ことばの話・・・3
オペラを書いたのにお金がなくて上演できないので資金援助が欲しい…と人に頼むとき、普通なら「すみませんが、お金を援助して貰えないでしょうか」と頭を下げて下手(したて)に出る。ところが、かのワーグナー翁は「私の芸術を援助する光栄をあなたに差し上げよう」と常に上から目線だったのだそうだ。それだけでもう「天才」である(笑)。
日本ではどちらかと言うとこういう「上から目線」は嫌われ、下手に出て相手を立てる謙譲の美徳が基本だが、それが通用しない(常に上座を固持する)相手もいる。随分昔の話だが、今は無きソヴィエト連邦という国がそのテの達人だった。非難されるようなことをして他国から抗議を受けたとき、普通は謝るか少なくても萎縮するものだが、微塵も悪びれず「抗議を拒否する」と言い放つ。凄い。その発想はなかった(抗議というのは拒否できるんだ!)と逆に感心した記憶がある。
そう言えば、子供の頃、悪ガキが悪さしてみんなに糾弾されたとき「ふん、お前の母ちゃんデベソ」と言い放って相手の逆ギレを誘い、論点を見事に引っ繰り返す技法につくづく感心したものだ。さらに、先生につかまって「謝りなさい」と言われると、ふんぞり返って「悪かったな!」と言い放つ。挙げ句「悪いことをしてなにが悪い!」と言うに至っては、普通のコが持っている一般常識を軽々と破壊し(唖然とすると言うかポカンとするしかないという反応を引き出す)「ことば」の芸術?に思わず拍手したくなるほどだった。
こういうのも修辞学というのかどうかは分からないが、弁論・叙述のテクニックであることは間違いない。最近日本の周辺では、この種の技法を研究し尽くして外交に駆使し、まるで国技の域に達しているような国が目立つが、日本は外に向かってのこの種のレトリック(見も蓋もなく言ってしまえば「悪口」)に関しては残念ながら後進国。もう少しこういう「黒い修辞学?」を(使う使わないは別として)国家規模で軍事的?に研究すべきなのかも知れない。それこそワーグナーでも聴きながら(笑)