チャイコフスキーとマーラーの生と死
FM「ブラボー!オーケストラ」10月分2本の収録にNHK401スタジオへ。今回は、マーラーの大作:交響曲第2番《復活》。
まず10月8日(日)は、始めにチャイコフスキー幻想序曲「ロメオとジュリエット」(バッティストーニ指揮東京フィル@6月4日第72回平日の午後のコンサートから)。そのあとマーラー:交響曲第2番「復活」の前半第1・2楽章を。
そして10月15日(日)は 後半の3・4・5楽章。演奏は、チョン・ミョンフン指揮東京フィル。ソプラノ:安井陽子、メゾソプラノ:山下牧子、合唱:新国立劇場合唱団。(7月21日第111回オペラシティ定期より)
1時間半という長さの「復活」を1時間番組で放送するため前半・後半と分け、別の日に収録した20分ほどの長さのチャイコフスキーの序曲を(偶然)組み合わせた…のだが、実はマーラーとチャイコフスキーのこの作は因縁浅からぬモノがある。
1892年、まだ31歳の新進指揮者マーラーは、ハンブルク市立劇場の指揮者としてチャイコフスキーの歌劇「エフゲニーオネーギン」(ドイツ語版)を指揮する。元々はチャイコフスキーが指揮するはずだったのだが、ドイツ語上演と言うことで自信がなく、マーラーが代わりを務めたものらしい。ハンブルクを訪れてこの上演を見たチャイコフスキーは「よかった…どころではなく天才的(な指揮)だった」と絶賛。この20歳年上の大先輩作曲家と、まだ作曲家としては無名の新進指揮者マーラーは、きわめて友好的な間柄になる。
ところが、翌1893年10月、新作交響曲(悲愴)を初演した直後チャイコフスキーは急死。翌月の追悼コンサートでマーラーは「エフゲニーオネーギン」の抜粋とともに幻想序曲「ロメオとジュリエット」を指揮し、この巨匠への哀悼の意を表することになる。
その頃、マーラーが作曲していたのは〈葬礼〉と題された交響詩。しかし、翌1894年、チャイコフスキーに続いて先輩指揮者ハンス・フォン・ビューローが死去。その葬儀で流れた「復活」の朗詠を聴いたことから、〈葬礼〉を第1楽章に、そして〈復活〉を終楽章にした新しい交響曲(第2番)は完成に向かって歩み始める。
ちなみに、題材となったクロプシュトックの詩「復活」(よみがえる。そう、おまえはよみがえるのだ)は出だしの弱音で歌われるコーラス部分のみ。アルトが「信じるのだ。おまえが憧れたもの、愛したもの、争ったものは全てお前のものだ」と歌い出してから後は全部マーラーの創作らしい。
キリスト教の「復活」の概念は信者以外には良く分からない点も多いが、マーラーの復活頌はちょっとニュアンスが違う。「生まれたモノは必ず死ぬ。そして死んだモノは再び必ずよみがえる」だから「生きるために死のう」そうすることで「おまえはよみがえるだろう」。そう歌われると、木や花が冬に枯れて春に再び命を咲かせるようなヴィジョンが頭に浮かび、意外と東洋的な死生観のようにも思えてくる。この曲が日本で人気が高いのはそのあたりが心の琴線に触れるからなのかも知れない。
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