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昔(1990年頃)とあるTV番組のバックに流れていた音楽が、ずっと耳に残っていた。ほんの数十秒、それも一回か二回耳にしただけなのだが、低音のドローンに乗ってチェロのような楽器が滔々と歌う、民族音楽とも現代音楽とも付かない不思議な響きと節回しが印象的で、耳にこびりついた。しかし、曲のクレジットもなく、録音したわけでもなく、そもそも番組の音楽として書かれたものなのか、既成の曲を選曲したものなのかも分からず、放送局に問い合わせても分からなかった。もちろんインターネットなどなかった時代で、調べようもなかった。
その後の30年間、まさに「奥歯にモノが挟まった」状態で耳の奥にこびりついたままだったわけだが、その音楽の出所を求めて様々なジャンル(特にモンゴルや中近東あるいはアラブ系アフリカ系の音楽などなど)のレコードや文献をあさり、自分の作品の中にも応用を模索し試みた。交響曲第2番(1991)冒頭のチェロ独奏などはその影響大だ。おかげで、そんなことがなかったら辿り着けなかったような様々な音楽に出会え、新しい視座を持った作品が生まれたわけで、この〈名無しの曲〉は自分の音楽人生の中で結構重要な役割を果たしたことになる。
…という遠い思い出の中にすっかり忘却していた曲の名前が、先日ふとしたきっかけで分かった。テレビで流れていたフィギュアスケート大会のロシア選手のショートプログラムの音楽の中にその曲が「あった」のだ。・・・そこでiPadを開いて「フィギュアスケート」「選手の名前」「ショートプログラム」「音楽」と検索するとアッと言う間に候補曲が数曲並び、そのうちジャンルの明らかに違う曲を外し、残った曲をYouTubeで探すと、そのうちの一曲がビンゴだった。その間わずか2分ほど。30年探しあぐねていたモノがかくも容易く見つかったことに、感動するより軽い脱力感を覚えたほどだ。旅の終わりはいつだって突然来る…それも、思いもかけないような処から…
ちなみに、その曲はPeter Gabrielの「Passion」(1989)というアルバムの中の曲で、キリストの受難を描いた映画「最後の誘惑」(1988)のサウンドトラックでもある。印象に残ったチェロのような楽器は、アルメニアのDudukという管楽器だそうで、後半ドラムセクションが登場するところまで聴けば当時はやり出したエスノ系音楽に思い至ったのだが、ユッスー・ンドールとかヌスラト・アリ・ハーンまで辿り着いたものの、ピーター・ガブリエルまでは辿り着けなかった。
しかし、これで積年の心残りが消え、もう思い残すことは…おっと、まだもう少し(笑
フィンランドで出版する舘野泉さんの本の取材で来日したサリ・ラウティオさん(チェロのエリッキ・ラウティオさんの奥さま)に、舘野さんとの出会いや左手のピアノ曲を書き始めたいきさつなどについてお話をする。
舘野さんのピアノを最初に聴いたのは47年前。フィンランドで勉強して帰国した新人ピアニストがいるということで興味津々で帰国リサイタルを聴きに行った。当時の舘野さんは超イケメンで(笑)アッと言う間にファンクラブが出来たほどだが……あれから半世紀。左手のピアニストとしてここまで新しい世界を開拓し、作曲家としてこういうお付き合いをすることになるとは…当時は想像もしなかった。
話は、宮澤賢治とシベリウスそしてフィンランドの関わり(初代フィンランド公使ラムステット博士は東京で賢治と会って話をしていて、銀河鉄道の中に出て来るブルカニロ博士は彼がモデルなのでは?・と個人的に思っている…などなど)や、若い頃フィンランドに行きシベリウスの別荘アイノラでピアノを弾かせてもらった思い出など、こちらも色々な記憶を呼び覚まされ、2時間ほどがアッと言う間だった。
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そのあと、霞ヶ関の経済産業省「創造性研究会」へ。色々なジャンル(ノーベル賞受賞者からアニメの監督・音楽・美術界・スポーツ界まで広範囲)で創造活動を行っている人を招いて、どういう活動や性格や行為が「創造」に繋がるかサンプルを集め研究する会へ作曲家としてゲスト出演。
聞き手の方々は経営管理とか総合文化というようなジャンルを専門とされているので、どうやって作品を創るか…という話をするのに、才能とか感動とか芸術とかではなく、プロセスとかイノベーションとかランダムアクセスというような視点で説明して行くわけで、これは根が理系の私にとって個人的に非常に楽しく面白い経験だった。
会をコーディネートする経済産業政策局の新原浩朗氏は、最近菊池桃子さんと結婚して有名になった敏腕局長。私の還暦コンサートにも来て下さっていたそうで、作品や著作など隅から隅まで研究済みというファン気質の方。
今後も、発明家や建築家など様々なジャンルの人を呼んで会を続けるそうだが、成果を即レポートにして報告する「仕事」としての会議ではなく、和気藹々と話す中で「創造」へのヒントを貰う「同好会」のような性格なのだそう。こちらも、ちょっと違った視点からの対話が堪能できて2時間ほどがアッと言う間だった(笑
昨年に続き、金沢の石川県立音楽堂で開かれた〈左手のピアニストのための公開オーディション〉に審査員の一人として参加した。
今回の審査員は、舘野泉さん、新実徳英さん(作曲)そして私の3人。順位を付けるコンクールではなく…毎年春に開かれる金沢の音楽祭に参加して下さる演奏者のオーディション…という性格から、昨年の入賞者/参加者も登場し、なんとなく同窓会?のような雰囲気も(笑
音楽祭でラヴェルの協奏曲を弾く最優秀賞は児嶋顕一郎氏、タピオラ賞(課題曲のタピオラ幻景をもっともステキに弾いた賞)に瀬川泰代さん、アイノラ賞(同じくアイノラ抒情曲集…)に黒崎菜保子さん。今回初登場の(舘野泉さんも私も「初めて見た!」と驚いた)「右手の」ピアニスト樋上眞生氏も含め、参加者全員が合格水準以上の演奏ということで優秀賞が授与され、来年5月の金沢音楽祭に出演して貰うことになった。
FM「ブラボー!オーケストラ」12月分2本の収録にNHK405スタジオへ。
今回は「東京フィル第69回響きの森クラシックシリーズ(9月14日@文京シビックホール)」での曲目を2回に分けて放送。12月8日(日)は、清水和音さんのピアノで、ショパン:ピアノ協奏曲第1番/ラフマニノフ「ヴォカリーズ」。12月15日(日)は、ヴェルディ「運命の力」序曲とムソルグスキー組曲「展覧会の絵」ほか。いずれも演奏は、バッティストーニ指揮東京フィル。
前半はピアノとオーケストラによる名作(ショパン)、後半はピアノ曲をオーケストラ編曲した名作(ムソルグスキー)というプログラム。なぜここに「運命の力」なのだろう?と思って調べてみると、このオペラ、ロシアの歌劇場からの依頼で書いたもので初演はペテルブルク。当然ヴェルディもロシアに出向いたわけで、当時ペテルブルクで音楽の勉強をしていたデビュー前の23歳のムソルグスキーとの接点があることになる。なるほど。
ちなみに、このムソルグスキーの書いた「展覧会の絵」というのは(多くの音楽家がアレンジに挑戦しているように)とんでもなく不思議な魅力に満ちた曲なのだが、ムソルグスキー自身は、親友ハルトマンの遺作展を見て強烈なインスピレーションに駆られ数週間で書き上げたものの、そのまま演奏もせず出版もせず死んでしまった…と聞くと何とも怖ろしい脱力感に襲われる。死後40年以上たってロシア系指揮者クーセヴィツキーが「この曲をラヴェルに管弦楽編曲して貰ったらどうだろう」と思い付いたことで、このクラシック音楽屈指の人気曲が世に出たわけだが、それがなかったらどうなっていたのだろう?(EL&Pも冨田勲も運命が変わってしまっただろうし)。考えるだに怖ろしい。
クラシック音楽界にはこういう怖い話があちこちにあって、むかし「作曲なんて、無人島で手紙を書いてビンに詰めて海に流すようなもの」と自虐的に書いたことがあるが、40年漂流した後で巨大客船に拾われたのは奇跡的な幸運。しかし、…拾われたと思ったらタイタニック号だった…というような…想像しただけで鬱病になりそうな話も、おそらく沢山(かどうかは分からないが)あるような気がする。
本日は東京オペラシティ(初台)で舘野泉さんのバースデイコンサート。
曲目は、カレヴィ・アホ:ピアノ五重奏曲"Mysterium”(初演)、エスカンデ:アヴェ・フェニックス(初演)、吉松隆:KENJI…宮澤賢治によせる(語り:草笛光子)。
KENJI…は、昔(1996年)宮澤賢治生誕100年祭に書いた〈オマージュ〉を元に、2015年に朗読とチェロと左手ピアノ用に改作、それをさらに舘野さんと草笛光子さんのお二人での上演用に改編したもの。
宮澤賢治の作品から6つの断片(やまなし、オホーツク挽歌、銀河鉄道の夜ほか)を抽出し、2つの間奏曲(牧歌と星めぐりの歌)を挟んだ構成になっている。演出:栗原崇さん。
月刊サウンドデザイナー12月号(11月9日発売)@特集「今こそプログレを語ろう」にインタビュー記事掲載。
1970年前後のプログレ黎明期の記憶、「タルカス」との出会い、キース・エマーソン氏と冨田勲氏、クラシックとプログレの関係、クラシック音楽界の「隠れプログレ」ほか。
基本的に昔からのパソコンメールのアドレスで済ませているので、携帯のメールアドレスに直接届くのは(携帯の会社からと自分自身の転送メール以外は)ほぼ全てが迷惑メール。月に数回のこともあれば、日に数回ということもあるが、届いた途端、即削除してしまうので、特に迷惑と感じることもなく、しばらく音沙汰がないと「最近は来ないけどどうしたのかな?」と思うくらいだった(笑。
それにしても…一口に迷惑(スパム)メールと言っても色々あるようで。「X000万円差し上げます」とか「XXをお買い上げありがとうございます」「XXが当たりました!」「XXの会費をお支払い下さい」…などと目を引いておいて、添付ファイルや怪しいリンク先をクリックさせるのもの。「ひさしぶり、X子だよ!」とか「これから行っていい?」と友人からの間違いメールを装うもの。果ては「返事がないと公衆トイレの壁にこのアドレスを晒します」という脅迫めいたものなどなど千差万別。もちろん全て即削除し一度も反応したことはないが、迷惑メールフィルターをいくら「強」にしてもすり抜けて入って来る。
あんまり複雑な文字列のアドレスではないので、不特定多数の相手に適当に送っているのだろうと思っていたが、そのうち、なぜかこちらを女性と想定していることに気が付いた。買った商品にしろ、当選した賞品にしろ、相手からの語り口にしろ、全てが女性向けなのだ。なるほど、どうやら名前(姓)を略したアドレスが、女性の名前(名)に見えたのらしい。
…と思い至った途端、相手を若い女性と信じて手を替え品を替え迷惑メールをひねり出している若い男のコの姿を想像してしまい…何だか後ろめたくなってアドレスを変更することにした。いや、そんな単純な話ではないだろうし、そもそもこちらが申し訳なく思うことは全くないのだが。何となく。
ごめん、年金暮らしのオジサンで(笑
…のだが、なぜか最近偶然聴き始めて頭の中でヘビーローテーションしているのが、ヴェンチャーズの音楽。それも、中学に上がったばかりの頃、最初に買ったLPレコード(Ventures in JAPAN)1965年新宿厚生年金ホールでのライヴで、何だか、死ぬ前に走馬燈のように蘇る思い出のひとつ…のような感じで鳴りまくっている(笑
持っているレコードがまだこれ1枚という頃だったので、それこそ擦り切れるまで何百回聴いたか…、ノーキー・エドワーズ(リード・ギター)、メル・テイラー(ドラムス)、ドン・ウィルソン(サイド・ギター)、ボブ・ボーグル(ベース)…とすらすら名前が出て来るのは、繰り返し聴いたせいというより、コンサートの司会者(フィリピン系のビン・コンセプション氏)の怪しい日本語での演奏者紹介のせいかも知れない(笑
今、聴いても、ノーキー・エドワーズのギターの冴えと、メル・テイラーのシンプルながらダイナミックなドラムスは圧倒される。音楽的に高度…とまでは言わないが、完成度の高さは半端でなく、とにかく「カッコいい」としか言いようがなかった。しかし、よく考えてみれば、セールスマンみたいな服装をした男4人が立ったまま(歌も歌わず踊りもせず)インストを弾いているだけで、なぜ何千人の観客が熱狂したのか…(だからこそ「これなら俺にも出来る」とエレキブームが始まったのだろうけれど)つくづく不思議な音楽だと思う。
続いて「ヴェンチャーズ宇宙へ行く(In Space)」(1964)というSF風サウンドに挑戦したアルバムを買い、SF小説やドラマが大好きだった頃(文字通りの中二病最盛期)だったので、これも結構はまった。まだシンセもない時代に一所懸命SFっぽい音を出していて(なので成功率は30%。当たりは冒頭のOut of Limits、Bat、最後のTwilight Zoneくらいだが)密かに「プログレッシヴロック黎明期の傑作アルバム」と思っている。…と紹介して同意を得たことは一度もないが。
このあと聴き始めたウォーカーブラザースやビートルズなどは、はっきり「自分の音楽に影響を与えた音楽」と言い切れるが、ヴェンチャーズは……、良く分からない。サテ、次の走馬燈は何だろう?