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2017年8月31日 (木)

続・遠くからの3つの歌

20171202 長谷川陽子さんの委嘱による〈遠くからの3つの歌〉ようやく仕上がる。「これは絶対チェロに合う!というメロディを3つか4つピアノ伴奏用にアレンジしてください」…という注文だったので、聖歌:カッチーニのアヴェマリア、賛美歌:アメイジング・グレイス、唱歌:ふるさと…の3曲を選んだ。

 舘野泉さんのために左手ピアノ版も書いた《カッチーニのアヴェマリア》は、イタリアのルネサンス・バロック期の作曲家カッチーニの作……ではなく、実は旧ソヴィエトのギタリスト兼作曲家ウラディミール・ヴァヴィロフ(1925~73)が書いたいわゆる偽作。8小節の循環コード(Gm/Cm/F/B♭、E♭/Cm/A/D7) を延々繰り返す伴奏に乗って、「Ave Maria」という歌詞を繰り返し歌うだけ…の曲なのだが、なぜか目頭が熱くなる不思議な情感を醸し出す。
 元々は1970年頃〈ルネサンス期のリュート音楽〉というアルバムの中に「16世紀の作曲家不詳のアヴェマリア」として録音し発表した小品らしい。自作では聴いてくれそうもないので有名作曲家の秘曲として発表する、というのは名演奏家クライスラーもやっていて、ちょっとした「遊び」だったのだろうが、ここまで有名になるとは想定外だった違いない。この曲の場合は、ソヴィエト共産主義政権下かつ現代音楽の時代という背景もあったのだろうか。作者の死後オルガン伴奏の編曲が施され、ソ連が崩壊した90年代(1994年)になってイネッサ・ガランテが「カッチーニ作」というクレジットで録音、一気に世界中に広まった。
 そんなわけで厳密に言うと著作権が存在する曲と言うことになるが、本人が「作曲家不詳」として発表し、以後の表記も「カッチーニ作」のため、現状では著作権切れ楽曲扱いになっている。ただ、正確には〈ヴァヴィロフ作曲「カッチーニのアヴェマリア」〉なので、そう表記する日も来るかも知れない。ヴァヴィロフ氏は貧窮無名のまま若くして亡くなったそうだが、名は残さず曲を残したという点では、作曲家冥利に尽きる顛末と言えなくもない。

Songs 賛美歌として有名な《アメイジング・グレイス》は、18世紀にイギリスの牧師ジョン・ニュートン(1725~1807)によって書かれた「Amazing Grace」という詞に、半世紀くらい後になって作曲者不詳のメロディが付けられ愛唱されるようになった…という不思議な経緯で生まれた曲。
 ニュートン牧師は若いころ奴隷貿易に関わっていたが、船で遭難しかけて命拾いし、それ以後悔い改めて敬虔なクリスチャンになった人なのらしい。その「信仰によって救われた」と歌うことばが奴隷解放の動きが起こりつつあった時代のアメリカで白人・黒人・ネイティヴアメリカンなど多くの人々の共感を得たようだ。
 1779年に出版されたこの詞は、アメリカのあちこちで色々なメロディを付けて歌われるようになり、1930年代に今のメロディの原形(元は別の歌詞で歌われていたものらしい)と出会ったと言われる。要するに、詞と曲は全く別々の処で生まれ、半世紀の時を経て不思議な縁で邂逅したようなのだ。
 どこかの民謡が元になっているのか、無名の誰かが作曲したのか、あるいは自然発生的に生まれたものなのかは分からない。5音階(いわゆるペンタトニック)のメロディで、完全五度の持続音(ドローン)を鳴らしたままの伴奏が可能なので、スコットランドあたりからの移民によってバグパイプ伴奏で歌われ始めたもののようにも思われる。
 そのあたりも含め、黒人霊歌とは違う白人系のルーツを感じるが、そんな生まれ方をしたせいか、どこか形の定まらない(どれが正調なのか不明な)不安定な旋律でもある。しかし、ちゃんと作曲されていないことが、逆に、様々な歌い方を可能にし、表現の幅を広げ、様々な人種の人々の共感を得られる要因になっているとも言える。ゴスペル風・賛美歌風・民族音楽風と色々な味付けで感情の起伏と哀感が変化し増幅される、タイトル通り「驚くべき(Amazing)恵み(Grace)」によって生まれた曲と言えそうだ。

Semis そして最後の《ふるさと》は、文部省唱歌として日本人なら知らない人が居ないほどの有名な歌。大正時代(1914年)、国が編纂した音楽の教科書に載せる歌として合議で作られたため、長らく作詞作曲者不詳とされていた(おそらく教科書の共同執筆者のような感覚だったのだろう)。高野辰之作詞・岡野貞一作曲と表記されるようになったのは90年代以降なのだそうだ。(ちなみにこのコンビによる唱歌には「春が来た」「春の小川」「おぼろ月夜」「もみじ」「日の丸の歌」などがある)
 子供の頃の故郷を懐かしむ(基本的には)のどかな曲だが、東日本大震災直後のチャリティコンサートで(出演者全員で演奏し歌えるようにと頼まれて)アレンジした時、ちょっとしたショックを受けた。災害のことを重ねると歌詞の聞こえ方が全く違うのだ。
 例えば、津波の災禍でまだ大勢の人たちが行方不明になっている中での「如何にいます父母」、原発事故によって自分の家にいつ帰れるか分からない人たちが大勢いる状況での「志を果たして、いつの日にか帰らん」。そして、大地や海が放射能汚染され悲しみに暮れている状態での「山は青きふるさと、水は清きふるさと」。いずれも、当時は歌うに忍びない(実際、涙で歌えなかった)ということで自主規制となり、演奏されない幻のスコアとなってしまった。
 曲は(日本的な旋法やヨナ抜き音階でなく)普通の長調のドレミファで出来ているのだが、なぜか日本風の空気感と郷愁を感じる。今までこの曲を口ずさんできた数多くの人々の思いが曲に全て堆積され層になっているかのような不思議な曲である。

 今回の3つの歌に「遠くからの」と付したのは、この「ふるさと」に因るものが大きいが、いずれも「遠くから」聞こえてきて「遠くに」消えてゆく形のアレンジを施したことも理由のひとつ。そして編曲をし終わってみると、いずれも「もはや存在しないもの」を思う「遠くからの」眼差しが感じられる歌であることにも気付かされた。その慈愛に満ちた深みある歌こそが「チェロに合う」のは言うまでもない(と思う)。

 曲は12月の長谷川陽子さんデビュー30周年記念リサイタルで披露の予定。

2017年8月22日 (火)

真夏の竜宮城

Hotels

このところ疲れがあんまり酷いので、緊急避難?的に一泊だけ(安眠できるベッドを目当てに)都内のホテルに泊まることにした。

Frontc夕方チェックインしてホテル内の和食のお店でお酒を一杯飲み(ほぼ一年ぶりに)ゆっくり出来たのはいいが……あまりの気持ちよさにソファで熟睡。

気が付くと朝になっていて、あっという間にチェックアウト。鯛もヒラメも乙姫も居らず、玉手箱を開けて気付いたら白髪になっていただけの竜宮城滞在。結局そのまま疲れた足を引きずってふたたび現実に帰還する。

辞世の句で人生を「一酔の夢」と詠んだのは上杉謙信だったか。人の一生というのも所詮そんなものなのだろう。サテもうそろそろチェックアウトしたいのだがフロントはどこだろう?

2017年8月21日 (月)

雑種の美学

Listadvorak

FM「ブラボー!オーケストラ」の収録にNHK504スタジオへ。

9月3日(日)放送分は、リスト:交響詩「レ・プレリュード」、ピアノ協奏曲第1番(p:阪田知樹)。渡邊一正指揮東京フィル。6月14日第110回オペラシティ定期より。+バーンスタイン:ウエストサイド物語セレクション(J.メイソン編)原田慶太楼指揮@第70回午後のコンサートより。

そして10月1日(日)放送分は、ドヴォルザーク:交響曲第9番〈新世界から〉@小林研一郎指揮東京フィル。2月4日第59回響の森クラシックシリーズより。+ブラームス:ハンガリー舞曲第1番・第5番。指揮:尾高忠明。2016年7月4日第1回平日の午後のコンサートより。

リストは、東欧ハンガリーから音楽の都ウィーンやパリに出て来て(ポーランド出身のショパンと共に外国人ゆえのハンデと戦いつつ)ピアノの超絶技巧派としてロックスター並みの人気を得たうえ作曲や指揮から後進の育成まで全人的な活動を果たした巨匠。一方のドヴォルザークは、東欧チェコから新世界アメリカに渡って黒人霊歌やネイティヴアメリカンの音楽に接しながら故国ボヘミアへの郷愁を交響曲(新世界から)に刻んだ庶民派の巨匠。

共に中央楽壇から見れば「異端」かつ「雑種」の存在だが、生物も音楽も雑種(ハイブリッド)の方が強い(そして生き残る能力に長けている)。個人的にも、正統派とか主流にはサッパリ興味を感じないが、雑種(西洋と東洋のちゃんぽんとかロックとクラシックの盛り合わせとか)や異端と聞くとわくわくする。自分自身が、雑種・独学の野良犬あがりのせいもあるのだろうか。

ただ、それゆえ逆に、ピュアで儚い純粋種に憧れるところも少し。昔、師匠(松村禎三氏)が「究極のマリア像を造って、誰の目にも触れない暗闇の洞窟の奥に置く」と言っていたが、誰にも聞かせず、ただ神に聴かせるためだけに存在する音楽もある。その頃は、そんな意識がなくても誰も聴いてくれないどころか演奏もしてくれなかったから、「自分の楽譜棚にはそういうマリア像が佃煮にするほどあるけどなぁ」と思ったものだが(笑)。

誰一人聴いていないが神だけは聴いている。百万人が聴いているが神は聴いていない。サテどちらがいい?…とその時は言われたが、神も人も誰もまったく聴いていない…というのもあるわけで(泣。まぁ、ピュアな雑種がいてもいいじゃないか、と。

2017年8月15日 (火)

蟪蛄春秋を知らず

Cloudy

蟪蛄(けいこ)春秋を知らず

夏に生まれて夏に死ぬセミは、夏以外の状態(…春や秋)の存在を知らない。それは「夏とは何か」ということも知りえない、ということである。という荘子の言葉。

これをひねくれて解釈すれば、音楽に明け暮れ音楽に死ぬものは、逆に「音楽とは何なのか」ということを知りえない、という怖ろしい洞察に繋がる。

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むかし、独学で自己流の音楽を始めた時「井の中の蛙大海を知らず…だよ」と再三忠告された。狭いところに閉じこもっているだけでは、広い世界は見えないよ、と。

でも、井戸の中を隅から隅まで精査すれば、そこには海以上に広大な宇宙が広がっていることを知るだろうし、7日の命でも70年の命でも「一生懸命鳴いた夏」の尊さは変わらない。

それが大きいか小さいか、短いか長いかは、「知りえない」のではなく「知る必要が無い」ということなのだろう。今は、そう思う。

蛙には蛙の井戸がある。そして、セミにはセミの夏がある。

2017年8月 4日 (金)

遠くからの3つの歌

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この夏のもうひとつの宿題が、チェロの長谷川陽子さんからの委嘱による新作だ。

ただし書き下ろしの新曲というわけではなく、「武満(徹)さんがギターのために書いた〈12の歌〉のように、自分が大好きな古今名曲のメロディをアレンジして花束にしたような組曲を」という御注文。幾つかの候補曲の中から3曲(聖歌/賛美歌/唱歌)を選んでチェロとピアノ版にアレンジすることになった。舘野泉さんのために書いた〈3つの聖歌(シューベルト/カッチーニ/シベリウス〉と同じ趣向の姉妹作である。

ちなみに長谷川陽子さんとは、大河ドラマ「平清盛」の紀行の音楽(夢詠み)を二十絃の吉村七重さんとのデュオで演奏してくださって以来のお仕事。今回の編曲集を〈遠くからの3つの歌〉と題したのは、その時のお二人の…彼方から聞こえる微かな歌を口寄せしてこの世に降臨させる巫女…というようなイメージがあったせいかも知れない。

曲はこの秋に開かれる長谷川陽子さんデビュー30周年リサイタルで披露される予定。

2017年8月 1日 (火)

マリンバ協奏曲の夏

Mbc

ここ一月ほど、夏の暑さで意識朦朧となりつつ、マリンバ協奏曲〈バードリズミクス〉のピアノリダクション版を制作中。

原曲のオーケストラ版はラテンパーカッションのリズムの饗宴が前面に出ていて「ピアノ伴奏だけではちょっと無理」な仕様。しかし、委嘱&初演者の三村奈々恵さんの「パーカッション付きでもいいじゃないですか」の一言で、ピアノ&パーカッション伴奏という変則形で仕上げることにした。

ちなみに、この曲を書いた2010年の夏は、「観測史上もっとも暑い夏」と言われた記録的猛暑。ある意味ではその暑さのおかげで頭がアフリカになって生まれた曲(実際「ジャングル大帝」を思い出しました…と言われたことがある)かも知れない。

あれから7年たち、最近の夏は……何だかもはや地球でない違った惑星に立っているような気がするほどだ。そして、その惑星に音楽は…もう聞こえない。

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