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2019年8月31日 (土)

美女と野獣のトーク&コンサート

190831aaベーゼンドルファー東京ショールーム(中野坂上)での〈美女と野獣のトーク&コンサート〉に顔を出す。音楽評論の真嶋雄大さんの司会で演奏家とのトークを交えたミニコンサート・シリーズ。今回はピアノの田部京子さん。

冒頭は、オーボエの中村あんりさんとの共演でモーツァルトのヴァイオリンソナタ ホ短調。この曲昔から大好きな曲なのだが、モーツァルトでホ短調というのは極めて珍しい(と真嶋さんの解説でも触れていた)。今聴くと「爽やかな哀愁」という感じだが、当時は「極めて珍しいキイのしかも短調」というのはかなり暗いホラー的な響きに聞こえたのかも知れない。もしかしたらギターとヴァイオリンでの演奏(ギターは調弦の都合でホ短調はきわめて自然に響く)で発想したのかも?と思ったりもするが、ヴァイオリンのホ短調の艶やかさとほの暗さのバランスはメンデルスゾーンの有名な協奏曲で証明済み。この曲をオーボエで…というのは田部さんのアイデアだったそうだが、移調してニ短調あるいはト短調で演奏すればさらに哀愁が際立った〈オーボエ・ソナタ〉に生まれ変わるかも知れない。

Photobdコンサートはその後、ピアノソロでシューベルト、ブラームス、グリーグと続き、アンコールでプレイアデス舞曲集の一曲が演奏された後、ちょっと登壇して(作曲家と作品についての裏話的な)お話を少し。・・これで無事、美女2 vs 野獣2のバランスに(笑

2019年8月25日 (日)

ことばの話・・・3

Wagnerkkオペラを書いたのにお金がなくて上演できないので資金援助が欲しい…と人に頼むとき、普通なら「すみませんが、お金を援助して貰えないでしょうか」と頭を下げて下手(したて)に出る。ところが、かのワーグナー翁は「私の芸術を援助する光栄をあなたに差し上げよう」と常に上から目線だったのだそうだ。それだけでもう「天才」である(笑)。

日本ではどちらかと言うとこういう「上から目線」は嫌われ、下手に出て相手を立てる謙譲の美徳が基本だが、それが通用しない(常に上座を固持する)相手もいる。随分昔の話だが、今は無きソヴィエト連邦という国がそのテの達人だった。非難されるようなことをして他国から抗議を受けたとき、普通は謝るか少なくても萎縮するものだが、微塵も悪びれず「抗議を拒否する」と言い放つ。凄い。その発想はなかった(抗議というのは拒否できるんだ!)と逆に感心した記憶がある。

そう言えば、子供の頃、悪ガキが悪さしてみんなに糾弾されたとき「ふん、お前の母ちゃんデベソ」と言い放って相手の逆ギレを誘い、論点を見事に引っ繰り返す技法につくづく感心したものだ。さらに、先生につかまって「謝りなさい」と言われると、ふんぞり返って「悪かったな!」と言い放つ。挙げ句「悪いことをしてなにが悪い!」と言うに至っては、普通のコが持っている一般常識を軽々と破壊し(唖然とすると言うかポカンとするしかないという反応を引き出す)「ことば」の芸術?に思わず拍手したくなるほどだった。

こういうのも修辞学というのかどうかは分からないが、弁論・叙述のテクニックであることは間違いない。最近日本の周辺では、この種の技法を研究し尽くして外交に駆使し、まるで国技の域に達しているような国が目立つが、日本は外に向かってのこの種のレトリック(見も蓋もなく言ってしまえば「悪口」)に関しては残念ながら後進国。もう少しこういう「黒い修辞学?」を(使う使わないは別として)国家規模で軍事的?に研究すべきなのかも知れない。それこそワーグナーでも聴きながら(笑)

2019年8月24日 (土)

ことばの話・・・2

Photo_20190823100401しばらく前、若者たちで混雑する場所に行ったとき、すれ違う彼らの80%?くらいが「やばい!」「やばいよ」「やばいやばい」「ヤバイっす」「やばいね」「やばし」「やばッ」というワンワードなのに驚いた。思わず「ここは邪馬台国か!」とツッコミを入れてしまったほどだ(笑)。

翻訳すると…「うわあたくさん人が居てすごい混雑だ」「待ち合わせの時間に遅れそう」「友達を見失った」「変なメールが来た」「ケータイが通じない」「XXを持ってくるのを忘れた」「道を間違えたみたい」「おかしなヒトが居る」「今買った△△、結構おいしい!」「このストラップ、かわいい!」「変な人に声をかけられた」「口が臭い!」「天気予報ではこれから雨になりそうだって」「トイレに行きたくなった」「風が強い」「暑い!」「うるさくて聞こえない」「歩きすぎて足が痛くなった」「もうX時だから帰らなくちゃ」「足を踏まれた!」「財布忘れた」「この曲すごくいい!」・・・ということらしいが、すべての表現を「やばい」の一言で表すというのはある意味凄いと言えなくもない。

私の若い頃も使っていた記憶があるから別に新しい言葉ではないし、ここ20~30年普通に使われているので特に流行語なわけではない。もともとは江戸時代からある言葉なのだそうで、悪党や泥棒が「厄場(やば)」=牢屋・監獄に入れられそうな危ない状況のことを「やばい」と言ったのが始まりなんだとか。

それが、最近では否定的な意味でなく「(良すぎて)やばい」「(素晴らしすぎて)やばい」と逆転して、肯定的な意味にも使われるようになった。おかげで、オールマイティな(何でも一言で言い表せる)国民的言葉に昇格したわけなのだが、食べ物を口にして「やばい!」と言った時、それが「まずい(腐ってる)!」という意味なのか「うまい(おいしい)!」という意味なのか世代によって逆転してしまうのは、やばい。

似たような表現に(これはちょっと古いが)「キモイ!」があり、「気持ちいい」も「気持ち悪い」も略せば「きもい」なのに、なぜか後者の意味で使われている。そう言えば「いいです」というのも、「それでいいです」は肯定だが「それはいいです」だと否定になる。そのうち「はい」でも「いいえ」でもない「はいえ」などということばが登場する可能性もゼロでは無さそうだ(笑)。

2019年8月23日 (金)

ことばの話・・・1

Laugh今更な話だが、(笑)というのは便利な記号だと思う。

例えば「現代音楽撲滅協会」と書くと、なんだか世界数カ所に支部があって腕章付けた自警団がラジオやCDをチェックしているような怖い組織のイメージだが、「現代音楽撲滅協会(笑)」と書くだけで本質と実体が伝わる(笑)。

起源は、戦前の議会や裁判などの速記録なのだそうで、たしかに発言が「戦争だ!」なのと「戦争だ(笑)!」なのとでは全く意味が変わる。対談や座談会でも(一同笑う)とか(爆笑)などと書かれていれば、どんな大激論でも雰囲気が柔らかくなる。ネットではさらに「ワロタ」や「w」(笑うの頭文字)、「草」(wの字の形から)などバリエーションが豊富だ。

個人的には、クラシック音楽(…特に現代音楽)を聴き始めた頃、気難しい話ばかりで笑って話せる人が居ない…という事が気になって、以後、文章や解説(そして音楽でも)「笑」にはこだわるようにして来た。「美しい」音楽は、泣けると同時に微笑むアイテムでもあるからだ。ただし、普通の文章に(笑)を付けるのはまだ一般的ではないらしく、以前本を出したとき、初稿でベテラン編集者氏に(笑)の表記を全部削除されたことがある(最終的には全て復活させたが)。今はどうなのだろう。

もちろん人によっては「決して笑わない」ということを信条としている人もいる。人前で「泣く」のがNGなように、「笑う」のもNGだという男の美学もあるだろうか。(現実のベートーヴェンは大いに笑っただろうが、肖像画はしかめ面ばかりだし)。さらに「笑うのは不謹慎」という事柄も世の中には多く、「笑えない」事例も少なくない。それは事実だ。

それでも、真面目な顔では正面突破できない壁も、笑って斜めから攻めれば崩せることもある。「もうだめだ!」…と言ったら全て終わってしまうが、「もうだめだ(笑)」…ならまだ先がありそうな気がする(のだがどうだろうか)

2019年8月20日 (火)

生と性と音楽と

Darwin 最近、虫たちの「性」について書かれた「ダーウィンの覗き穴」(メノ・スヒルトハウゼン著)という書を読んで愕然としたのだが、動物たち…どころかイカタコから虫に至るまでオスメスのある自然界のあらゆる生物…の性器は、それぞれまちまちな形と大きさと構造と機能を持っているのだそうだ。そんな事はこの歳になるまで知らなかった、というより考えたこともなかった(笑)

そのため性器の形状で生物の分類が出来るほどなのだそうなのだが、モノがモノだけに研究が難しいうえ、生モノ状態での保存がほぼ不可能(確かに恐竜の性器の化石などが発掘できるとは思えない)。さらにあんまり表だって研究したり大声で研究成果を発表できない分野ということもあるらしい。(本のタイトルにもなっているダーウィンの時代は、カトリック的な倫理観や英国紳士たるモラルから性の研究など簡単にねじ曲げられて来たそうだし、現代でも男女間や人種間の「違い」の研究は「差別」と見なされて消し飛ばされてしまう。真実を真実として知るのは、いつの時代でもどの国でもそう簡単ではないようだ)

そんなこんなで何億年も前から付いている器官のくせに、その研究は初歩の初歩の域を出ず、そもそも何で「性」などというものがあるのか(もちろん遺伝上免疫上のメリットはあるのだが、デメリットもある)、なぜ地球上の生き物が「単身コピー」ではなく「雌雄による生殖」などという面倒くさいコトを延々繰り返しているのか…諸説あって結論が出ていないらしい。「マジで?」という言葉はこういう時に使うのだろう。

Aim それにしても、世代を受け継いでゆくタイプの生命体に「性」が必要不可欠だとすると、人工知能はどうなのだろう?アトムは「ロボットの自分には心(感情)がない」と悩んでいたが、アレがないことに悩む回はあったのだろうか?「ロボットにも性器を付けてみたら」などと主張したら完全に変態扱いになるだろうから、誰も言い出さないだけなのだろうか?(現状では、威圧的で強そうな警備ロボットなら「男」っぽく、従順で優しいメイドロボットなら「女」っぽく、という性差は付けるらしいが、それをすると今度は「性差別」あるいは「単なる性のステレオタイプ化」という声があがるそうだから難しい)

そもそも音楽にも「性」に関わる巨大な暗部がある。時間・音・快感…というパラメータで出来ている以上、人間の「生」の根源に関わる生理(つまり「性」)とリンクしていて当然だからだ。ところが、西洋音楽はもともとがキリスト教的世界観から発生したものなので、モラルが邪魔をしてなかなかそこをツッ込めない。「ソナタ形式というのは性衝動を描いたグラフである」とか「楽曲の形式はオルガスムスのフォームから生まれている」などと主張すれば即ヘンタイの烙印を押されそうだし、男の音楽・女の音楽…を敢えて研究しようとすればセクハラ案件になる可能性の方が大きい。その点ではダーウィンの時代とは逆の意味での研究者受難の時代なのかも知れない。

それでも、ヰタ・セクスアリスや「性への目覚め」は人間が人間であることの根幹。人間が人間であることを知るのに無視できない最重要部分であることは間違いないのだから、音楽の謎を探る試みや人間の後を継ぐAIの制作がこの根幹をスルーできるわけもない。…などと、すっかり枯れてしまってからそんなことを憂いてももうどうしようもないのだが(笑

2019年8月15日 (木)

真夏の徘徊

Hotelps過酷な現実から逃れて時々都内のホテルに涼みに行く。ここ数年夏休みどころか泊まりがけの旅行すらほぼ不可能な生活なので、もっぱら昼間だけ3-4時間ほど滞在する「デイユース」である。

行き付けの場所が特にあるわけではなく、ホテルの予約サイトで毎回違う処(安くて家から30分以内)を探して徘徊する。大きなホテルの広い部屋が運良く割安で借りられることもあるが、ビジネスホテルのシングルも狭いぶん冷房はすぐ効くし大きなテレビが付いていることもあってなかなか快適だ。

若い人ならレストランのビュッフェとかプールで夏のホテルを満喫するところだろうが、つらい現実の疲れを癒すには冷房が効いた部屋のふかふかベッドで束の間身体を休めるのが一番。部屋から一歩も出ず珈琲を飲みながらiPadで本など読みつつ4時間ほどの短い短い夏休みを堪能し、夕方チェックアウトして再び現実に帰還する。21世紀の新しい徘徊老人スタイル?…のような気もしないでもない。

2019年8月 8日 (木)

3500円の歪んだ神話

Img_3797 貧乏作曲家をやっていた20代半ば(40年前!)、アジアの隣国から日本に音楽を勉強に来ている留学生が身近に何人か居た。コンサートの後、数名で居酒屋で食事をし、最後に「お勘定は割り勘で一人3500円」ということになったのだが、そこで顔面蒼白になったのが隣国から来た作曲学生のB氏だ。「私の国では3500円あれば一家四人がひと月食べられます」と言うので、「じゃあB君の分はみんなで出そう」とみんなでカンパ(もう死語だが、寄付を募ること)する事になった。(ちなみに私も、一晩の食事に千円札数枚を払うなど生まれて初めての経験!という貧乏時代。同じく顔面蒼白になったのでしっかり記憶している)

・・・のだが、当の彼にとってこの出来事は「日本人が親切にしてくれた」という思い出ではなく、「日本で嫌な思いをした」という記憶として残っていると風の噂で知った。日本に音楽を勉強に来るくらいだからその国では恵まれた家庭に育ったはずの彼からすれば、食事の代金を支払うことができずに恵んでもらった…というのはプライドを傷付けられ、親にも先生にも言えない屈辱的な話。彼の中ではいわゆる黒歴史として屈折したまま蓄積されていたようだ。

なけなしのお金をはたいて友好関係を築いたと思ったら、相手はそれを感謝するのではなく逆に恨みを募らせていた、というのはどこかで聞いた話すぎて複雑な気持ちになるのだが、当人はさすがに心の底から感謝の念がゼロだとは思わない。しかし、その話を漏れ聞いた子供や知人たちが恨みの部分だけを歪めたまま肥大させて「謝れ」と言い出したら、一体何に謝ったらいいのかポカンとする「A」と、悪い事をしたのに謝らないとひたすら非難する「B」の構図が出来上がる。

何だか知らないが謝っておけばいいよ、減るもんでなし。と言って「ごめん」した先輩も居たが、本心から悪いと思って謝っていない、と言われればその通りなので、謝ったところで恨みが解消する気配はない。何しろ悪かったと思っていない(そもそも何が悪いか分からない)のだから、などと本音を言うと話は余計こじれて収集がつかなくなる。こうなるともう歪んだ神話を修正するのは不可能に近い。そんな昔話はすっかり忘れて奢られ合う新しい世代が台頭するのを待つしかないのかも知れない。

…などと書いている私自身が、水と枝豆数粒で3500円*払ったその時のことをこうして40年経った今でも鮮明に覚えているわけだから、恨みに根付いた記憶は怖い(笑)

*注/後記:その時は食べた分を各自支払うものと思っていたので、酒も飲まず料理にも手を出さず、口にしたのは最初に出された水とつまみの枝豆数粒だけだった(泣。

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