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2019年7月

2019年7月31日 (水)

地球の夏・絶滅の夢

Skyblue夏というのは、こんなに暑かっただろうか、と青空を見上げながらしみじみ思う…。地球が人間の絶滅を思い立って煮沸消毒を始めたのかも知れない?と感じるほどだ。

そんな絶滅の夢?を目前にして、最近「AI(人工知性)にも性(オス・メス)が必要なのでは」…という面白い話を漏れ聞いた。単に男女の属性/形状を持ったロボットということではなく、全体が残れば個は滅びてもいい…という(論理的整合性が最重要の)オス回路と、個が残れば全体は滅びても良い…という(個の保存が最優先の)メス回路。当然、どちらも理があるため、矛盾しケンカして訣別する。しかし、そうすることでこそ新しい環境で生存できる可能性が生まれる(どちらか一方の意見に従った場合、それが外れたらゲームは終了してしまう)という。

なるほど。確かに、単体による生殖だと何らかの不備(環境の変化・寄生生物・疫病など)があったとき全個体が一気に死滅してしまう。違った体質と性格と思考をもった個体が複数あることでそうした絶滅を回避できる可能性がある。それが、地球上の生物の多くが有性生殖である理由…というのは昔から言われてきたことだが、サテ、AIにオス・メスを作り、ハートと下半身を付け、それが恋愛したりケンカしたりし出すと世界はどうなるのだろう?。もっと熱くなるのだろうか?

余談だが、最近(7月25日)直径130mほどの小惑星2019OKが…天文学者も知らない間に…地球のすぐ近く7万2千キロほどの処を横切っていたそうで、絶滅の危機は遠い未来の夢とも言い切れない。ちなみに、この件で小惑星の接近を察知できなかった天文台の所長が責任を取って辞職し、これが本当の隕石辞任…というジョークは昔どこかで聞いたことが…(笑

2019年7月26日 (金)

田部京子リサイタル@ピアノの深淵

Tabe190726 夜、浜離宮朝日ホールへ田部京子さんのピアノ・リサイタルを聴きに行く。

ベートーヴェン:悲愴ソナタ、シューベルトのソナタ第13番、そしてシューマンの大作「幻想曲」というプログラム。精緻で美しい…深く澄んだ水面を覗き込むような…ピアノの音がひたひたとホールを包み込む。前半に演奏された「悲愴」の奥の繊細さ、シューベルトの清涼無垢な響き。時が静止したような時が流れる。

後半のシューマンの「幻想曲」は…個人的に未だに良く分からない曲のひとつ。彼女の演奏は、男の作曲家の音楽の底にある濁りや歪みのようなモノを優しく包み込む女神性みたいなものがあり(私の曲も随分それに助けられた)、シューベルトではそれが見事に発揮されるのだが、シューマンの闇は包み込むにしては歪みすぎている?のか、詩情や情熱を描くピアノの響きの向こうにある「怖さ」みたいなものをひたひたと感じる。(これをドイツロマン派の影の部分として堪能すべきなのか、苦汁のようなものと感じるべきなのか…)

最後にアンコールで演奏された「トロイメライ」も、あまりの美しさ静けさながら…実を言うと無垢さの向こうの闇を感じてしまったので、これはもう曲や演奏云々ではなく、聴いている自分自身の心の中の深淵を覗き込んでしまったということなのだろう(深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている…と言ったのはニーチェだったか)。鏡のように澄んだ水面に「暗い顔をした変な男」が映っていると思ったら、それは自分自身の顔だった…みたいなものだ(笑。

幻想の妄想

ScoreaFM「ブラボー!オーケストラ」8月分2本の収録にNHK403スタジオへ。

今回は6月29に行われた九州交響楽団の演奏会(音楽監督の小泉和裕さんとの共演100回記念コンサート)を、前半後半と2回に分けて収録。

8月11日(日)は、前半の曲目:スッペ「詩人と農夫」序曲、リスト:ピアノ協奏曲第1番(p:広瀬悦子さん)。および九響のCDから、ムソルグスキー「禿げ山の一夜」とボロディン「中央アジアの草原にて」。

8月18日(日)は、後半の曲目:ベルリオーズ「幻想交響曲」。いずれも九州交響楽団第17回名曲・午後のオーケストラ@アクロス福岡シンフォニーホールより。

最近ベルリオーズ自筆の楽譜の第4楽章(断頭台への行進)表紙↑を見て、かなりアブナイ人がアブナイ状態で書いたことを再確認(笑。
この曲の成功のあと、一応作曲家として名を成し、別の女性となんとか婚約したそうなのだが、こんなアブナイ人と結婚しちゃダメよ、と彼女の母親が別のまともな男性との結婚を取りまとめて一方的に破談。それを知ったベルリオーズ先生、激高してこの母娘の殺人計画を練り、拳銃を隠し持ったうえ女装!して馬車でパリに向かったというから、もう少しで殺人・死刑・断頭台の話が幻想でなく現実になる処だったらしい。まあ、そのくらいの狂気がなければ、これほどぶっ飛んだ曲は書けない…ということなのだろうが、それにしても、それほどヘンな曲なのに「名曲」という認識で聴いてしまうのはなぜ?

2019年7月24日 (水)

運命&サイバーバード

190724cd

2019年7月18日 (木)

遊楽図の系譜

Suntorym 遊びをせんとや生まれけむ…という宣伝コピー冒頭の文言に惹かれて、サントリー美術館の「遊びの流儀〜遊楽図の系譜」展を見に行く。

平安時代(源氏物語絵巻)から江戸時代まで、貴族や庶民が遊び(ゲーム/踊りなど)に興じている図/屏風絵を中心に、遊具(かるた/双六など)も展示したなかなか興味深い内容だ。

Sugoroku 最初の部屋に入ってすぐが、←清盛と後白河法皇も興じていた双六。現在では「双六(すごろく)」というと絵が描いてあって最終的な「あがり」に向かって駒を進めてゆく「絵双六」だが、この頃のモノは…サイコロを振って駒を進めてゆく…というのは同じでも、どちらかと言うと将棋や碁に近い頭脳戦の趣きがある。

それにしても、歌っていたり踊っていたりする人が描かれている絵を見るたびに、画面に登場する「楽器」が気になって仕方がない。弦の数・演奏する指の形・駒やバチの形状などなど、ガラスケースに顔を押し付けて息で曇らせながら凝視し、横で並んで見ている女性に不審がられること数回(笑。

Dance 平安時代は箏・琵琶・笛・鼓…が主流の少人数で聴く室内楽だが、江戸時代になると三味線が登場し太鼓も加わり屋外で大勢のダンスになってゆくのも面白い。バーで聴くジャズがスタジアムで聴くロックになったような変化だったのだろうか。しかし、肝心の音は残念ながら屏風絵からは聞こえてこない。「どんな音だったのだろう?」と一枚一枚の絵を見ながら…妄想の翼はぱたぱたと虚しく美術館の壁を飛び回る。

2019年7月17日 (水)

祇園祭の一角獣

Gionu今年も京都で祇園祭の山鉾巡行が始まった。

祇園祭には、男たちが神輿をかついで夜中の街を疾走する神幸祭や、複雑なのかシンプルなのか分からないコンチキチンのお囃子などなど、不思議なアイテムが色々あるのだが、もともとが疫病災厄よけの呪術的な意味合いから千年以上昔に始まった祭。今となっては「どうしてこんな風にするのか実は良く分からない」という事も少なくないのだそうだ。

ちなみに、私も30年ほど前(1988年)京都市交響楽団から「京都をイメージした作品」と云う委嘱を受けて京都を訪れたとき興味をひかれたのが、山鉾巡行の先頭を行く長刀鉾の正面水引幕に描かれた「五彩雲麒麟の図」。「麒麟(東洋の一角獣)」を先頭にして20基以上の山鉾が市内を結界の回路図を描くように練り歩く…という「なぜ?」に興味津々となった。

…のだが「なんで一角獣なんですか?」と京都の人に聞いても「さあ」と微笑むばかり。「こりゃ面白い」と書きかけのファゴット協奏曲のタイトルを〈一角獣回路〉とした次第(笑。…もうひとつ、「馬」(独奏者が馬込勇さん)が、一本のツノ(ファゴット)を持っているから…という意味も兼ねているのだが、30年ほどたった今となっては「どうしてそんなヘンなタイトルにしたのか良く分からない」と笑われそうだ。

2019年7月12日 (金)

パルナッソスとベルクハウス

ParnasusFM「ブラボー!オーケストラ」8月分2本の収録にNHK502スタジオへ。

8月4日(日)放送分は、ベートーヴェンの若き日のバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の(ほぼ)全曲版。高関健指揮東京シティフィル(2019年1月26日第55回ティアラこうとう定期から)

9月1日(日)放送分は、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」(p:鈴木隆太郎)指揮:大友直人(2019年5月18日第68回響の森クラシックシリーズから)と、リスト「ハンガリー狂詩曲第2番」指揮:小林研一郎(2018年11月4日第78回休日の午後のコンサートから)。演奏は東京フィル。(こちらは7月21日放送予定が参院選のため延期となったもの)

        *

バレエ「プロメテウスの創造物」はベートーヴェン30歳頃の作曲デビュー作に近い舞台作品。のちに「英雄」交響曲フィナーレの素材にもなる重要な作品だが、どういうバレエだったか細かいことは資料が残っておらず良く分からない。

イタリアの振り付け師ヴィガーノが台本を書き主役を踊ったこの作品、プロメテウス(ギリシャ神話の神様で、人間に「火」を与えたため、ハゲタカにはらわたを引きずり出される罰を受ける)の話がメインではなく、彼が土くれから創った人形(これが彼の創造物)が詩や音楽や芸術を知って「真の人間」になるという物語らしい。全2幕の後半で彼ら(人間)はパルナッソス山のアポロの神殿に連れて行かれ、様々な神さまたち(芸術の神アポロ、美の神ヴィーナス、戦争の神マルス、詩や音楽の神オルフェウス、酒の神ディオニソス/バッカス・牧神パンなどなど)から学問や詩や芸術…そして酒や戦争を教わる。かくして、土くれから生まれた人形は心を持った「人間」となリ、最後は神々と一緒に悦びの踊りを踊る…という構成である。

若きベートーヴェンは、この作品から「芸術を知ることで真の人間になる」というヴィジョンを見出したのだろう。だからこそ「英雄」交響曲でこの作品の素材を使い、芸術を極めて「真の自分(ベートーヴェン)になるぞ」という宣言を行った…ということになるだろうか。

Karlmllerそして、後半で演奏されたリストの「ハンガリー狂詩曲第2番」の管弦楽編曲ミュラー=ベルクハウス版にも注目。この曲のオーケストラ版としては最も有名なスコアだが、今まで編曲のミュラー=ベルクハウスを(何となく)ミュラーさんとベルクハウスさん2人の共作?かと思い込んでいた。

ところが調べてみると、彼はカール・ミュラー=ベルクハウス(Karl Müller-Berghaus。1829-1907)という一人の音楽家。本名はカール・ミュラーで、ベルクハウスというのは結婚した奥さん(エルビラ)の姓。音楽家一家で兄弟全員が音楽家なので、ミュラーだけでは区別が付かないことから複姓としたものらしい。

ドイツ出身だが、ヨーロッパのあちこちでヴァイオリニスト・指揮者・作曲家として活躍(ハンガリー狂詩曲の編曲は、おそらく出版社ジムロックから頼まれてアルバイトで書いたのだろう)。50代からはフィンランド/トゥルクの音楽協会で指揮者を務め、フィンランドの神話「カレワラ」を元にしたオペラ(Die Kalewainen in Pochjola 1890)も書いていると初めて知った。英雄ヴァイナモイネンやポヒョラの娘たち、そして富を生み出す魔法の臼サンポを巡る全4幕の大掛かりなオペラである。

Kalewainen-in-pochjola この作品、上演する機会のないまま、本人がドイツに帰国したのち亡くなってしまい、楽譜も無くなったと考えられていたのだが、最近、町のライブラリに保存してあった楽譜が見つかり、2017年フィンランド独立100周年記念に127年ぶりにトゥルクで初演されている。

シベリウスが「クレルヴォ」(1891)を書く前に書かれたカレワラ神話による本格的なオペラ!。YouTubeで検索すると初演の時の映像を見ることが出来るが、ワーグナーばりのなかなかの力作である。

2019年7月 6日 (土)

新・サイバーバード協奏曲

2019年7月 3日 (水)

新装版「図解クラシック入門」三部作

3booksむかし(2004年)書いた〈図解クラシック入門・三部作〉台湾版の新装版が届く。

古典音楽/真的好簡単講堂(図解クラシック音楽大事典)・古典音楽/有笑有涙知識講座(楽勝クラシック音楽講座)・古典音楽/一点就通名曲GUIDE(空耳クラシック名曲ガイド)の3冊で、初版は2007年。当然、中味は中国語。外装はシックになったが中味は同じ(笑

ちなみに日本では三冊合本編纂した新装改訂版「図解クラシック音楽大事典」(学研)として発売中。

2019年7月 1日 (月)

昔の日記考

Niikiちょっと確認したいことがあって昔の日記を整理する。

高校にあがった頃(1968年)からもそもそと大学ノートに書き残したものが十数冊ほど。パソコンを導入した1980年代後半あたりからは日記ソフトとか原稿ソフトに書き付けているので、結構記録は残っている。ただし、パソコン上のデータは形式(Format)がころころ変わるので、現在ではもう開けないモノも少なくない(特にMacではOSが8や9に替わった前後が壊滅的だ)。デジタルの時代でも普遍的なのは紙に筆記するアナログの方…という意見は一理ある気がする。

それにしても、十代の頃の日記というのは…ひとことで言って「恥ずかしい」。何かを思い立ってドヤ顔で書いてあることほど、今読むと「これが他人様の目に触れるくらいなら死んだ方がマシ」的なモノが多い(笑)。

いや、それでも紙に書いたアナログ媒体は、死ぬ前に燃えるゴミに出せば証拠隠滅を図れるからまだいい。昨今の若い人たちは、この手のモノをブログだのTwitterだのSNSで日々発信してるわけだが、これは(良くも悪くも)半永久的にネットの中を漂流し(下手をすると増殖して)消えることが無い。若い頃の青臭い発言や行動が50年経ってもネットに漂流していたら…というのは考えるだに怖ろしい。うーん、紙でよかった。さっさと燃してしまおう(笑)

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