である(笑。

藤岡氏は顔を合わせると「早く(交響曲)第7番書いてよ」と言うのだが、だれもが60歳すぎて都知事になったり70歳過ぎてアメリカ大統領になりたがるような元気な老人ばかりではないわけで。…などと言っておいて80歳過ぎて交響曲第12番など書いていたら全力でツッ込んでください(…というようなことを前にも書いたような気がする。

2017年1月18日 (水)

田園の向こうの骨笛

BravooFM番組「ブラボー!オーケストラ」2月分2本の解説収録にNHK404スタジオへ。

2月5日(日)放送分は、原田慶太楼指揮による「世界の音楽シーン from アメリカ」(2016年11月23日第70回休日の午後のコンサート)から、コープランド「庶民のファンファーレ」、ヴィグニエリ「アメリカの聖歌」、マルケス「ダンソン第2番」、ストラヴィンスキー組曲「火の鳥」。

2月12日(日)放送分は、」チョン・ミュン・フン指揮の東京フィル第885オーチャード定期からベートーヴェン交響曲第6番「田園」。+ちょっと珍しいヴィラロボス「ファンタジア」(ソプラノサックス:坂東邦宣、指揮:原田慶太楼。こちらは前記の午後のコンサートから)

2001so最近読んだ人類史の本の中に、原始時代の(二足歩行を始めたばかりの)人類は弱い小動物にすぎず、猛獣の食べ残しのさらにハイエナやハゲタカの食べ残しの骨だけをしゃぶって骨髄を栄養源にして生き延びていたのでは?という記述があり興味深かった。

後に地球全土に君臨する霊長類となった我らがご先祖の姿としては黒歴史に属するが、実はこれが結構重要な行為になる。というのも、その骨髄をすすって空洞になった「骨」を吹いたら音がした…というのが「音楽」の起源のひとつなのかも知れないと思うからだ。いわゆる「骨笛」という奴である。

SF映画「2001年宇宙の旅」の冒頭では、その骨を「武器」として握りしめ、敵を叩きのめす(殺す)ことから人類の文明が始まる。でも、その骨を吹いて「楽器」にすることから文明が始まっていたら…人類の歴史はもっと美しいものになっていただろうと思わずにはいられない。

その世界では、創造主はこう唱える。

手は「武器」を持つためではなく、「楽器」を持つためにある。
そして、声はヒトを罵るためではなく「歌う」ためにあるのだ、友よ。

…「田園」を聞いていたら、一瞬そんな妄想の世界にTripしていた。

2017年1月 6日 (金)

1月6日

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妹の命日に藤沢へ墓参に行く。

早いものであれからもう23年。あの時、妹の病室で書いていた〈サイバーバード協奏曲〉(1994)は、昨年ピアノリダクション版がCD化され、今月は東京シティフィル定期でも演奏される。妹が超えられなかった「時」を、音楽だけが超えているわけだ。

この曲を聞くと、妹が透明な「鳥」になってどこかで聞いているのを(確かに)感じることがある。だから、あの時は「神はいない(絶対に!)」と確信したが、もしかしたら「神みたいなもの」は居るのかも知れない。そう思うことが(たまに)ある。

「音楽」も「神」も、居る(在る)と思えば居るが、居ないと思えば居ない。ただそれだけのことなのだ。…と、そう思うだけのことに、人は何十年もの「時」を必要とする。

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