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2019年5月30日 (木)

舘野泉さんと対談インタビュー

Ateno舘野泉さん宅で音楽の友誌の対談インタビューを受ける。

舘野さんとの出会いは、私が高校生の頃。「フィンランドから帰国した若手!ピアニスト」というので興味を持ちリサイタルを聴きに行った時だから、もう軽く50年が経つ。

お会いして話をした最初の機会は、駆け出しの作曲家としてピアノ誌で対談インタビューした時。30年ほど前だろうか。その時も舘野さん宅だった。

その後、シベリウス協会でご一緒するようになり、オウルンサロ音楽祭に招かれ、左手のピアニストになられてからは、頼まれもしない曲も含めて十数曲…ピアノソロ、3手連弾、室内楽、語りもの、アレンジもの、コンチェルト、そして大河ドラマと…ずいぶん曲を書いた。(今年11月のバースデイコンサートでは、草笛光子さんとの共演で「KENJI…宮澤賢治によせる」を再演予定。また上皇后美智子さまとの連弾のための曲も密かに進行中)

大先輩にして戦友?という不思議な長い付き合いだが、終わって写真を撮ってのひとことは…「お互い白髪になっちゃったなぁ(笑)」

2019年5月28日 (火)

白い巨塔の過去と未来

2019_1ドラマ「白い巨塔」(2019)全5話をネット配信で見る。

山崎豊子の原作を読んだのは中学生の頃(1965年)。以来、田宮二郎版(映画/ドラマ)、佐藤慶版、村上弘明版、唐沢寿明版、今回の岡田准一版と見てきたが、当時は胃の噴門癌をめぐり、術前に断層撮影をしたかどうか、癌性肋膜炎を術後肺炎と誤診したかどうかの医療裁判だった。今回は、膵臓癌をめぐり、術前にPET検査をしたかどうか、肝臓のリンパ腫を脂肪肝と誤診したかどうか…と微妙に現代風にアレンジされている。

当時は「癌」も十数年ほど経てば結核と同じような過去の病気になると信じて疑わなかったが、あれから50年経ったのに未だに癌が死の病であることを描いたドラマが通用するとは…とドラマの感動とは別にいくぶん暗澹たる思いになる。癌の外科手術の権威である主人公本人も癌で死んでしまうのだから、もし癌の疑いで入院中の方が病室のテレビでこのドラマを見ていたら(あるいは病院が見せないだろうか)…さぞ複雑な思いになったに違いない。

ちなみに、私の妹は25年前、父は16年前、比較的早期に発見され手術を受けながら、癌で死んでいる。妹の場合(乳癌)は転移をすべて把握しないまま早期に手術したこと、父の場合(胃癌)は当初胃痛を心臓疾患と誤認して手術が遅れたこと…が「後から思えば」原因だが、もちろん「誤診」だなどとは微塵も思わなかったし、医療に携わった方々には感謝しかない。治って「当たり前」で、悪くなったら全て「誤診」、というのでは医者のなり手はいなくなってしまうだろう。

そんなこともあって、個人的にはどうしても冷徹技巧派の主人公財前五郎に肩入れしてしまう。もう少し生き延びて上告し最高裁まで行って「あなたは無罪です(結果的に患者を助けられなかったが、最善を尽くしました)」という判決を受けてニッコリ笑って死んでゆく…という話だったらどんなによかっただろうとしみじみ思う。

何年か先には(このドラマでもちょっと触れていたが)AI:人工知能のロボット医師が手術を担当するようになるのだろう。医療技術と共に患者の心理操作までプログラムに組み込まれた「ワタシは失敗しませんから」な医師。そんなロボット医師ザイゼンゴロウが主人公の新しい「白い巨塔」も是非見てみたい気がする。

2019年5月27日 (月)

暗い童話と死の影と

Mahlerzadonai FM「ブラボー!オーケストラ」6月分2本の収録にNHK502スタジオへ。

6月9日(日)放送分は、イタリア近代の作曲家リッカルド・ザンドナーイ(1883-1944)の珍しい作品、あるおとぎ話の印象「白雪姫」(1939)@バッティストーニ指揮東京フィル(2019年1月23日第914回サントリー定期より)。

そして、6月9日(日)と16日(日)の2回に渡って、マーラー:交響曲第9番ニ長調を放送。9日は前半の第1楽章、16日は、後半の第2-3-4楽章。演奏は、ミョンフン指揮東京フィル(2月15日第916回サントリー定期シリーズより)

童話の世界…というのは、現代では子供向けに人畜無害なものが鉄則だが、そもそもは結構暗くて残酷な復讐譚のようなものが多い。「白雪姫」も…自分より綺麗な白雪姫に嫉妬した王妃は「家来に白雪姫を殺させ、その内臓を食べてしまう」ことを計画。それに失敗すると、今度は自ら絞殺・毒の櫛・毒リンゴと3度にわたって殺害を試みる。その死んだ白雪姫の「死体」を、通りがかった王子が7人のこびとからから買い受けるのだが、家来が足を滑らせた拍子に喉から毒リンゴを吐き出し生き返る。そして二人は結婚。悪役の王妃は「真っ赤に焼けた鉄の靴」を履かせられて死ぬまで踊り続けた・・・と結構怖い展開だ。

マーラーは、そんなグリム童話や「少年の魔法の角笛」などの暗い森の中で繰り広げられる奇妙な物語が大好きだったようで、交響曲第1番の葬送行進曲は「死んだ猟師の死体を担いで運ぶ森の獣たち」というなかなかシュールなイメージ。その延長線上に最後に到達したのが交響曲第9番の世界だと思うと不思議な感慨に襲われる。暗くて悲観的な音楽を書いていた割には、実は結構明るく野心に満ち溢れていたという説もあるが、屈折した性格だったことは確か。自己愛と自虐が交錯し、誇大妄想を大声で喚いたと思ったら、いじいじと小声で暗い悲観的な独白をし、自己陶酔が顕著で、語り口はくどくどと果てしなく長い。しかし、その分裂気味の「寄る辺なさ」が、病んだ現代人にはなんとも魅力的なのだから音楽というのは面白い。

2019年5月25日 (土)

舘野泉&ラ.テンペスタ室内管弦楽団

Tempesta 舘野泉さんとラ・テンペスタ室内管弦楽団のコンサート(東京オペラシティ)に一瞬だけ顔を出す。

日本とフィンランド国交樹立100周年記念公演。ちなみにフィンランドはロシア革命の年1917年12月に独立を宣言し、日本は(ちょうど100年前の)1919年5月にそれを承認。それを受けて初代フィンランド公使として言語学者でもあるラムステット(Ramstedt)氏が来日。1920年(大正9年)から29年(昭和4年)まで日本に滞在し、柳田國男や宮澤賢治と交流を持っている。(そのあたりについては拙稿「シベリウスと宮澤賢治」参照)。

あれから100年。思えば想像を絶するような色々なことがあったなあと遠い目になるが、さらにこれから100年…もっと想像を絶することが…あるのだろうか…(? などと言っていたら公演中に地震があった…

2019年5月21日 (火)

海と霧のむこうに

Rk FM「ブラボー!オーケストラ」6月分1本の収録にNHK501スタジオへ。

今回は6月2日(日)放送分で、リムスキイ=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」。バッティストーニ指揮東京フィル(1月23日第914回サントリー定期より)。および4月の定期でアンコール演奏されたエルガー「威風堂々」の短縮版。

R=コルサコフは、20代は海軍の士官候補生として軍艦に乗って7つの海を駆けめぐった人。シェエラザードの見事な「荒海」の描写はそんな航海の経験から、そして見事な管弦楽の扱いは寄港地の都市で見聞きしたオペラやコンサートの体験から来ているのだそうで、なるほど作曲家を育てるのに海軍に入れるのもアリなのか…と納得。

結局30代を迎える前に海軍を辞め、音楽の道を邁進するのだが、そのまま海軍に居たら「シェエラザード」を書いた40代には軍艦の艦長クラス、50代を迎える頃には艦隊の提督くらいに出世していたかも知れない。とすると、バルチック艦隊を率いて日本海海戦を戦い(ちなみに連合艦隊側の東郷平八郎、バルチック艦隊側のロジェストヴェンスキー両司令長官は共に4つ年下)、もしかしたら勝っていた可能性も…と、妄想は日本海の荒波を駆けめぐる(笑

Ee もうひとつ、余談ながら、エルガー「威風堂々」の原題は「pomp and circumstance」(華麗にして仰々しい…というような意味)。英語タイトルだけで何の曲か分かる人はかなりの通だが、これはシェークスピアの戯曲「オテロ」第3幕のオテロのセリフ「pride, pomp and circumstance of glorious war」から取られているのだそうだ。

しかし、この部分、オテロが敵役イヤーゴの策略に嵌まって苦悩し「さらば、栄光ある華麗にして仰々しい戦いの日々よ。私オテロの全ては終わった」と嘆く悲劇的なシーンのセリフで、威風も堂々も「過去の栄光」ということ。わざわざこんな処から引用して行進曲のタイトルにしたエルガーの真意は何だったのだろう?。もともと、人名を暗号にした「エニグマ変奏曲」などを書いているような…シャーロック・ホームズばりの一筋縄ではいかないひねたインテリ紳士。何か、裏がありそうな気がする…と此処でも妄想がロンドンの霧の中を駆けめぐる。

2019年5月15日 (水)

顔認識システムの世界

Facere 人の顔を覚えるのが苦手な質(たち)なので、昨今の顔認識システムの進化と普及にはしみじみ感心してしまう。

生体認証は(昔からお馴染みの)「指紋」で決まりかと思っていたら、いつのまにか虹彩や声紋など非接触型の方向で技術は進み、気が付くと「当人は何もせずカメラが勝手に人相を照合して本人確認をする」ことが可能になってしまった。しかも単に顔の輪郭や目鼻の位置という2D情報だけでなく、顔の凹凸から表情の変化まで含めた3D情報での認識なので、変装も顔マネ?も通用せず、本人を確定する精度は99.2%ほどなのだそうだ。これでカードも印鑑もサインもパスワードもお金も必要なくなり、買い物も食事も「顔パス」で「ツケといて」が普通になるのだろうか。

さらに、駅や店や銀行や交通機関など全ての場所にこの顔認識システムが導入されれば(中国などはほぼ実現しているそうだが)、世の中に不審者はいなくなり、身元を隠して行われる犯罪はほぼ不可能になる。個人的にもiPhoneなどに標準装備されて、道で人にバッタリ会って誰だか分からないとき「XXさんです、△△出版の」などと教えてくれると至極便利なような気がする。

…が、そうすると今度は、道ですれ違う女のコの名前と電話番号を片っ端からコレクションする輩が出て来そうだから、これは技術的に可能でも現実的/倫理的にはNGだろうか。いや、同時に女性側にも相手のデータが伝わり一方的なプライバシー侵害は出来ない(いわば双方向の情報交換になる)のでOKのような気もしないでもない。確かに、権力者やハッカーだけが一方的に知らない間に個人情報を握る…という(典型的なディストピアのような)ビジョンは怖いが、全市民がお互い全市民の情報を共有する…というのはどうなのだろう。個人の意識や常識が付いていけるかどうか分からないが、新しい世界のスタイルとして有り得なくもないような気がする。

テクノロジー/セキュリティ/プライバシーが、リズム/メロディ/ハーモニーのように調和する未来。さて、人間はそんな世界を手にすることが出来るのだろうか。

2019年5月10日 (金)

老馬の休日

Kioi 世間の連休が終わった頃、ようやくひと休み。世間様とはとことん生活パターンがズレていることを実感しつつ近場の緑を求めて徘徊する。

六十過ぎても八十過ぎても「休みなし」で元気で現役…という人は凄いと思うが、個人的には還暦過ぎたら縁側でネコ抱いて日向ぼっこ…がいいという主義。そもそも世界は本来三十代くらいの人たちが動かすべきなのだ。それを過ぎて「まだまだ若いモンには負けない」と思った瞬間から「老い」は始まる(ような気がする)。

あとは若い人たちに任せよう。絶滅するのも・霊長類の座をAIに譲りわたすのも・地球を捨てて宇宙に出るのも…

2019年5月 4日 (土)

左手のピアニストの祭典

D5ieiumwaae7tvxjpglarge 〈風と緑の楽都音楽祭2019〉の「左手のピアニストの祭典」に立ち会うため北陸新幹線で金沢へ。

音楽祭自体は5月の3-4-5日を中心に百以上のコンサート/イベントで構成されているが、その中の一つ「左手のピアニストの祭典」は、昨年11月に行われ私も審査員の一人を務めた「公開オーディション」の最優秀賞2人が演奏するコンサート。演奏曲は・・・
・エスカンデ〈アンティポダス〉より(p:月足さおり)
・吉松隆:左手のためのピアノ協奏曲〈ケフェウス・ノート〉より(p:瀬川泰代)
・ノルドグレン:〈小泉八雲の怪談~死体にまたがった男〉(p:舘野泉)。小松長生指揮オーケストラ・アンサンブル金沢@金沢県立音楽堂。

左手のためのピアノ協奏曲ばかり3曲…というのも珍しいが、左手のピアニスト3人の競演というのも珍しい。しかも、片手での演奏を始めた時期も原因も三者三様(月足さおりさんは生まれつきの脊髄の病気から、瀬川泰代さんはピアニストを目指す学生時代に発症した局所性ジストニア:神経系の運動障害から、舘野泉さんは六十代になっての脳溢血による半身麻痺から)。これは、運動機能と神経/脳そして演奏法や音楽性との関係を医学的(かつ音楽的)に研究する人にはかなり興味深い音楽会だったのではなかろうか(などと、むかしむかし一度は医者を目指した身としては考えてしまう)。そこには音楽を手にした人間の「生命力の強さ」を感じさせる美しい時間が流れていた。

天気も良く、街中が音楽に満ち溢れているような素敵な時間を堪能させて貰ったが、残念ながら(ほんの一時間だけ、近江町市場から金沢城公園まで散策したあと)一身上の都合で日帰り。連休真っ只中の行楽日和の一日とあってどこもかしこも人で溢れていて、ヨーロッパまで往復したかと思うほどくたびれた(笑

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