国民楽派の過去と未来
FM「ブラボー!オーケストラ」5月分残り2本の収録にNHK401スタジオへ。
今回は2018年2月3日の東京フィル第63回響きの森クラシックシリーズから、小林研一郎氏の指揮でスメタナ「我が祖国」全曲を2回に分けて収録。
5月13日(日)放送が第1曲「高い城」、第2曲「モルダウ」、第3曲「シャールカ」、第4曲「ボヘミアの森と草原から」。
5月20日(日)放送が第5曲「ターボル」、第6曲「ブラニーク」。後半はプレトニョフさんの指揮でシベリウス:交響曲第7番。(2018年2月23日第902回サントリー定期から)
熱く感動的な演奏を聴きながらも……かつてはシンプルかつ音楽的に共感できた「国民楽派」の音楽をもはや素直に共感できなくなってしまっている自分に気付く。純粋な愛国心ほど大きな思惑や悪意に吞み込まれ利用される。その結果引き起こされた嫌な歴史を知ってしまっているからだろうか。
若い頃は「国民楽派」の真っ只中に居たシベリウスも(そんな空気を感じてかどうか)、年を経るに従って国や人とのしがらみから遊離する方向に向かい、最後の第7番では国も人の影もないような(ある意味、厭世的な)透明な世界に達してしまう。
だからというわけではないが、昔から、究極の音楽とは、誰ひとり人間のいない世界(宇宙)に鳴り響く「誰も聴かない音楽」なのかも知れない…と思うことがある。それは、中島敦の「名人伝」で描かれた…弓を使わず弓が何であるかすら忘れてしまった究極の弓の名人…という皮肉で矛盾したヴィジョンに重なる。
そして、このネットの時代、もしかしたら既に多くの作曲家たちがその境地に達しているのではないか、とも思う。当然ながら「誰も聴かない」ので「誰にも知られていない」わけで、彼らの心を知る術はないのだが…。
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