らららクラシック@バルトーク回ゲスト出演
NHK Eテレ「らららクラシック」@ゲスト出演。バルトーク〈管弦楽のための協奏曲〉特集回。司会:高橋克典、牛田茉友。ゲスト:関口知宏/吉松隆。
バルトークを初めて聴いたのは、高校生の頃だ。通っていたレコード店でかかっていたライナー指揮シカゴ響のLPの〈弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽〉の冒頭を聴いて鳥肌が立ち、即買い込んだ。
〈管弦楽のための協奏曲〉はそのB面。弦チェレのクールさと比べると、ハリウッド映画っぽいサウンドと楽観的で明るい音楽がいまひとつピンと来なかった。その背景を聴いて共感できるようになったのはしばらく後だ。
これが40代の元気な頃書かれた作品だったら、「よく響くスコアだな」くらいの印象で終わっていたかも知れない。しかし、番組で情緒的に再現されていた通り、この曲はバルトークの最晩年、祖国を離れ、戦争にまみれ、病に冒され、仕事もなく、貧窮のどん底という文字通りの絶望の中で書かれた作品だ。
おそらくクーセヴィツキーから委嘱(しかも1000ドルの委嘱料付き)を受けてこの曲を書いている2ヶ月ほどだけは、病気のことも戦争のこともお金の苦労のことも一瞬忘れ、「音の遊び」に興じられたのだろう。その刹那的な「楽観」がこの曲を(現代音楽らしからぬ)明るい響きにしている。しかし、これほど悲しく切ない(そして怖ろしい)「楽観」があるだろうか。(作曲しているバルトークの頭の上には文字通り「(死への)フラグ」が立っていたに違いない)
それでも、理系オタクの「変拍子」趣味、民族音楽収集マニアの「旋法」指向、(関口氏も指摘していた)ハンガリー風正義感から来る「ロック」な血。それらが、この曲を通じて戦後、ジャズ(モードによるモダンジャズ)やロック(変拍子プログレ)にリンクし、その色彩的でモダンなオーケストラサウンドは戦後ハリウッド映画の音楽などにも影響を与えてゆく。
ただし、音楽が人の心を動かすとき、(彼が嫌ったナチスドイツと同じような)排他的な民族主義や非知性的な興奮(狂気)に加担する危険も同時にはらむわけで、この曲が生まれた時代は、(音楽にとっても)絶望と希望の渦巻く「崖っぷち」だったのは確かだ。
そう思ってこの曲を聴くと、音楽自体はバルトークが最後に見せた(生涯一度も笑うことがなかったカタブツ男による一世一代の)「笑顔」のような曲だが、その笑顔の裏に見える「怖さ」は(弦チェレ以上の)ホラーのような気がしてくる。
再放送:6月22日(木)10:25〜
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