蟪蛄春秋を知らず
蟪蛄(けいこ)春秋を知らず
夏に生まれて夏に死ぬセミは、夏以外の状態(…春や秋)の存在を知らない。それは「夏とは何か」ということも知りえない、ということである。という荘子の言葉。これをひねくれて解釈すれば、音楽に明け暮れ音楽に死ぬものは、逆に「音楽とは何なのか」ということを知りえない、という怖ろしい洞察に繋がる。
むかし、独学で自己流の音楽を始めた時「井の中の蛙大海を知らず…だよ」と再三忠告された。狭いところに閉じこもっているだけでは、広い世界は見えないよ、と。
でも、井戸の中を隅から隅まで精査すれば、そこには海以上に広大な宇宙が広がっていることを知るだろうし、7日の命でも70年の命でも「一生懸命鳴いた夏」の尊さは変わらない。
それが大きいか小さいか、短いか長いかは、「知りえない」のではなく「知る必要が無い」ということなのだろう。今は、そう思う。
蛙には蛙の井戸がある。そして、セミにはセミの夏がある。
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