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2019年1月

2019年1月29日 (火)

美酒佳肴

Kikhim故)冨田勲さんに連れて行ってもらった新橋の酒亭に久しぶりに寄る。

仕事がらみの打合せを30秒ほどして、そのあとはひたすら美酒に酔う。いいお酒と美味しい肴というのは、まさに魂に染み入る至高の快。こればっかりはAIには分かるまい。

2019年1月27日 (日)

音楽の(無駄な)考古学

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J.ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」やハラリ「サピエンス全史」などに書かれた有史以前の人類の文化の考察は、何度読んでもわくわくするのだが、そこにどういう「音楽」があったのか、は残念ながら全く記述がない。

それは当然な話で、リズムや歌は化石や遺物として発掘されたりしないからだ。考古学的に確認できるのは、明らかに「楽器」として使われたと分かる骨の笛や琴などだが、それは(ごく一部の例外を除いて)最も古いモノでも紀元前六千年ほど前。その後、紀元前三千年ほど前(いわゆる古代文明の時代)には世界各地で普通に「音楽」が演奏され研究されていたことが絵や文字の情報で確認されているそうなのだが(ただし、録音などあるはずもないので「音」の情報は無い)、さて、それ以前にどういう音楽が/どういう経緯で/どんな伝播の仕方をしていたのかは、サッパリ分からない。

ただ、一万数千年前頃には人類は牧畜や農耕を始めている…ということは、複数の人間が一緒になって作業をするための労働歌とか収獲の踊りらしきもの(えんやか…でも、どっこい…でもいいのだが)があったのは確実だろうし、それ以前にも、集団で狩りや戦さをするにあたって行軍のリズムや攻撃の合図や戦勝を祈る歌などが全くなかったとは思えない。

さらに昔、数万年前にアフリカから出てユーラシア大陸を横断し南北アメリカ大陸にまで辿り着いた祖先たちが、ただ黙々と何の音も立てずに数千数万キロの荒野を歩いた…と考える方が無理がある。そこには何かお互いの存在と意志を確認しあうようなリズムや歌(ほいほ〜い…でも、ひゅーひゅー…でもいいのだが)があったと考える方が自然だ。

…のだが、この話は永遠に「想像」の域から出られない。なぜなら、最初にも書いたようにリズムや歌が物証として発掘されることは100%ないからだ。というわけで、考えるだけ無駄と言えば無駄なのだが…。タイムマシンがあったら一万年前にテレコを持って行って彼らの歌を聴いてみたい。こればっかりは「夢」で終わるしかないのだけれど。

2019年1月26日 (土)

AI は音楽の夢を見るか

Picturek_2最近、音楽ではなく「音楽が生まれる以前」の夢をよく見る。

…とは言っても、中世/ルネサンスとか万葉/平安の昔の音楽とかでなく、人類がホモサピエンスになるより前、二足歩行を始めて何かを両手で叩いた瞬間(リズムの誕生)とか、唇と喉とを動かして歌とも言葉とも知れない声を発した瞬間(メロディの誕生)とか…何万年前だか何十万年前だか分からない昔の(キューブリックの「2001年」冒頭のヒトザルのシーンみたいな…)夢である。

もし「最高の知能と処理能力と情報量を持ちながら、西洋的ロジックとかキリスト教的倫理観とか機能和声とか現代風の歪んだ世界観のような邪魔なものが頭に仕込まれていないプレーンな人工知能」というのが存在するのなら、「結局のところ音楽って何?」と尋ねてみたい。でも、今のところはSiriやAlexaに聞いても、Wikipediaの「音楽とは何か?」の頁を紹介してくれるだけだ(笑

ただ、言葉で質問して言葉で返事をもらう以上、言語のロジックからは逃れられない。「返事は(言葉ではなく)音楽で」…というのが正しい回答なのかも知れない。「考えるな、感じろ(Don't think. Feel !)と言ったのはブルース・リーだったか…。「我思う、ゆえに我あり」の代わりに、こう呟く東洋風人工知能というのはいつ出来るのかしらん。

2019年1月22日 (火)

7番か8番か9番か

Moscrosa_2FM「ブラボー!オーケストラ」2月分2本の収録にNHK403スタジオへ。

2月3日(日)放送分は、前半にモーツァルト:フルートとハープのための協奏曲(fl:工藤重典、hp:山宮るり子)三ツ橋敬子指揮東京フィル@2018年7月6日第10回平日の午後のコンサートより。後半は大谷康子さんのヴァイオリンで、チャルダッシュ、タイスの瞑想曲、チゴイネルワイゼン。渡邊一正指揮東京フィル@10月1日第11回平日の午後のコンサートより。

2月10日(日)放送分は、ロッシーニ:歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲、シューベルト:交響曲第8(9)番〈ザ・グレート〉。バッティストーニ指揮東京フィル@2018年11月21日第121回東京オペラシティ定期より。

Nomiya2ひさしぶりに〈ザ・グレート〉を堪能。ただ、未だにシューベルトのこの大ハ長調交響曲を〈第8番〉と呼ぶのに違和感がある。そもそもシューベルトが生前書き残していた交響曲は6曲。それが死後10年ほどして机の上に未発表の交響曲のスコアが残されているのをシューマンが発掘し、メンデルスゾーンが初演。直前の6番と同じハ長調だったので6番を「小さい方」この曲を「大きい方(ザ・グレート)」と呼ぶことになった。この時点では《交響曲第7番》である。

ところが、さらに30年ほどして、埋もれていた〈未完成の交響曲(ロ短調)〉の楽譜が見つかる。7番の後に見つかった遺作なので《交響曲第8番:未完成》ということになった。しかし研究の結果、この曲は最後の交響曲より前の25歳頃に書かれたことが分かり、28歳で書かれたグレートの方が番号は後、ということで《第9番》となった。この方が最後の交響曲として座りがいいし、単なる「大きい方」という呼称も「偉大な(ザ・グレート)」な感じがして悪くない(そもそもシューベルト自身がフィナーレに「第九」の主題を紛れ込ませているほどだし)。というわけでLP時代は《交響曲第8番:未完成》《交響曲第9番:ザ・グレート》として音楽愛好家に親しまれてきた。

…のだが、シューベルトが完成させた交響曲はそもそも(未完成のロ短調を含めて)8つ。ということは交響曲全集を作ると1曲欠番になってしまうわけで、1970年代に国際シューベルト協会が番号を繰り上げ調整し「未完成が第7番、グレートが第8番」としてしまった。CDの時代からの表記はこれに倣うようになったものの、一時は〈第7(8)番:未完成〉〈第8(9)番:ザ・グレート〉とかなり混乱した表記が見られたし、解説する側も心の底で「余計なことしやがって!」と不満垂れつつ…「8番なんですが、前は9番で、元々は7番と呼ばれていて…」と説明したものである。いや、これはこれから先も(この曲が演奏される限り)延々続くのだろうけれど。

ちなみに、バッティストーニ氏の今回の演奏は、速めのテンポでこの曲の「天国的な長さ(冗長さ)」をスッキリ整理し、マーラーやシベリウスにも通ずるような乱反射する色彩とロマンを聴かせ、なかなか見事な演奏。こういう演奏を聴くと「第8番」っぽい感じがしないでもない。なぜだろう。

Nomiya

2019年1月18日 (金)

隅田川のある風景

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年末年始の疲れを癒すため、水のある風景を見に行く。

渋谷からだと直線距離で南東に8㎞ほどの隅田川河口/竹芝桟橋あたりが最短の水辺の風景。(ちなみに、多摩川は逆方向の南西に10㎞ほどで、距離的にはちょっと遠い)

東京湾の入口でもある桟橋あたりから海風に吹かれつつ朝昼夜の東京を眺めていると……なんともその異様な巨大さに(自分の街ながら)むずむずしてしまう。

なるほど、ゴジラになって蹂躙してみたい気になるのも分からないでもない。

2019年1月14日 (月)

成人の日

Kurai

二十歳の頃…というと、それはもう思い出したくもないほど暗い青春だった(笑

成人式は…お金も仕事も着てゆく服もないので…行かなかった(行けなかった)。それに、何も知らなかった。ギル・エヴァンスとビル・エヴァンスの区別もつかなかったし、ブラームスの2番と3番の交響曲の区別もつかなかった。文楽と圓生の区別も、ウィスキーとブランデーの区別もつかなかった。

そもそも、若いということがとてつもなく巨大な財産である…ということを知らなかった。失ってからそれに気付いた時はもう全てが手遅れだということも知らなかった。青春と貸した金は二度と返って来ない…という名言を吐いたのは誰だったろう。

ただ、あの頃にもう一度戻りたいか?と言われると……それは真っ平御免こうむりたいけれど(笑

2019年1月12日 (土)

水車小屋のある風景

Parks

渋谷に行く散歩コースに、池と水車小屋と松が並ぶ不思議な空間(鍋島松濤公園)がある。

むかしはきれいな湧き水があってお茶を点てていた場所だったらしく、今でもその名残の水車が(時々だが)回っている。

ここの池のゆらゆら揺れる水面を見ていると、タルコフスキーの映画「ソラリス」の中で延々流れる「水」の景色を思い出す。この場所自体が、コンクリートだらけの広大な海にポツンと浮かぶ小さな小さな「島」のような存在のせいもあるだろうか。

狭ければ狭いほど(とは言っても、この公園自体は1,500坪ほどあるらしいのだが)そこに勝手に「宇宙」を感じるのは、日本人の悪いクセ…なのか美学なのか。

2019年1月 8日 (火)

レクイエム考

Diesirae_2NHKの音楽番組解説打合せのため、年末年始に古今の「レクイエム」を十数曲ほど聴くことになった。

レクイエムは、歌詞冒頭が「Requiem(安息を Aeternam(永遠の」で始まるため「レクイエム」と呼ばれるが、正しくは「死者のためのミサ曲」。カトリックで信仰の深さを確認する儀式「ミサ」のひとつなので、同じキリスト教でもプロテスタントの作曲家(バッハやメンデルスゾーン、ブラームスなど)は宗教曲は書いてもレクイエムは書いていない。(ブラームスは典礼文を使わずルター派の聖書からドイツ語の歌詞で「ドイツレクイエム」を書いている)

中でも有名なのは「怒りの日(Dies irae)」の部分で、世界の終末の審判の日、ラッパが鳴って死者が全て集められ、天国に行く者と地獄に落ちる者とが選別される…という怖いヴィジョンが歌われる。グレゴリオ聖歌の中の有名な旋律は、ベルリオーズの幻想交響曲など多くの作曲家の作品で印象的に登場するし、モーツァルトやヴェルディのレクイエムにおける「怒りの日」は衝撃的かつ圧倒的な音楽だ。

ところがこの「怒りの日」、ラテン語の典礼文の中に昔からある正式なものではなく、13世紀に創作されたもの。しかも、その目的はというと(見も蓋もなく言ってしまえば)カトリックの教会が「地獄は怖いぞ」「信心が薄いと地獄に落ちるぞ」と不安を駆り立て、地獄に落ちたくなければ「教会に献金をしなさい」という流れに持って行くため(実際、16世紀には教会がそのための「免罪符(贖宥状)というものを大々的に売り出している)だったのらしい。

当然「それはあんまりな話だ」「教会の堕落だ」と抵抗(プロテスト)する人が出て来て、結果「プロテスタント」と呼ばれる反カトリック的な宗派が出来た(…と以前、池上彰氏の番組でも説明していた)。そう聞くと、レクイエムの名品を聴いて感動しつつも、なんだか複雑な気持ちになる。

Faure

そのせいか、フォーレのように、カトリックでありながら「怒りの日」を外したレクイエムを書いている作曲家もいる。プロテスタントとまでは行かないにしろ「怒りの日」のヴィジョンには本能的な違和感を感じたからかも知れない。(私も1990年に書いた交響曲第2番の中にレクイエムの楽章を器楽的に組み込んでいるが、Introitus/Kyrie/Offertorium/Sanctus/Agnus Dei/Libera Me…の6部分で、典礼文は使わずDies Iraeも入っていない)。

ちなみに、現代(1960年代に行われたバチカン会議以降)では、「怒りの日」は不安や恐怖を強調しすぎていてふさわしくない、として正式な典礼の項目からは廃止されているのだそうだ。(なので、怒りの日が入っていないため「異教徒的」と批判されたフォーレの作も、現代では晴れて正しいレクイエムの形と承認されたことになる)

・・・蛇足ながら、むかしオーケストラのコンサートでヴェルディの「レクイエム」が演奏されたとき、インドから来た音楽家の方が「誰か亡くなったのですか?」「誰も死んでいないのになぜレクイエムなど演奏するのですか?」と心底驚いていたのが印象的だった。

彼によれば、音楽は世界/宇宙の調和を奏でるものであって、朝には朝の、春には春の「調べ」を奏でるのが基本。誰も死んでいないのにコンサートホールでレクイエムを演奏するような「世界の調和を見出すようなこと」をするから戦争が起こるのです!と説教された憶えがある。

なるほど、音楽にも戦争責任があったのである。

2019年1月 6日 (日)

25年目の夢の香り

Incense_2妹の墓参りに湘南藤沢へ。

早いもので、もう25年がたつ。病床で〈サイバーバード協奏曲〉を書いた年でもあるので忘れようもない。

あれから色々なことがあったような、たいしたことは何もなかったような。人生は一睡の夢(正しくは「一炊」らしいが)。作曲家だったことも交響曲を書いたことも全て、酒を飲んで一睡した間に見た夢だったような気もしないでもないような(笑

2019年1月 1日 (火)

謹賀新年

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